【読書】社会正義を問い直す/「Justice」から(前編)
正義とはなにか?人殺しは正義か悪か?悪だとするならば、死刑制度や戦争はどう考えたら良いのか?当たり前のようで、突き詰めて考えた途端、手で掬った水がこぼれ落ちるかのごとく、掴みようのない正しさ/Justiceという概念。古代ギリシャから現代にまで続くこの議論を単純明快に整理した一冊、というか神書(前編)。
記事要約
本の内容は講義「Justiceにて今でもAvailable。
物語は2004年に米国フロリダ近辺を襲ったハリケーンCharleyにて被害を受けた地域にて販売される必需品の価格の話から始まる。
社会福祉最大化論者/utilitarianist、自由主義派/Liberitalianist、モラル論者/moralistの3つの見方がある。
1.本の紹介
本のタイトルは「Justice - what's the right thing to do?」(2009年刊行)で、邦訳は、「これからの「正義」の話をしよう」。
著者はアメリカ人の政治哲学者で、オックスフォード大学にて博士号を取得後、ハーバード大学の教授となったMichael Joseph Sandel /マイケル・サンデル (1953-) 。
2000年代に行われたサンデル教授の講義「Justice」は、大学で初めてオンラインとテレビで無料で視聴できる講義となり今でもAvailable。
とりあえず見た方が良い、の一言。理由1、本当に面白い。理由2、授業の質が高い(良い感じでインタラクティブ)、理由3、大学生側の主張も秀逸。本来、大学の授業って、本当はこうあるべきということが分かる。
東北大での講義はこちらから
2.本の概要
物語は2004年に米国フロリダ近辺を襲ったハリケーンCharleyの話から始まる。8月の真夏日に冷蔵庫/冷凍庫やエアコン電源を遮断された米国民は氷袋や発電機を必要としていた。日本なら無償でそれらを提供すべしとなるが、その時米国では氷袋は10ドル(通常価格2ドル)、発電機は2000ドル(通常250ドル)で販売、物議を醸した。下記3つの主張がみられた。
社会福祉最大化論者/utilitarianist: 無償で提供し、社会全体の効用の最大化を目指すべき。
自由主義派/Liberitalianist市場原理を使うべき: 販売価格が上がれば、それだけ供給も増え、多くの人々に届く。
モラル論者/moralist: そもそも人々が必要とする物資を有料で提供するのがけしからん。
どれも一長一短の論理。本書特有ではないが、この手の問題で良く出される類推問題がトローリー問題。ブレーキが故障して止まれないトローリーが路線をかけ降りていく。その先が二股になっていて、一方は5人の大人、もう一人は子供、どっちを助けますか/殺しますか?問題(詳細は多少異なるが)。そして著者はこれら3つの視点を掘り下げていく。
社会福祉最大化論者/utilitarianistだが、その知的バックボーンはJeremy Bentham(1748-1832)。彼の主な主張は、人々の効用の最大化こそが、社会全体に幸せをもたらすというもの。つまり、人々の痛みを最小化し、喜び/pleasureを最大化することにある。
しかしこのBenthamの考え方は人の尊厳/human dignityや個人の権利を十分に甘味していない点、及び物事のすべてをpleasure vs painという単純な物差しで簡略化しすぎる嫌いがある点等で批判を受ける。
そこでJohn Stuart Mill(1803-1873)が登場。Millの主張は、他人に迷惑をかけない限りは人々は何をしようが自由であるべきという人の個人の権利を尊重した考え方。もうひとつは、pleasureにも高尚なもの(例: シェイクスピア)と低俗なもの(例: シンプソン)があるとする考え方である。
自由主義派/Liberitalianistは個人の権利を突き詰めた論理。富の再分配を主張し勝ちな社会福祉最大化論者/utilitarianistにたいし、自由主義派は小さな政府&個人財産の保護を主張、知的バックボーンはハイヤクやミルトン・フリードマン。詳細割愛。
最後、モラル論者は、そもそも上記二つのアプローチに真っ向から対抗。utilitarianismは人々の幸福をpleasure(interests, desire etc)でしか図れず、個人の自由を追求するliberitalianismの根底は、市場原理の最大活用でしかない。だから、国防のため兵力集めはボランティア制にすべし、自殺については個人の自由だしpainがpleasureを上回ったら許されるべしとなってしまう。結果として、本来高尚である社会的行いや営み(例: 出産、兵役)をアウトソーシングすることでその営み自体を汚染/corruptし陳腐化/degradeしてしまうという。すなわち、金で何でも解決する事が正義とされてしまう。
モラル論者は公平性/fairnessや真の自由、そして市民の徳/civic virtueや義務/duty、責任/responsibility、共通の財産/common goodが大事と説く。人として、そして生まれた国や共同体の一員としてやらなければならないこと、してはならないことが存在するという。その知的バックボーンは、合理的な論理や思考をを有する人だからこそ踏み越えてはならないモラルが存在するというカント。categorical imperativeという概念はあまりにも有名。なにか他の目的を達成するために実施する行いではなく、その行い自体が普遍的に正しい/universally goodから実施する、そこにモラルが存在する(ちょっと乱暴な意訳だが)。例えば自殺、どんな理由があれ、自分を含め人を殺害するということは、人間性の否定であり、人へのリスペクトを欠いた行いであるから間違いということになる。
残りは後編にて。
3.感想
大作過ぎて要約に困った一冊。結局、言うこと一つ一つがじゅうようすぎて、何をはしょったら良いのか困ってしまうパターン。
そして、ハーバード大学での講義も含め、これこそ哲学入門と称されるべき作品。私が大学時代に履修した哲学入門の授業がいかに無意味で味気ないものだったか。こういう一流の授業がタダ同然でアクセス可能となると、もう大学で授業を受ける意味すら分からなくなってくる。
この本も、もっと若いときに出会っておきたかった一冊。若い時、無駄に哲学書に手を出しては、理解ができず挫折、ちょっと時間が立ってからもう一回チャレンジするが再び挫折というルーティーンを繰り返していた。この本ほど、カント含め、頭にスッと入ってくる本は私は知らない。
最後に一言
なお本記事は、あくまで私がポイントだなと思った部分のみ書き出しまとめているだけです。この概要記事がきっかけとなり、この本に興味を持っていただけたら幸いに思います。
あわせて他の記事もご覧いただけたら幸いに思います。
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