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書けるは最強の武器である。

これからの時代は、
「書く力」のある人が勝つ。

これは、出版の仕事をしているからこそ、
痛感させられるわけだけど、
「書ける」というのはかなりの才能だ。

インターネットビジネスにせよ、
個人的なsns発信にせよ、
「書く力」があるかないかで雲泥の差がでる。

ブロガーにしても、InstagramやFacebook、
Twitter、noteにしてもYouTubeやclubhouse
など動画や音声以外の媒体の基本はテキストだ。

Instagramは写真や短尺動画メインと
思われがちだけど、
きちんとテキストで紹介したり、
思いを載せて書かなければ、
見た目勝負でやれるには
賞味期限付きを免れられない。

*

人はいかなる時代もことばで文化・文明を
繋いできたし、人から人へと伝え残す作業も
ぜんぶことばであり、文字であったのだから。

世界三大宗教と言われる
仏教・基督教・イスラム教も、
きちんと記録として残された文献があるから
三大宗教になったという話もある。

すみません。。
はなしが若干かたいですよね…
ふほぉぉ〜😱😅



しかし、
「書ける」という特殊な才能をもつには、
訓練が必要になるわけです。
よく言うインプットとアウトプットの世界。

「書ける」がアウトプットなら、何を書くか?
書けるか?というインプットで全てが決まる。

最大のインプットは、
読書だというのが持論だけど、
エリエス・ブック・コンサルティングの
土井英司さんは、インプットには
3つの方法があると述べていた。

それは「体験」「取材」「読書」。

まさに、そうだと思う。



ただし、僕は、この土台になるのは、
やっぱり読書だと思っている。
インプットした情報やインプットする中で
感じたことを文章にするにはスキルが必要になる。
書き手をどう印象づけるかという、文体(ですます調/だ・である調など)の問題もでてくる。

これを書いている自分も、
いつもは柔らかい印象を与える
ですます調を多めに使っているように思うけど、
これはきちんと意見を述べたいがため、
あえて、強めのだ・である調を使っている。
途中に気を抜いた文体を混ぜたり。

親近感を与えたい場合は、
タメ口の文体、語りかけるような会話調だったり、色々あるわけで、少し昔によく「〇〇だわ」「○○さね」って文体を多用していたことがあるのは、少しかたいイメージを払拭したくてあえて使っていた。

つまり、文体に人柄が現れるから、
本にたくさん触れてお気に入りの文体を
真似たり、いろんな表現に触れて、
どう感じたかを大切にするしかない。

*



いずれにしても、
個人がメディア化した時代、
これだけ玉石混交な情報氾濫時代にあって、
きちんと自分を表現したり、
会社を表現したりしなければ
生きていけない時代に、
「書く力」があるかないかで
ものすごく差が出てしまう。

と、長々と頭に浮かんだことを
そのまま打ち込んでいる、じぶん。。

📚📚📚

著者になるなら尚更で、
ライターに書かせる人も多いけど、
その善悪を問うものではないけれど、
処女作ぐらいは初めて世の中に自分の分身を
アピールする場なのだから、
自分で書くべきだと個人的には思っています。

📚📚📚

「何をどう書けばよいのかわからないんです」
と打ち明けてくる方もいますが、
それは文章力以前の問題提起力・論理的な伝達力のレベルな話しじゃないかって思います。
それもすべて読書で訓練するのが一番。
だから著者になるなら読書家であれ!
と伝えているのです。

読書こそ最強のインプットだから。

*

というか結局最後までかたい話しになってしまいまして、ふほぉぉ〜。。。ふぁぁ〜って感じですね。。
😱😱😗

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