経済格差と教育格差 考えてみた
僕のnoteを開いていただいた方、ありがとうございます。
今回は以下な感じで進めてまいります。どうぞ最後までお付き合いください。
1. ここまでの話
親世代の格差が子どもに引き継がれてることが、教育格差の一因であるという話があります。報道や論文等でも公開されていることから信ぴょう性の高い事象なんだと考えられます。
過去6回にわたって、イノベータの育成が、教育格差を解決するピースの1つになりえないかと思い、noteにつづってきました。
経済格差や環境格差等に起因する子どもたちの教育格差について、教育そのものから変えられないかと思ったのですが、実際なかなか難しいのではないかと壁にぶち当たってしまいました。。
2. 問題意識
世代間にわたって経済格差と教育格差が続く負の連鎖って、どうすれば断ち切ることができるのでしょうか(図1参照)。
ここが今回の問題意識になります。
3. 自立前と自立後に分けて考えてみる
一般に考えれば親や学校が、自立する前の子どもたちの教育を担うのがほとんどかと思います。しかし経済的に余裕のない家庭では、どうしても学校への依存度が高くなりがちかなと思います。学校は基本的に決まった計画に沿って集団教育を行います。そのような状況下では、子どもたちへの教育や提供できる体験の範囲は限定的になりがち、また子どもたちが自ら受けたい教育を選択する余地というのもほぼ無いのではないでしょうか。
何か取り組みたい、将来なりたい姿を求めて学校以外の勉強をしたいと思っても経済事情からあきらめるケースも多いと思います。そもそも繊細な子どもたちはそれを親に言いだすことすらできないかもしれません。親にしてみても、思いはあっても子どもたちが興味を抱くかもしれない様々な体験を与える十分な余裕が経済的に困難な場合もあるでしょう。
一方で、経済的に余裕のある家庭では子どもたちに、学校では得ることができない様々な教育や経験を与えることが、そうではない家庭に比べて容易だと思います。習い事やスポーツだけでなく、山登りや釣りといった趣味なども対象になるでしょう。集団教育の場である学校とは異なり、個々の個別教育は子どもたちに様々な体験を与えます。その過程で子どもたちは興味あることを見つけ出し、将来への目標や憧れを考え始めます。なりたい自分を明確に持つことができれば、それがモチベーションとなって目標へ邁進するエンジンとなっていくはずです。
自立する前の子どもは自由になるお金はほとんどなく、行動も学校や親から制限(もちろん子の安全を配慮してなのですが。。)傾向が強いと思います。経済事情のよくない家庭の子どもたちへは、政府や自治体から画一的な集団教育が提供されるのみです(図2参照)。
そうなると、世代間にわたる経済格差と教育格差の負の連鎖を断ち切るのは困難かもしれません。
ここからは子が自立した後にフォーカスをあててみたいと思います。
自立した子は、そうではない場合に比べて自身の生活や将来にかかる行動の裁量が大幅に増えます。これは大人になり仕事を持っているわけですから当然ともいえます。
もちろんここでも経済的な差はあります。しかし、自立前に比べて自ら学びの環境を作り出すことのできる可能性は飛躍的に高まります。興味あること、あるべき理想の姿になるためへの投資を自分で考え自分で実行できるのではないでしょうか。この点が自立前の学校を中心とした集団教育の中で受け身で教育を受けていたことと大きく異なります(図3参照)。
4. 非認知能力
「非認知能力」という概念があります。
この本では子どもに対する「非認知能力」の向上を扱っています。しかし僕は同じ概念を大人になってからも適用と成長が可能ではないかと考えます。むしろ大人になったからこそ、「非認知能力」の必要性と重要性について理由とともにハラオチし、毎日の生活の中での悩みの解決を手助けしてくれると期待できるはずです。
主観ですが、子どもが大人から、粘り強くあれ、自制しなさいと言われてもピンと来ない場合が多いと思います。
効果的な教育や学びとは、自分の思いによって選択でき、かつ個々にカスタマイズされたものであると僕は考えます。
次回以降は、大人になってからの「非認知能力」の効果的な向上について考えていきたいと思います。
実は以下のnoteの記載を拝読させていただきましたが、「Grit」なる近い概念も存在するようです。GRITについても合わせて掘り下げることでができればと思います。
では、また次回。
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