2019年2月の記事一覧
自分のガス欠を感じ取る
ガソリンが足りてないのに、いくらエンジンをかけても車が走らないように、自分にガソリンを入れるために立ち止まることは大事だ。
昨日カフェで仕事をしているときに、不意に車がエンストしたように、自分にエネルギーが入らなくなってしまった。
転職して2ヶ月。覚悟はしていたものの、慣れないことだらけの中、土日も丸一日休んだ日を作れず、かつここで止まったら置いていかれるかもしれないという焦燥感もあり、ついに
午後ティーのTikTokを使ったマーケ戦略について
キリン午後の紅茶がTikTokを使ったマーケティング戦略で大成功したというニュースが一昨日ネットに上がっていた
わずか2カ月弱で動画再生回数が累計6200万回を超え、一般参加による動画投稿が1万2000件を突破――。
午後の紅茶を頬に当てたモテ仕草の動画が、「#あなたとほほティー」というハッシュタグとともにたくさん上がっている。僕も視聴してみたが、確かに可愛らしい動画で、真似もしやすく、みんな
視座の高さと意識の深さを掛け合わせる
「私は骨で踊る」
いつものように記事のネタを探し、Feedlyでネタを探していると、そんなタイトルが目に飛び込んできた。
骨を最強の筋肉として使うっていう感覚があって。たとえば立ち上がるときに『よいしょ』って立つと時間もかかっちゃうし筋肉を使うと大変。でも、この足の骨を筋肉として見立ててやると、バンッと、すぐ立てるんです。なので、いかに骨を骨として終わらせず筋肉のように意識するかでパフォーマン
嫉妬とハサミは使いよう
嫉妬:自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。
嫉妬という言葉は、基本的にネガティブな意味で使われる。
小さい頃から負けず嫌いだったからか、小さいことでもよく嫉妬するような性格だった。小学生の頃は、運動が得意な子が羨ましかった。演劇部だった中高時代は自分より演技が上手い先輩や他校の人を見るたび「なにくそ」と思っていた。バンド活動をしていた大学では嫉妬の対象は演奏の上手い同パートの同期や後輩
お年寄りに生きる元気を与えた仮想現実から、NARUTOのツクヨミに思いを馳せる。
仮想現実世界のことを初めて知ったのは、小学五年生の頃に見た、名探偵コナンの映画「ベイカーストリートの亡霊」だった。映画内でコナン達は「コクーン」と呼ばれるカプセルに入り、仮想現実内で謎を解いていく。そこでリタイアすると、誰かがゲームをクリアしない限り現実世界に戻れないシビアな設定だったのをよく覚えている。
昨年、上映されたレディプレイヤー1で描かれた世界は、コナンに比べるとかなり現実味のあるもの
たまの言い訳は、いいわけなく無い。
小さい頃から、自分が何かミスをしてしまった時や逃げてしまった時、言い訳だけはするものかと心に決めていた。どんなに怒られようとも、自分の過失であるならば、面と向かって相手の感情を受け止めるべきだと思っていた。
時には人以外が原因で言い訳を作りたくなる時がある。ちょっと前まで、それは自分にとっては逃げだと思っていた。例えば、微熱が出ている時。同僚は「ゆっくり休んで」というけれど、自分が休んでいる間に
僕らは「ことば」に囚われている
「ことば」はつくづく面白いものだ。
この世は「ことば」で溢れている。
1日中何もない部屋にぶち込まれて、両手を鎖で縛られていたとしても、「ことば」からは逃れられない。どんな時でも「ことば」は頭の中で次から次へと浮かび上がる。飛んでは消えゆくシャボン玉のように、次から次へとふわふわと生まれる。高尚な「ことば」も低俗な「ことば」も、綺麗な「ことば」も醜悪な「ことば」も。
「ことば」はそれだけでは
チャットツールでイラついた時は。
チャットコミュニーケーションは難しい。
日頃は仲良くしてる人でも、チャット上で議論になった途端、突然ギスギスした関係性になったように感じる。
丁寧な言葉を使っても慇懃無礼に見えたり、ちょっとイラっとしてしまうとそれが文字面にも現れてしまう。
学生の時、インターン先の上司とチャットで結構激しい言い合いをしてしまったことがある。なんでこんなにキツイ言い方しかこの人はできないのだろうと、メンタル的
毎日のネタをコンテンツに育てるには、思考の飛距離を伸ばすこと
何日もかけて書きたい場合をのぞいて、いつもnoteを書くのはできるだけ1時間以内を心がけているのだが、この冒頭を書き出した時点ですでに50分が経過している。
元々「紙の雑誌の存在意義とは」について書くつもりだった。しかし、書いている途中で「あれ、結局何が言いたんだっけ」となってしまい頓挫した。「雑誌はWebの記事と違って、手に取れるモノとして存在していることに価値がある」そんな結論にしようと思っ
これからの編集に求められることってなんだろう その2
2週間前にこのnoteを書いた後も、ずっと編集の仕事について考えている。
自分で選んだ職種とは言え、動画がどんどん台頭している中で文字の編集者としての価値はどこにあるのかと。
「これからはメディアの編集者としての側面の他に、誰かの編集者としての需要が高まると思う」
今日、昼ごはんを一緒に食べていた知人にその悩みを話していたら、そう言ってくれた。
彼はその例として、元メルカリのPRディレクタ
「わかりやすさ」ばかりを追い求めない
文章術の本を読んでいると、「中学2年生が読んでもわかるように書け」といった類のことをよく目にする。文章とは、何か伝えたいことがある前提で生まれるものだ。伝えたいことが、伝えたい人に伝わらなかったら文章は存在意義を失う。それはただの語の羅列だ。
世の中で売れている本、特にビジネス書は、この法則を守っていることが多い。マーケティング戦略をいくらしっかり立てても、読者が最後まで読み切れなければ、本の価
「好き」を仕事にし続けるためには、自分だけの絶頂を知ること。
自分が好きなことを仕事にしてみてわかったのは、仕事が好きな瞬間より、「もういやだ」と嘆きたくなるような瞬間の方が多いことだ。それでも仕事を続ける意味があるのは、今日のような瞬間が訪れるからだろう。
今朝、自分が執筆に関わった記事が公開された。
自分が服好きなのもあり、当日は熱がこもったインタビューをさせていただいた。インタビューさせていただいた木村さんからは、アパレル業界ででなくとも参考になる