皮肉な幸福論。
2日間にわたる次男のサッカーの試合。
無事ハードスケジュールを終えました。
やっと平日に戻れる安堵からか、心地よい疲労感を感じている日曜日の夜です。
今回、ちょっと心の持ちように変化がありました。
今までなら、予定のずいぶん前から、あーゆううつだなぁ、と思って悶々とした心を抱えながら過ごしていました。
でも今回は、前日の準備の段階になるまで考えず、ほぼ当日のみがんばった、という印象でした。
そう、それは「書く」ことの思わぬよい影響でした。
毎日キョロキョロしながら心にひっかかるものへのアンテナを張ったり、自分の心に向き合って整理したり、好きなものを伝えるためにじっくり考えたり。
先のことではなく、今。
ネガティブなものよりポジティブなもの。
ネガティブからスタートしても、書いているうちに気持ちが整ってくる。
先のことを考えてくよくよしたり憂鬱になったりする時間が、そこに充てられているようです。
これ、どこかで聞いたことある。
マインドフルネス。
何年か前、将来の不安しか考えられなかった時期があり…。
そんな暗澹たる気持ちをなんとかしようともがき、その方法を探し求めてました。
そのとき出会ったもののひとつが、マインドフルネスでした。
過去や未来のことを考えすぎて不安やストレスを自ら増幅させ「心ここにあらず」の状態になる。その状態から抜け出し、心を"今"に向ける。
本を読めば、その理屈や方法は理解できる。
でも、実際にそれを必要としている状況では、なかなかうまくいかないんです。
気持ちをいい方に、いい方に、と思えば思うほど、今現在そういう状態ではないことが浮かび上がってしまう。
そんなことってありませんか?
今回は、まさに意識せず、日々の「書く」ことによって、"今"に向き合う状態がつくりだされていたんだと思います。
そうなると、他にも思い当たることがあります。
アランの『幸福論』。
時々、気まぐれに開いたページを読んだりするとおもしろい。本棚の中の大切な1冊です。
でも本屋で買った当初は、なんだかもっと真剣に読んで、自分に必要なところに線を引いた跡も残っています。
何かヒントを!とその時の私は必死だったんです。
そんな私に最近一番ぐさりときた言葉。
谷川俊太郎さんの『幸せについて』を本屋でぱらぱらとめくっていたとき。
確かに。
じゃあ、どうすればいいんだ…。
なんとも皮肉なものです。
"幸せとは何か"を考えていないときが幸せ。
何かに熱中しているとき?
ぼーっとくつろげているとき?
むしろ日々忙しくしているとき?
"幸せってなんだろう?"って考えていないことに気付けたとき、もしかしたら幸せなのかもしれません。
今日はなんだかちょっと哲学的になってしまいました。
昨日図書館で借りた、向田邦子さんの『メロンと寸劇』。
やっぱり向田さんのエッセイは素晴らしく、この出会いにまた感謝。
なかなか最近長編は読めないので、短編集やエッセイなどをぽつぽつ読んでいます。
今日もこれから寝る前に少し。
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