【読書】社会正義を考える/「Justice」から(後編)
正義とはなにか?人殺しは正義か悪か?悪だとするならば、死刑制度や戦争はどう考えたら良いのか?当たり前のようで、突き詰めて考えた途端、手で掬った水がこぼれ落ちるかのごとく、掴みようのない正しさ/Justiceという概念。古代ギリシャから現代にまで続くこの議論を単純明快に整理した一冊、というか神書(後編)。
記事要約
社会正義を語る上で、3つの視点が存在
モラル論の知的バックボーンであるカントの次に筆者が扱うのはジョン・ラウル/John RawlsのA Theory of Justiceで、その次がアリストテレス。
一見中立的な立場を取る個人主義/自由主義的な考え方(moral individualism)を批判、collective responsibility やclaims of community の概念を再考。
1.本の紹介
前編参照。
2.本の概要
本の前半では、社会正義を語る上で、以下3つの視点が存在する旨が論じられた。
社会福祉最大化論者/utilitarianist: 無償で提供し、社会全体の効用の最大化を目指すべき。
自由主義派/Liberitalianist市場原理を使うべき: 販売価格が上がれば、それだけ供給も増え、多くの人々に届く。
モラル論者/moralist: そもそも人々が必要とする物資を有料で提供するのがけしからん。
モラル論の知的バックボーンであるカントの次に筆者が扱うのはジョン・ラウル/John Rawls(1921-2002)のA Theory of Justice。
さくっと私の理解した範疇で言うと、ラウルの提案は、何らかの社会契約を結ぶ前の原始の平等な状態(in an initial situation of equality)にいると想定し、人々は一体どんな原則に合意するか?そういった状況で合意するはずの原則こそが正義である、ということ。そのように想定し、下記のような各種正義案を分析、結果としてDifference principle(fair/公平かrecprocal/互恵的)がベストだよね、という。
社会福祉最大化論者/utilitarianist: (無償で提供し、社会全体の効用の最大化を目指すべき。)….. 少数派/minorityは圧倒的に不利なシステムで、自分もそこに入るかもしれないので、人々はこのシステムを選ばない。
自由主義派/Liberitalianist….機会のみ均等化し、結果含めその他全てを市場原理に任せるというルールは、中世的なカースト制度に比べれば大部マシだが、結局、受けられた教育の質も含む親ガチャで社会的勝者/弱者が決まるので、機会均等とは程遠く、人々はこのシステムを選ばない。
能力主義/meritocracy: 努力と才能が伴うものをrewardするシステムで、自由主義よりかはfairであると言えるが、結局はthe fastest runners(生まれながら能力があって努力も出きる人)にとって都合の良いシステム、人々はこれを選ばない。
Difference principle(fair/公平かrecprocal/互恵的): fastest runnersには頑張って貰うが、そもそもその才能はcommunityのcommon assetで、その恩恵は全部ではないが大部分をみんなで共有(再分配)すべき。ラウルのいう正義がこれ。モラルではなく、公平性&互恵性が重要。
この考え方で行くと、同意があれば何しても良いか?(例: 法外な値段でものを売る)という問いに対しては、モラル論とは別の観点(fairness&reciprocity)からnoになる。また、こういった観点からUSの大学が採用しているaffirmative admissionにも言及している。簡単に言えばテストや書類審査ベースの試験制度(実力&能力主義)とは別の、寄付金などが多い家庭の生徒(大学への貢献)や社会的マイノリティ出身の生徒(公平性&平等)などを入学させる制度で、無論そういった生徒がいると、実力ベースの志願者が足切りされるケースも出てくる。確かにラウル的観点で見れば、そういったシステムも社会正義になってくる。
次に出てくるのがアリストテレス。彼にとっての正義とは、目的/telosや名誉/honor、徳/virtueに応じて、give people what they deserve。すなわち、目の前にある最上級のバイオリンを誰にあげるか?という問いには、best violinistということになる(それがバイオリンのtelosになる)。
Telos/目的をしっかり定義する事が重要となるが、政治とかあやふやなものはどうなるか?だが、何らかの制度や法律を作ることではなく、市民のgood lifeやcivic virtue等を促進することになってくる。そしてその共同体の最大のメリットは、その共同体にもっとも貢献をした人ということになる(詳細は割愛)。
そして本書は徐々にクライマックスへ突入、筆者独自の見解へ移っていく。現代をいきる若者は、国が犯した過去の戦争被害に対して何らかの責任を負うのか?と問いかけ、collective responsibility やclaims of community の概念を再考。一見中立的な立場を取る個人主義/自由主義的な考え方(moral individualism)を批判し、人々は自分の行いに対する責任と義務は無論、それ以上に自身が所属するコミュニティやグループ(例: 国)に対する責任や義務を持つと主張。
何らかのmoral obligationsを完全に無視し、個人主義的な視点で社会の物事を判断するのは、危険だとさえ言う。
様々なイシューに切り込む著者だが、興味深いのはgay marriag分析。個人の自由という切り口から分析するのは違うという。必要なのはむしろ、社会/共同体という観点から結婚というのはそもそもどう言った目的を持つ社会制度なのか、その上で gay marriageがhonorやrecognitionを与えるべき結婚なのかどうか、という視点である。つまるところ、結婚を子孫繁栄を目的とした社会制度なのか、exclusive and permanent loving commitmentを目的とした社会制度なのか。
そして最後、社会正義/justiceは、civic virtueというものを醸成し、the common goodというものを考え、何が重要なのかを判断/価値付けしていくことにあるという。
3.感想
大作過ぎてまともな要約が出来なかった。
著者は共同体としてのmoral dutiesがあるということなのだろうが、一理あるなあとおもった。社会の一部でその恩恵を受けているのだからその社会が背負った功罪も一緒にということなのだろう。確かに会社が不祥事を起こした時、私はやってないのにと、と思いながらも頭を下げたことがこれまでも何度かあったが、サンデル教授の話を聞いてモヤモヤがはれる気がした。
自由主義的なFreedom of choiceを振りかざす米国企業のCEOらをテレビで見たことあるが、そういった連中の企業こそ、国に税金を支払ってなかったりする(しかも法人税なんて減税を重ねすごく安くなっているはず)。そして社会全体で見れば、ほぼ全ての国で格差が拡がっている気がする。
社会正義を再考するときが来ているのかも。
最後に一言
なお本記事は、あくまで私がポイントだなと思った部分のみ書き出しまとめているだけです。この概要記事がきっかけとなり、この本に興味を持っていただけたら幸いに思います。
あわせて他の記事もご覧いただけたら幸いに思います。