マガジンのカバー画像

武蔵野シェアハウス発、辺境の山旅

12
1990年代末、若き日のアルピニスト野口健たちと共に暮らした東京・武蔵野の木造一軒家。 無名の冒険家たちが集まるその空間は、異様なほどのエネルギーであふれていた。 「ヒマラヤに行…
運営しているクリエイター

#シェアハウス

連載第9話 スポンサー活動への同行

連載第9話 スポンサー活動への同行

 18歳の時だった。
 静岡の港町から上京し、私は武蔵野にある大学に通っていた。はじめは自分でアパートを借りていたが、すぐに山岳部が共同生活をする古い木造一軒家に引っ越しをした。野口健、田附秀起、長尾憲明という先輩方がそこに住み、マネージャーの宮上邦子が、そこに入り浸っていた。

 1998年当時、「七大陸世界最年少記録」を目指していた25歳の野口健は、その夏、七つ目のエベレストに登頂するという目

もっとみる
連載第7話 光り輝くエベレスト登山計画

連載第7話 光り輝くエベレスト登山計画

 そんなわけで(前回参照)、突如として野口健の家に現れた長尾は、そのままそこで住み始めることになった。
 長尾は、2階の4畳半の部屋を割り当てられたが、その部屋にはほとんど行かず、1階のリビングで黙々とテレビを見続けていた。
 深夜までずっと見つづけ、そのまま寝落ちしてしまうことがほとんどだった。
 飽きれた野口が
「そんな見ててよく飽きないな」 
 というと、
「これまで家にテレビがなかったんで

もっとみる
連載第6話 シェアハウスの始まりと「どん底」の野口健

連載第6話 シェアハウスの始まりと「どん底」の野口健

 八ヶ岳から帰りしばらくすると、私は「シェアハウス」に引っ越しをした。
 2階の4畳半の部屋はわずか17,000円。
 しかも1階のリビングを共同で使える。
 武蔵野の中央線沿線の物件としては、破格だったと思う。
 90年代末期に、こんな60年代初期のような「下宿」作りの一軒家が残っていたのは、ひとえに田附の力だったようだ。
 私が、引っ越しする前、以下のような顛末から「シェアハウス」は始まったら

もっとみる
連載第5話 地獄のトレーニング計画、未遂

連載第5話 地獄のトレーニング計画、未遂

野口健さんともそのシェアハウスで数日後に会ったが、彼は開口一番こう言った。
「今週末は、富士山に行くぞ」
長尾さんとのヒマラヤ6000m峰に向けた調整にとのことだった。
ただの富士登山ではなかった。
「0合目から富士山山頂まで往復。それを3日間で3回やる!」
私は富士山に一度しか登ったことがなかったから、そのプランに驚愕した。登ったのは夏山で、もちろん五合目からだ。
野口さんと行くのは4月の雪山。

もっとみる