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書評

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終わりなき積ん読との戦い 穿った見方、奇を衒った文章、絶え間ない邪推、無意識高い系書評
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#発達障害

東浩紀「訂正可能性の哲学」書評〜生きづらさと訂正可能性

東浩紀「訂正可能性の哲学」書評〜生きづらさと訂正可能性

簡単に言えば、現代社会は訂正可能性をどんどん排除していっているが、それは大丈夫なのか?という話。
一番わかりやすい例は、AIを利用した人工知能民主主義への批判である。
人工知能民主主義は、グーグルが広告へ誘引するようにある個人を様々な日常生活の情報からあるカテゴリへと選別していくような評価社会=監視社会をいう。
そういった社会では、寝てばかりいる人間の政治家よりはマシであろうと、何でも「統計上の正

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誰が発達障害者を生きづらい社会にしたのか?を探る『デカルトからベイトソンへ』②

誰が発達障害者を生きづらい社会にしたのか?を探る『デカルトからベイトソンへ』②

前回の記事にて、近代化により世界は「たしかなもの」が失われ、人間は社会が規定したシステムに最適化することが求められる排他的な世界観の中で生きているということを提示した。
発達障害とは、この根拠のない社会が自立するためだけの本末転倒システムを維持するために「排除された」存在のことをいう。
だから『自己責任』なのね。

今回は引き続き『デカルトからベイトソンへ』から引用し、そんな近代社会システムがそも

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誰が発達障害者を生きづらい社会にしたのか?を探る『デカルトからベイトソンへ』①

誰が発達障害者を生きづらい社会にしたのか?を探る『デカルトからベイトソンへ』①

なぜ我々は生きづらいのか?

空気が読めないから?馬鹿だから?電話が取れないから?

違う違う、そうじゃない。社会が勝手に規定した枠からはみ出しているからだ。でも俺たちは抵抗し続ける。なぜなら去勢された「社会人」なんて生き方はまっぴらだからだ。

しかし、我々は図らずもこのクソ社会に生きる羽目になっているのは紛れもない事実。ああ、赤いカプセルをよこせ。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」って中

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