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武蔵野シェアハウス発、辺境の山旅

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1990年代末、若き日のアルピニスト野口健たちと共に暮らした東京・武蔵野の木造一軒家。 無名の冒険家たちが集まるその空間は、異様なほどのエネルギーであふれていた。 「ヒマラヤに行…
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#太陽のかけら

連載第8話 97年、野口健のエベレスト挑戦の映像

連載第8話 97年、野口健のエベレスト挑戦の映像

超人サイクリスト長尾のシェアハウス入りで情熱を取り戻した野口健は、1997年5月、田附や宮上ともにエベレストに挑むことになる。
 直前に行われたネパールでの高所トレーングには、エベレストには行かない長尾も参加することになった。
 このエベレスト遠征は、家電メーカーがスポンサーについていたこともあり、野口たちはそのメーカーのビデオカメラをよく回していた。

 私がシェアハウスに引っ越してきたのは

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連載第7話 光り輝くエベレスト登山計画

連載第7話 光り輝くエベレスト登山計画

 そんなわけで(前回参照)、突如として野口健の家に現れた長尾は、そのままそこで住み始めることになった。
 長尾は、2階の4畳半の部屋を割り当てられたが、その部屋にはほとんど行かず、1階のリビングで黙々とテレビを見続けていた。
 深夜までずっと見つづけ、そのまま寝落ちしてしまうことがほとんどだった。
 飽きれた野口が
「そんな見ててよく飽きないな」 
 というと、
「これまで家にテレビがなかったんで

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連載第6話 シェアハウスの始まりと「どん底」の野口健

連載第6話 シェアハウスの始まりと「どん底」の野口健

 八ヶ岳から帰りしばらくすると、私は「シェアハウス」に引っ越しをした。
 2階の4畳半の部屋はわずか17,000円。
 しかも1階のリビングを共同で使える。
 武蔵野の中央線沿線の物件としては、破格だったと思う。
 90年代末期に、こんな60年代初期のような「下宿」作りの一軒家が残っていたのは、ひとえに田附の力だったようだ。
 私が、引っ越しする前、以下のような顛末から「シェアハウス」は始まったら

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連載第5話 地獄のトレーニング計画、未遂

連載第5話 地獄のトレーニング計画、未遂

野口健さんともそのシェアハウスで数日後に会ったが、彼は開口一番こう言った。
「今週末は、富士山に行くぞ」
長尾さんとのヒマラヤ6000m峰に向けた調整にとのことだった。
ただの富士登山ではなかった。
「0合目から富士山山頂まで往復。それを3日間で3回やる!」
私は富士山に一度しか登ったことがなかったから、そのプランに驚愕した。登ったのは夏山で、もちろん五合目からだ。
野口さんと行くのは4月の雪山。

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