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彼岸花 秋夜の満月

 秋の長夜、私は深夜の街を散歩していたのだった。

 私以外に人はいない。

 一人ぼっちの都会はこれでもかというくらい孤独を実感させられるのだった。

 私は普段多くの人と時間を共にしている。

 が、たまにはこうして一人になりたいときもある。

 だからこうして孤独な時間を求めて深夜の街を歩いているのだ。

 ふと、街灯の灯る公園が目に入った。

 中には誰もいなかった。

 少し歩き疲れていたのか、公園のベンチで休憩しようと思って、私はその公園に入るのだった。

 ベンチに座って一休みすると、もう一人の誰かが街灯に照らされた場所に立っているのに気付いた。

 こっちをじっと見ているが、街灯の光加減からか、表情をうかがい知ることはできない。

 服装は彼岸花模様がちりばめられた黒い和服に白い帯、手にはラムネの瓶を持っている。

「こんばんは」

 何かの縁だろうと私は声をかけてみた。

 すると彼岸花服の人物は私のほうへ歩み寄ってきた。

 光の加減からか、表情がうかがい知れるようになる。

 すると性別が分かった、女性だ。

 そうして顔の様相からその人物が浮世離れした幽霊のような顔をしているのが分かった。

 人間というには致命的な何かが足りない、しかし人外というにはやはり人の形をしすぎている。

 だからその人物のことは幽霊であると勝手に結論付けた。

 見たところ襲ってくるというわけでもないし、仮に幽霊だったとしても実害はない。

 女性は私の座っているベンチの隣に座ると、手に持っていたラムネを飲むのだった。

「こんな夜更けににをされているのですか? 幽霊に遭遇したらどうするつもりですか?

 女性はふとそんなことを尋ねてきた。

「ははっ、幽霊なんていませんよ。人間が誕生してから今に至るまで人間がどのくらいなくなってきたのかご存じですか? 幽霊なんかが仮にいたら今はそこら中に幽霊がいますよ」

 と、まあそんな話を切り出してみると、女性はこう反論する。

「幽霊ならいますよ」

「ふーん、どこにいるんだい? 墓地とか?」

「あなたも一度見たことがあるんじゃないですか?」

「さて、記憶にありませんね」

 実際問題記憶にはない。

 とはいえ、毎日のお祭り騒ぎに嫌気がさして一人の時間を求めている自分こそが幽霊なのではないか、と言われたのでは反論ができない。

 女性の方があなたこそ幽霊ですと言われたらそこは納得しよう。

 しかし女性はこういう。

「あなたは幽霊にあっています」

「さて、いったいどこで?」

「それは、私が幽霊だから」

 なかなか面白い角度から話が来たな、と私は思った。

 とはいえな、仮に幽霊だったとして、こうして対話が可能なのだ。

 ホラー映画のように襲ってくるわけでもなく隣でラムネを飲んでいるだけ。

 先入観をなくしてしまえば隣の幽霊は普通の女性と何ら変わりがない。

「あなたは怯えないのですね?」

「怯える要素がどこにありますか?」

「私は幽霊ですよ。もう少し怖がってもいいでしょう」

「隣でラムネを飲んでいる幽霊を怖がるも何もありませんね。ニュースを見ても幽霊に呪い殺された人なんて見かけませんし、幽霊を恐れる要素が一体どこにあるのでしょう?」

「あなたは変わりものですね」

 そう言って女性は裾からもう一本のラムネを私に渡してきた。

「これをどうぞ」

「賞味期限は平気ですか? これでおなかを壊したら幽霊に呪われた認定しちゃいますね」

「大丈夫、中身はただのサイダーですから。賞味期限は長いです」

 秋の長夜に飲んだラムネは、軽めのお酒よりもはるかに私を酔わせた。

 幽霊が売っているラムネには何か混ぜ物でもされているのだろうか?

 いいや、普段の疲れと、今味わっている安楽の落差に脳が弛緩してしまったのだろう。

 酔って空を見上げると、月は満月だった。

 そうか、今日はやけに明るいなと思ったら、これが原因だったか。

 なぜだろうな、人に囲まれている間は月の明るさに気づけていなかった。

 空を見上げる余裕さえなかったのだ。

 今夜はとても有意義な時間になったな。

「普段は何を飲まれているのですか?」

 女性はそう尋ねてきた。

「普段は、コーヒーですね、ブラックの」

「なにそれ、つまらない」

 幽霊に馬鹿にされた。

 反論をしようと思ったが、確かにな、ブラックコーヒーしか飲まない人間はそう言われて然りだろう。

 実につまらないな。

「あなたも幽霊のように生きられては?」

 女性はそういう。

 幽霊のような一生とはどのようなものか。

 自由気ままに揺蕩たゆたう暮らしのことだろうか?

 確かにな、自分にはそのほうが合っているかもしれない。

 とはいえな、生きている以上は安定した暮らしを手放せないわけで。

 ただ、幽霊になれば肉体を捨てて好きなように暮らせるし、食べるために働く必要もなければ、雨露をしのぐ家を用意する必要もない。

 私は言う。

「お化けには学校も試験もないそうですが、どうですか?」

「確かに学校も試験もありませんが、無限にやってくる退屈をどうやってやり過ごすのかで頭を悩ませます。私は今年夏祭りでラムネを売りましたが、ご存じの通りいくつか売れ残ってしまいました」

「サラリーマンをしている私から言わせてもらえば、多少売れ残るくらいが一番いいそうですよ。必要としているお客さん全てにラムネが行き届いたということですから。むしろ売り切れて欲しがっている人すべてに行き渡らないことのほうが悩ましい」

「あら、そうでしたか。じゃあ、よかったのですね」

 そういえばだが、幼いころ時間が無限にあったと錯覚していた毎日は、退屈だったことを思い出した。

 幽霊はあれほどまでに退屈なのか。

「お暇は、辛くありませんか?」

 私はそう尋ねた。

「辛くはありますが、自分で楽しいことを見つけて楽しんでいますので、それほど辛くはありませんよ?」

 なるほどな、この幽霊は、強く生きている。

 その日の夜、私は幽霊に怯えるでもなく、畏れるでもなく、ただ放談にふけった。

 本当に、夢を見ているかのような一夜だった。




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