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言葉と表現 - ハンセン病と新型コロナ-

ハンセン病問題と新型コロナ問題の共通点についてはさまざまな面から指摘されている。同じ感染症という点から「目に見えない恐怖」が助長され,患者への偏見や差別が攻撃性をともなって拡大している。問題となっている行き過ぎた「自粛警察」は,かつてのハンセン病の根絶を目指した「無らい県運動」と酷似している。

両者の共通項について,ハンセン病市民学会共同代表の内田博文氏は「自覚のない民間の関与」だと指摘する。以下,内田氏への取材をまとめた「読売新聞」(2020年6月8日)の記事より引用する。

官民一体となって展開された無らい県運動は,戦前より戦後の方が強力に推進された。戦後は民間の関与が大きくなり,暴走したからだと,内田氏は指摘する。例えば,小中学校は,児童・生徒の身体検査で患者の発見に自主的に協力し,住民の通報も奨励された。患者が見つかれば,自治体職員らは患者やその家族に隔離に従うよう強く働きかけ,家屋の徹底的な消毒も行った。その結果,患者だけでなく家族も地域にいづらくなった。
民間が暴走した背景には,隔離の根拠が,戦前の「社会防衛」から戦後は「患者の保護や福祉」へと変わったことがある。「運動に参加する人々は,患者や家族の保護のために,良いことをしているという意識だった。差別の加害者との自覚はなかった」
内田氏は,今回のコロナ渦で見られる,「感染を防ぐような行動を取らなかった」と見なした感染者への激しいバッシングや,外出者や営業を続ける店舗を厳しくとがめる「自粛警察」と呼ばれる現象は,「民間が国の政策を下支えし,強いプレッシャーをかけるという点では,無らい県運動とよく似ている」と強調する。各人は正当な行為と思っているため,基準もバラバラなまま,歯止めがかからず行動が過激化していくという。

何より恐ろしいのは,自らの言動が<正義>であるとの思い込みである。国のため,国民のため,家族のため…等々の理由による自らの言動の正当化であり,その正当化が<正義>の名を冠することである。しかも,それゆえに本人は自らの言動を検証することもない。むしろ,「良いことをしている」との思い込みが強く,共感する人間が多いほど,ますます過激になっていく。

「行き過ぎた言動」の背景には<知識の乏しさ>があり、正しい知識、最新の知識をなかなか受け入れない頑迷さがある。特に専門性の高い分野では,言葉や表現が誤謬を生むことも多い。

10年ほど前に書いた記事なので,牧野氏によって指摘された「表現」は改善されていると思うが,問題点を明らかにする例示として再掲する。

『ハンセン病市民学会年報2011』「分科会C啓発のあり方を問う」の中での邑久光明園名誉園長牧野正直氏の発言を紹介して,「言葉と表現」について考えてみたい。
啓発パンフレットの問題性は,これまでも告発されてきた。一昨年の岡山集会においても牧野氏はパンフレットに記載された「言葉と表現」について,科学的・医学的に誤解を招きやすい表現を指摘している。弊ブログでも取り上げたが,今回の牧野氏の説明はよりわかりやすいものなので,少し長くなるが紹介しておきたい。

