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“翼をください”に強く共感する私がそれでも生きる理由

突然ですが、皆さんは長生きをしたいですか?

私の場合、15歳という短命で亡くなった兄を持ちながら情けないような申し訳ないような気持ちもあるのですが、長生きをしたいと思ったことは一度もありません。

ー 自分を活かして誰かの役に立ちたい。まだ行ったことない場所の美しい景色をこの眼で見たい。ありとあらゆる挑戦をしたい。日々共鳴し合える人々に出逢い語り合いたい。 ー

このような気持ちは山々にありますが、それでもこの世界には辛いこと悲しいことがあまりにも多過ぎるから、“翼をください”に度々共感を重ね重ねもいいところです。

今 私の願いごとが叶うならば
翼がほしい
この背中に鳥のように
白い翼つけて下さい
この大空に翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせ行きたい

ではそんな私がなぜ自ら命を断たず未だこうして生きているのかと言えば、信仰を持っているからに他なりません。

神様に命を与えられ生かされている分は出来る限りはより良く生きよう・この世界の美しい部分を存分に楽しもう、というスタンスで毎日を生きています。

なので食事や運動に気を付けたりしっかり休息を挟んだりと、与えられている自分の身体を大切にもします。

生まれてきたからには何かその目的があると信じていますし、その任務のようなものをベストな形で一つずつ達成していきたいと思っています。

それ故に自分の性質や現在までに経験してきた事から世の中の役に立てそうなことを考え、勉強をしたり発信をしたりしています。

もし神様が「もう十分だよ。」と言ってくれるのなら、すぐにこの世を去ることになっても私自身は構わないのですが、そう判断してもらえるのはきっと随分先の事でしょう。

まだ数十パーセントも達成出来ている気がしませんから。🤣

また夫や身近な人々がまだ生きていてほしいと(口にはせずとも)望んでくれているから生きられる・生きなくてはと思う、というのもあります。

いつかもし自分の子供を持ったとしたら、更にその思いは強くなるのかもしれません。

因みに同じくクリスチャンである夫の場合、長生きに関する部分で私とは違うようです。

彼は自分の周りの人々が全員居なくなってしまったとしても出来ることならば130歳くらいまで長生きをして、この世界がどのように変わっていくのかを見たいのだそうです。

私からしてみると「心強いなぁ。」と思うのですが(笑)、どうでしょう。

とはいえ何にしても長生きすることは、願っても願わなくても私たち自身でコントロールしきれる問題ではありません。

「人は、そのよわいは草のごとく、 その栄えは野の花にひとしい。  風がその上を過ぎると、うせて跡なく、 その場所にきいても、もはやそれを知らない。」

- 詩篇 103:15‭-‬16 

与えられる時間にどう感じ考え、何を選び取って、どの位力を注いでいくか。

の繰り返しの中、命ある限り「どのような状況下においても変わらないものを携えていたい。」と私は思っています。







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