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まだ龍なんじゃないか


ネッシーは、居る。

そう確信したのは、支笏湖の湖底を探索した時の事だ。僕は、底がガラス張りの船に乗り込み、双眼鏡で水中を覗いた。「支笏ブルー」と名が付くほど、特別な色、世界屈指の水質、濁りが0。あまりの水質に、数百年前に倒木した幹が、そのままの姿で残っている。遠くまで、深くまで、はっきりと見える。水中に重低音を響かせ、船が動き出す。プロペラの動きに伴い、砂煙が立ち込める。水の色が変わる。10m、100m。湖底が一気に深くなり、光が届かない世界が現れる。また色が変わる。青が深くなる。

ネッシーは、警戒心がかなり強い。これだけ歴史を重ねた星で、姿を見た事があるのは、僕を含めて、数名しかいないだろう。



幼稚園の頃、大波に飲まれた。

110cmの身長で遊べる浅瀬で遊んでいたはず。突如、身長の何倍もある波に飲まれた。こんな時に限って、親父は海の家に行っている。多分、誰かが叫んだんだろう。親父が、手に持った未会計のラムネを放り投げ、こちらに走って来るのが見えた。地上の記憶はここで途切れ、水中の記憶に変わる。その時、巨大なプレシオサウルスが現れた。

潮に巻き込まれ、正確な方向感覚を失う。泡立つ海。まるで洗濯機にかけられたシャツのように、流れに逆らえず回転を繰り返す。そんな僕を、嘲るように優雅に泳ぐプレシオサウルス。逆光で泳ぐ大きな影。美しすぎる映像に、僕は目を奪われた。嘘のような出来事に、海中で瞳孔が開いていたに違いない。そして、この日から、海が怖くなった。



一応、そういう設定にしている。波に飲み込まれて死にそうになったのは事実だが、いつからか話を盛り出し、自我が安定した頃には、プレシオサウルスを見た事にしていた。引き返せない。怖い。

なので、ネッシーは居るのだ。居るというか、居るという事にしてしまったので、僕の世界にはネッシーは居るのだ。


だから、湖底を探索している。

「!!!」

今、深くの方で、影が動いたんじゃないか。確信した。やはり、ネッシーは居るのだ。横で双眼鏡を覗く嫁の肩を、興奮気味に叩く。「何?」彼女は、イライラしている。僕が大きな声で「ネッシーだ!」というと、他の客の目を気にしてか「黙ってろ」という態度をとる嫁。だめだ、コイツには夢がない。

とある魔法少女が言っていた。「信じる力がみんなの魔法」と。見えると信じている者の前にしか、ネッシーは現れない。コイツの前には現れない。コイツは馬鹿だ。うんこだ。

これ以上、話を盛りたくない。いい加減、真実に辿り着かないと、いずれ取り返しのつかない盛り方をする気がする。でも、これ以上踏み込むのは危険過ぎる。でも、知りたい。でも…でも…でも…。続けるか、断念するか。悩んだ。

だから、僕は、世界の淡水魚水族館に行った。


水族館の水槽には人工の滝が流れており、流れ落ちる水、滴り落ちる水と、水だけで何種類もの音を奏でていた。これだけの轟音にも関わらず「水の中は無音なのだ」と思うと、不思議な気持ちになった。

日本の源流、ミシシッピ、アマゾンを抜け、アジアの淡水魚コーナーが現れた。数10mはある巨大な水槽。巨大なナマズ。巨大なエイ。恐ろしい模様。禍々しい姿。「ここになら、いるかもしれない」僕はそう思った。

水族館の最新部。一番大きな水槽。そして僕は見た。堂々たる姿。

あれは、ピラルクだ。

水槽の端に、小さな魚たちが集合している。話込んでいるようにも、遊んでいるようにも見える。その傍を、ピラルクが悠然と通る。水流に任せた体が、少しずつ流れる小魚。ピラルクの鼻先に当たる。ピラルクは、鬱陶しそうにしている。体が痒いのか、岩場に体を擦り付けている。魚も痒いのだと思うと、人間のように思えて面白くなった。

その時、突如、水槽に張り手する幼女が現れた。彼女は瞳孔が開いている。そして奇声をあげ、ピラルクに何かを訴えている。

あの日の僕と同じ目をしている。



そうか。そうだよな。それがプレシオサウルスでも、ピラルクでも、そんなのどうでもいいんだ。「小さい頃、プレシオサウルスを見た」それが事実か嘘かなんて、そんなのどうでもいいんだ。これ以上、話を盛り続け、人に嫌われても、そんな事、どうでもいいんだ。そういう事じゃない。

幼女の世界と、僕の世界には、確かに夢があるのだ。


幼女の訴えに見向きもせず、何食わぬ顔で、幼児の前を通り過ぎる巨大なピラルク。幼児との体格差を見ていたら「まだ龍なんじゃないか」と思えて来て、その後、ネバーエンディングストーリーを思い出した。


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