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【海外編】ICCRインド政府奨学金を利用した正規大学留学の闇 - インド

前回の記事ではインドでの語学留学について述べたが、今回はその翌年にインド正規留学に至った経緯とインドでの大学生活について述べる。

というのも、語学留学中に自分の英語力の向上を感じるのと同時に、人生の次のステップを考えるようになっていた。何か形に残るようなものを達成したい、かつ海外に住み続けたいという条件を満たすには、選択肢は二つに絞られた。『留学』か『就労』のどちらかである。海外での長期滞在を可能にするのは、主にこの二つに与えられるビザである。当然、コネも学歴も職歴もない私は留学を選ばざるを得なかったのだが、それが留学を決意した唯一の理由ではない。一度辞めた大学という場所へ戻る決意を促したのは、人生で初めて経験した、自分が選んだ道で自分の成長を実感できた喜びだった。自分の本当のポテンシャルを知りたい。こうして、私は自分自身へ挑戦状を突きつけるほどまでに、精神状態は良好になっていた。一度失敗した大学への再挑戦、今度は海外で英語でやってみろというわけである。

しかしこの情熱と希望は、早々に打ち砕かれることとなる。今回は人の手によって。アジアを代表する汚職大国の現実を知るのだった。

金銭的な理由により、当初から無償もしくは給付型奨学金を利用した海外での大学入学を検討しており、日本学生支援機構(JASSO)の海外留学支援サイトで目に入ったのが『インド政府奨学金』だった。学士号(Undergraduate)では月額 5,500ルピーが支給され、授業料及び宿舎費はすべてICCRによって負担されるというもの。志望校は3つほど選べるが、志望校へのみ合格できるとは限らない。出願条件は満たしていたので帰国次第すぐに出願書類の作成に取りかかった。現在は大幅に簡略化されたようだが、2015年度はひどく煩雑だった。当時の英文出願書類は以下の通り。

英文出願書 2通
ICCR所定用紙 6通
研究計画書 6通
高等学校以上の学業成績証明書 各6通
高等学校以上の卒業/修了(見込)証明書 各6通
高校、大学で履修した課程のシラバスやカリキュラム等の写し 6通
健康診断書(ICCR所定用紙) 6通
パスポートの写し(国籍の確認できる部分) 6通
写真 9枚

上記をすべて駐日インド大使館と日本学生支援機構へそれぞれ”郵送”しなければならない。この時点で問題続発。6通とは何事か。数百ページに及ぶシラバス・カリキュラムなど英文で用意している学校などないので、全て自力で翻訳しなければならない。この他にほぼ同様の内容で”和文出願書”も作成しなければならなかったので、膨大な出願書類は6部全て束ねると4−5cmほどの厚さとなる。サイズも重量も郵送料も嵩む。

ともかく、書類選考は無事通過した。駐日インド大使館での筆記試験と面接も終えた。大使館職員からは「合格した場合は、少なくとも半年以内に通知、不合格の場合は通知せず」と伝えられた。通知せずとは何事か。つまり、この半年間は「落ちたのではないか」という不安が毎日つきまとう。そして落ちていた場合は永遠とこの不安を抱き続けるという生き地獄である。
幸い合格したものの、合格通知は志望校には含まれていないマンガロール大学(Mangalore University)であった。かつて住んでいたバンガロールとはよく似た地名だが、マンガロールは200kmほど離れた小さな町。大使館へ合格の続報の有無を問い合わせるも、やはり合格通知は一度のみということで、他に選択肢はなかった。

マンガロール。アラビア海に面し一年の半分は雨が降りっぱなし。椰子のジャングルに囲まれた自然豊かな町。市街地に行けばショッピングモールやマーケットもあり、病院も充実している。殺人的な猛暑と豪雨を除けば、長閑で生活しやすい環境ではあったものの、問題はマンガロール大学そのものだった。

問題点① 宿舎

マンガロールに到着してまず初めに明け渡された部屋は、大学訪問者用のゲストハウスの一室であった。当初は一時的な宿舎と言われたものの、半年が過ぎても一向に引っ越しの気配がない。それもそのはず、マンガロール大学には学生寮が存在しないのだから。留学生はどんどん増え、いよいよゲストハウスだけでは全員が収まらなくなったところで、マンガロール大学は何と遠く離れた他大学の学生寮を何部屋か借り、後から訪れた生徒たちをそこへ丸ごと移してしまった。部屋の設備の違いや学校へのアクセスの不便さで、生徒たちからはクレームが続発したものの、学校側の対応は他大学の学生寮付近にあるアパートを数室借り、ゲストハウスにいる学生もすべてアパートに移し、登下校は送迎バスを手配するというものであった。結局、全ての生徒に平等な生活環境が確保されなかった。

