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落合陽一氏に学ぶ現代を生き抜くための教育

今回ご紹介する本はこちらです。落合陽一の著書「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書」。それではさっそく始めます。


・学校に行かなければならない理由は?

物事の価値基準は、場所によっても時代によっても変わります。未来永劫、絶対に変わらない価値はどこにも存在しないと覚悟した上で、「自分の頭でしっかり考えて判断しよう」と助言し、具体的な問いかけに落としてくれる大人が周囲にいれば、これからの環境の変化に動じない子供が育つはずだと僕は信じています。-----断定的な答え、つまり学校にはこういう理由で行くべきだ。又は、学校にはこういう理由で行くべきでないと決定付けるのではなく、あらゆる概念は時代背景や環境によって変わることをしっかり伝え、一緒に考えることが重要です。

息子に限らず、小さい子供へこのように答えではなく考え方を伝え、実戦させてあげられるか。魚ではなく釣り方を教えてあげられるか。それが大人の命題な気がします。

•なぜ勉強をしなければならないのか?

「学校の勉強なんて社会に出たらまるで役に立たない」とよく言われますが、その考え方の大きな間違いは、教育にある「コンテンツ」と「トレーニング」という2つの要素のうち、後者のもつ意味を正しく認識できていないことです。学校で学ぶ数式や漢字(コンテンツ)も大事ですが、それ以上に学習する訓練(トレーニング)を怠っていたら、社会に出た時に新しいことを学習する方法がわからずに、自分の経験を使えない人となってしまうのです。

簡単に言うと、インプットも大事だけどそれ以上にアウトプット、並びにそれぞれの方法を学ぶことも大事だねということです。これはぐうの音も出ないです。なぜなら僕は大学を出て社会人になるまでずっとインプット偏重の学習や読書ばかりしてました。内容を自分のものにし、それを使いこなすことが出来ていなかったんですね。それの重要性に気付いたのはほんと最近です。コンテンツ以前に学習方法や利用方法を学びましょう。その理由を落合氏は人生におけるアップデートの重要性を通して説明しています。


・ディスカッションが苦手なのを克服する方法

これは個人的に本書で一番大切な箇所だなと思いました。なので少しもったいぶります。皆さんなんだと思いますか?少し考えてみましょう。答えは間を開けて書きます。










「正解はない」。そうわかると、学生達は安心していろいろな意見を出してくれるようになります。-----僕の大学の講義でも、ペアワークで話し合ったり、ディスカッションを取り入れています。その目的は答えを出すことではなく、多様な意見を導き出すことにあります。本来、学問に正解は存在しません。課題に対して自分なりの問いを立て、解決策を考え続けるのが学問です。ディスカッションを積み上げることによって、課題解決の方法を考え続けるという習慣を身につけることが大学の基礎課程だと僕は考えています。


落合氏は本書にて、近代教育の弊害の一つとして「正解を言わなければいけない雰囲気が生じやすい環境」だと書いています。それが理由で日本人て議論が苦手な人がたくさんいるんですね。答えがない状況で発言し、質問や別の意見を聞くと否定されたと思い、なんとなーく周りの人に合わせて意見を言わなければいけないかなという感覚に陥ったことありませんか?僕はあります。たくさんあります。SNSの理由なき誹謗中傷のようなものではなく、ちゃんとした議論をする場では同調圧力は必要なく、多様性のある意見を言える場だと自覚する必要があるんですね。


・オンラインスクールや動画配信サービス隆盛の現代における「大学」の価値とは?

大学は人材の専門性を保証し認定する機能のほうが現状強い。-----これから必要なことの一つは、一律的な教育よりも学問・研究によるニッチな価値の追求であり、学門を育み、共有する文化を育てることでしょう。「学ぶこと」は、「それが文化である」という視点を持つことです。-----大学という場所は、そもそも高等教育、学問や研究の作法を学ぶ場所です。その「学びの作法」を学び尊ぶことがアカデミズムの根底にある価値観であるという基本原則を、どれだけ伝えられるかが大学の持つ本質的な価値なのでしょう

皆さんが日本で受けてきた義務教育は近代教育であり、それは明治期の日本の人口増加を前提としたものだと落合氏は述べています。どういうことかというと

国民を、標準化・均質化することで拡充されるインフラの中で、国民国家建設のため人的資源を工業、農業、社会インフラの面で効率的に利用しようとするものです。

まだなんのこっちゃと思う方もいらっしゃると思います。落合氏はもう少し噛み砕いて次のように述べています。

明治期以降、日本は外国の工業製品だけでなく経済、産業を発展させる仕組みもバンバン取り入れました。そしてその発展に欠かせない大きな要素は人材です。一様に馬車車の如く働きまくる労働者が沢山必要でした。そのために全国民の教育レベルを一定水準まで上げる必要があったんですね。そうすると自ずと似たような思考を持つ人、同じような行動様式の人が量産されました。それが現代にも続く教育方針なんだということです。


まさにその通りですよね。小中でやらされた前倣えがわかりやすい例だと思います。確かに全校集会や運動会なんかで前で先生が話す際、生徒たちが整然と並んでいる方が話し手は気持ちが良いです。でも整然と並ぶことと相手の話を集中して聞くという行為は違う行為で、ここでは後者の方が重要なわけです。

最後に、本書にて述べられていることで一番重要だと思ったことを挙げて終了します。


・知識は絶えずアップデートしろ
・均質化から脱しニッチトップを狙え


多様性がメインストリームになりつつある現代における生存戦略を自分なりに考えて、行動に落とし込む。そして、自分を絶えず分析し改善していく。そうしていくことが今を生き抜く術なのだと僕も思います。以上。


参考

0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書 https://www.amazon.co.jp/dp/4093886458/ref=cm_sw_r_cp_api_i_4wuiFbBS1VJSC


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