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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#差別

ハンセン病と明治の文芸(1) 幸田露伴と尾崎紅葉

ハンセン病を「題材」とせずとも、「ネタ」「挿話」としている小説や批評は少なくない。そのほ…

藤田孝志
4週間前
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光田健輔の「患者観」(3):善意と誠実

光田健輔の自伝を読みながら,彼の考えと行動を軸に,日本のハンセン病政策-絶対隔離政策の歴…

藤田孝志
2年前

光田健輔の「患者観」(1)

―全国にはどのくらいの病者がいるのか見当もつかない。おそらく十万人くらいはあるとさえ考え…

藤田孝志
2年前

光田健輔の「患者観」(2)

『島は語る ハンセン病市民学会年報2010』に集録された「総括座談 島の当事者の声を聴いて…

藤田孝志
2年前

光田健輔の「独善性」

本人が「善意」あるいは「真正」と思い込んでいる場合,それを「独善」であると本人に認めさせ…

藤田孝志
2年前
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光田健輔と「特別病室」

光田健輔の『愛生園日記』に「ライと人権」と題した一文があり,その中で「特別病室」に言及し…

藤田孝志
2年前
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「らい予防法」の背景

○第1回国際らい会議 1872(明治5)年,ロシア皇太子の来日を前に,東京浅草において物乞いをしていたハンセン病患者が,本郷加賀屋敷の長屋に強制収容された。これは,近代日本が欧米諸国に列するために,首都東京でハンセン病患者が物乞いする状態を見せたくないという政府の方針に沿ったものであった。 近代以前,為政者は患者が神社仏閣の門前で物乞いをしていても何ら関心を示さなかった。ハンセン病は業病であると考えられており,一般国民からの嫌悪感はあっても,恐怖心は少なかった。 189

『日本のアウシュビッツ』

「特別病室」(重監房)に関する貴重な証言である本書は,ぜひとも多くの方々に読んでいただき…

藤田孝志
2年前

「ハンセン病」関連史

明治以降のハンセン病関連の出来事をまとめてみた。 ハンセン病に関する歴史は多くの方々がま…

藤田孝志
2年前
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「ハンセン病」問題を問う

ハンセン病患者の置かれてきた社会的立場や周囲の彼らに対する偏見・差別の様態と対応を見ると…

藤田孝志
2年前

言葉と表現 - ハンセン病と新型コロナ-

ハンセン病問題と新型コロナ問題の共通点についてはさまざまな面から指摘されている。同じ感染…

藤田孝志
2年前

ハンセン病呼称の変遷(1)

2005年1月,「南野法相,ハンセン病の差別的表現繰り返す」と題した記事が読売新聞に載っ…

藤田孝志
2年前

ハンセン病呼称の変遷(2)

1995(平成7)年4月に開催された日本らい学会総会において「らい予防法」検討委員会より…

藤田孝志
2年前

ハンセン病呼称の変遷(3)

『証言・ハンセン病-療養所元職員が見た民族浄化-』(森幹郎)に,ハンセン病呼称に関する言及があった。 …1951年,第十二回国会参議院厚生委員会に参考人として出席した長島愛生園園長・光田健輔は「癩病をハンゼン病と変えたらいいではないか」という質問に対し,「病名をハンゼン病というふうに日本で変えるということについては,子供みたいな話ではないかと私どもは考えるのであります」と証言しました。また,何かのとき,私に向かっても「ハンセン氏病か!」と吐き捨てるように言いました。「ハンセ