加えて、インド政府奨学金の 5. 待遇 の項目にも記述があるように、「原則、受入機関指定のホステルの実費額を支給するが、空きがない場合は、都市のグレードに応じて民間宿泊施設の費用を支給する」とあり、学校指定のホステルを利用しない場合は、生徒が宿舎を指定し、それに応じた家賃をICCRから受け取れることになっているのだが、ここマンガロール大学は生徒に対し、宿舎の移動を許可せず、家賃の放出もしなかった。このような対応は他のICCR指定校では見られなかった。他大学の学生寮や得体の知れないアパートの家賃はいくらか知らされず、マンガロール大学が生徒の奨学金をピンハネしていることはどの生徒も悟っていた。こんな大学がなぜインド政府奨学金の指定校なのかは、悟って頂きたい。

問題点② 学習環境

インド奨学金の 6.応募事項 には「十分な英語の能力を有する者」との記述があり、日本に限らずどの国の留学生も、英語で授業が行われる前提でインドへ留学している。しかし、マンガロール大学はほぼすべての授業にて、現地の口語であるトゥル語及び州公用語のカンナダ語を使用し、英語の使用率は3割にも満たなかった。教授には英語で授業を進めるよう、全留学生を率いて説得したが、聞き入れる者は誰もいなかった。

再び全留学生を率いて大学副総長(vice-chancellor)へ直談判したところ、留学生専用の校舎と教授の手配を進めたのだった。適切な処置、いやむしろこの上ない手厚い待遇にも伺えるが、実際は真逆であった。この校舎とは、普段は使用しない古びた講堂に机と椅子を並べ、University First Grade Collegeと書かれたパネルを掲げただけの空間である。新たに留学生の指導に呼ばれた教授とは、修士号を取得したばかりの、教壇に立ったこともない20代の教員であった。そしてこの新たな校舎の校長に任命されたのが、留学生担当教授の妻であった。この女性、なんと前科一犯である。以下の記事に詳しい経緯が記載されている。

Mangalore: Shameful – University Professor Caught Red-handed by Lokayukta http://www.daijiworld.com/news/newsDisplay.aspx?newsID=157426

Mangalore: Prema Dsouza’s Bold Move Exposes Corruption in Research Field http://www.daijiworld.com/news/newsDisplay.aspx?newsID=157530

元教授のこの女性は、博士号取得に取りかかる学生へ賄賂を請求し、現行犯逮捕されていたのである。このような人間が事件からたった数年後に、校長として再び教鞭を執ることができてしまうのはなぜかは、悟って頂きたい。

問題点③ ICCR及び駐日インド大使館の対応

上記の問題は一年に渡ってICCR及び駐日インド大使館へ報告し改善を求めたが、対応は無責任かつ杜撰であった。如何なる問題も、ICCRと留学生担当教授もしくはICCRと駐日インド大使館の間でたらい回しにされ、誰一人として問題解決に取り組む者はいなかった。こちらもついに痺れを切らしたため、問題点を全てまとめた手紙をICCR本部に送付し、最終的な要求を”他大学への編入”とした。大学の変更はICCRの留学条件にそぐわないため期待は抱いていなかったのだが、しばらくしてICCR側から”再入学”という形でバンガロール大学への入学許可が下りた。

一段落したところで帰国の途に就いたのだが、バンガロール大学、ICCR及び駐日インド大使館へ各々再入学手続きの問い合わせをするも、今度はバンガロール大学とICCR間の連絡不行き届きが発生、駐日インド大使館からは音沙汰なし。数ヶ月経ち、ICCRより「バンガロール大学の出願期限が過ぎたため、今年度の入学不可」との連絡があった。この時点でインド正規留学への見切りをつけたのであった。

結論

留学生が次々と離れていくほど劣悪な教育機関。また”ICCR(インド文化関係評議会)”及び”駐日インド大使館”職員の対応は杜撰で信用に値しないということである。

インド留関係者の無責任さ、そしてあらゆる汚職・癒着を目の当たりにして、インドはお世辞にもまっとうな人間の留学先ではないことを自覚した。外れくじを引いたといえばそれまでだが、大きな挫折だった。準備も含め二年を棒に振ったのだ。それまで応援してくれた家族や友人に申し訳なかった。再び「レールから脱線した男」の生活へ突き落とされたことで、一寸先の人生が闇に包まれたように感じた。この時、激しいストレスと過酷な生活によって、体重は55kgにまで落ちていた...


ここで挫けてたまるかこの野郎!

私は頑固である。これほど虐げられても、やはり自分の内に海外に対する異常な執着心と留学への冷めぬ情熱を発見したのだった。大学でまた失敗したのは事実だが、今回は決して自分に非があったわけじゃない。むしろ出来る限りを尽くしたではないか。

これがドン底に違いない。ならもう落ちることはないのだから、ただ這い上がれ。こうして地元に戻り働く一方で、留学費を貯金しながら世界中(先進国)の大学を片っ端から調べる日々がしばらく続いた。


追記

続報!朗報!
例の留学生担当教授の妻だが、例の収賄事件に関して2021年に5年の実刑判決を言い渡されたようだ。

Mangalore University sociology prof sentenced to 5 years in jail for taking bribe 
https://www.daijiworld.com/news/newsDisplay?newsID=851745

人の人生を踏みにじった業(カルマ)を身を以て証明してくれた、このインドの恩師達を私は忘れない。

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