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数学の力

こんにちは、領です。

いつも書いていますが、私の願いは、

「全ては自分」という構造を数学で明らかにし、
「全ては自分」という思考が常識になる。

です。(*^-^*)

「全ては自分」と言う構造は、
自分の人生、誰かの人生、過去に生きた誰かの人生、未来に生きる誰かの人生という区別は仮の物で、全ての人生が「自分」ということです。
補足:仮の物はちょっと違います。それぞれの人生を区別することも同一視することも等価です。

「今、自分が自分と感じている自分」を観ている。
⇒この感じは、唯一として存在する構造です。


自分は打ちたくないのに、他者には打つ。
自分は戦地に行きたくないのに、他者には戦地に行かせる。
騙した人より、騙されていない人を憎む、同調圧力をかける。
騙した人より、騙された人を軽蔑する。
騙したのか、仕方がなかったのか・・・。何か必要に迫られた大きな目標があるのか・・・。

「全ては自分」という思考は、他者に対して行動するとき、何か役に立つかもしれません。


最近、『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃 加藤文元』を読みました。
NHKで放送された内容ほど、奇妙なことは書かれていなくてすんなり読むことはできました。理解できていないからこそ引っかからないのだと思いますが(;^^)ヘ..

それにしても、NHKの番組内の「Aと非A」の下りに出てくる「ある数学者」って誰なんだろう?

望月博士のブログも読んでみました。
なんだかNHKの番組の内容に非常に怒っていると感じました。

ここから望月博士のブログ引用
本論に進む前に、「後半」の「本筋」を復習しますと、数学では、ポワンカレ以来「同じものを同じと見做す」ことが基本であったのに対して、望月はその考え方を抜本的に覆し、「同じものを違うものと見做す」という考え方を導入したという主旨の主張を、クレタ人の矛盾めいた話や、(オウム真理教による、「ポア」の正当化等の「トンデモ系」説法を彷彿とさせられる)仏教的な思想に絡む石庭の話を援用しながら解説しています。
別の言い方をしますと、「AはAであって、同時に非Aでもある」という、自己矛盾していそうな、不思議な謎めいた考え方が望月の理論の基本となっていて、それが海外の研究者には受け入れ難い考え方であるという解説です。

また「AはAであって、同時に非Aでもある」と?いう、あからさまに自己矛盾するような主張は(当然、宇宙際タイヒミューラー理論も含め)
公理的集合論を基礎とする数学では断じてあり得ません。つまり、番組内でこのような解説が行なわれたことによって、一般の視聴者に対して、数学の研究とはどういう?ものであるかについてかなり著しい誤解・混乱を拡散したこと???になり、論理的な・数学的な思考の普及や数学教育の観点???から見ても極めて遺憾であります。

引用終わり

望月博士の仏教的な思想のイメージが悪すぎてちょっと悲しくなりました。肯定的に思っている部分もあるかもしれませんが・・・。

望月博士のブログ引用
一種の数学的な原理を(現代数学で用いられるような定式化の技術がなかったために)何とか後世に伝達できるように表現し、記述するための手段として創り出されたものが多いのではないでしょうか。
引用終わり

般若心経も「数学的な原理」「物理的な原理」を表現するための手段だと思います。
「仏教的な原理」は、特別な人にだけ気まぐれに当てはまるトンデモ系の神秘現象ではありません。普遍的な物理現象で、数学によって裏付けることができると思います!

IUT理論に「入れ子宇宙」の話が出てくるように、「A・非A」も人間の生活圏の話ではなくもっと抽象度の高い話だと思います。人間の観察可能な範囲で「A・非A」が同時(同じ時間と場所)ということは不可能です。

アインシュタインのことがピンときました。
「神はサイコロを振らない」
「だれも見ていないときには、月は存在しないのか?」
「EPRパラドックス」
光電効果など量子力学に寄与したのに、量子力学に不満を持っていたとか・・・。そしてそれが量子力学をさらに発展させる・・・。ベルの不等式、ベル実験によって量子もつれを実証するとか・・・。

あと、宇宙項のことも思いました。
アインシュタイン方程式から宇宙の膨張や収縮とかブラックホールを予言するとか、数学は、この世の真相を解明するもの凄い力があります。

あと、ゼータ関数の非自明なゼロ点の間隔と原子核のエネルギー準位の間隔の数式が一致する。多世界とマルチバースの数式が同じ物だった。
ブラックホールのエントロピーの式は、ブラックホールの量子情報が体積ではなく面積に比例することを示す。⇒ホログラムに似ている⇒二次元の情報が三次元に投影⇒この世界も同じと数学的に示唆⇒人間の意識や思考も同じ構造?

数学の力凄すぎる!!

数学は、このタンパク質だとか物質に過ぎない人間が、自分自身を認識するということの謎に答えを提示できると思います。

この謎の答えを知らないことが無知とか無明ということです。
「認識することができる自己」の究明です。

読んでくれた方、ありがとうございます。

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