次に啓発における問題点というのを見ますと,…『ハンセン病のことを知っていますか?』というゆうな協会のパンフレット…,まず一番に,「遺伝病ではありません」。二番目に「伝染力の極めて弱い病原菌による慢性の感染症です」。それから,「不治の病気ではなく結核と同じように治癒する病気です」。これを個条書きに書くという問題ですね。
…ハンセン病っていうのは,必ず隔離とか差別・偏見につながるものです。もし治療できなかったら差別していいのか,偏見をもっていいのか,個条書きになっている文章を否定してみたらよくわかるんですね。うつる病気だったら差別していいのか,よくないですね。遺伝病であれば差別しても問題はないのか,…
もう一つ問題は,ハンセン病の解説です。N県のパンフレットですが「らい菌が人工培養,試験管内で培養できないほどとても弱い菌であり」と,この文章がわからないですね。何が弱いんだろうか,意味が科学的に何も表現できていない。次にH県の新しいハンセン病啓発パンフレットですが,「らい菌は試験管で培養できないほど弱い菌です」。…実際にこの「弱い」って何を意味するんですか。…これも間違いなんです。例えば「空気に一分間触れると死んでしまう」,こんなことはまったくの嘘です。
例えば,「弱い菌です」というのを感染力と仮にして,「感染するものすごく恐ろしい病気じゃありません」ということにしたとすればですね,これも完全におかしいんですね。まあ一番いい例は,マラリアっていう病気です。これは試験管培養できないんです。じゃあマラリアは病原性の弱い病気か,そうじゃないですね。現在でも全世界で何億人っていう人がマラリアにかかり,毎年何百万人もが亡くなっていくわけですね。…だから,培養できることと菌の弱さとは関係がないんですね。すなわちこういうパンフレットを作って,いかにも「らい菌は安全な菌である」というようなことを啓発することは根本的に間違っています。
少し科学的なことを言いますと,「病原性」,これは病気を起こして発病させる力ですね。こういう力はどういうふうに表現されるかというと,「感染力×発症力」+「毒素」なんですね。病気を起こす菌の中には毒素がある菌があります。一番いい例はコレラ菌です。コレラ菌は,分裂すると毒素が出てくるんですね。この毒素が腸管を強く刺激して激しい下痢を起こして,人間は脱水を起こし亡くなっていくわけです。だけどらい菌には毒素はありません。らい菌の病原性は何で弱いかというと,感染力はあるんですよ。しかし発症力が非常に弱い。
…私も療養所におりましたからおそらく感染はしていると思いますよ。だけど私の体の中にらい菌がきても,らい菌自体発症力が非常に弱いし,私も免疫を持っている。そうしますと,発症力はゼロに近いのです。ゼロに近いものとあるものをかけてもゼロになってしまうということで病原性は極めて低いとなってくるわけで,私は発病しないわけです。…感染力も発症力もないような弱い菌が,古来何千年と人類を悩まし続けるはずはありません。
鹿児島県のパンフレットの中では「ハンセン病を啓発する」,こういうスタンスはもう終わっているんですね。どういうふうに変わってきているかというと,パンフレットに「ハンセン病問題」という言葉が出てきているんです。「ハンセン病問題をどう考えるか,ハンセン病問題を正しく理解しましょう」。「ハンセン病を」じゃないんですね。
…このゆうな協会のパンフレット…二番目に,「伝染力の極めて弱い病原菌です」。さらに小さい字で,「らい菌は非常に感染力が弱く日常の生活では感染しません」。…ハンセン病にかかった人たちは「日常の生活」をしていなかったのか,なんか特殊なことをしたからハンセン病にかかったのかと聞いてみたくなります。らい菌が弱い菌であるということ言いたいがために,HIV感染でも同じように表現されますね。「日常生活ではうつりません」。HIV感染症は性感染症に属しています。じゃあ,性生活っていうのは日常生活じゃないのか,非常に疑問があります。


新型コロナに関しても,ネット上にはさまざまな情報が散見している。中には,明らかな臆測や誤認に基づいた個人的見解がさもありなんと思わせる表現や独断的な表現で書かれている記事もある。あれこれとネット上の記事をかき集めて,都合良く引用したり,一部分を抜き出したり,誇大解釈をしたりして書いている者もいる。あらたな差別や偏見を生み出したり助長したりするおそれがあるなどの配慮は一切ない。

不十分な知識をもとに,先入観と臆測に基づいた独断と偏見で断定的に書く人間ほど始末の悪いことはない。なぜなら,自分は正しいと,良いことをしていると思い込むからである。そして世間や社会が受け入れないのは,人々がわかっていないからか,自分が排除されているからだと考える。
ハンセン病を未だに「らい病」「ハンセン氏病」とブログに書いて記事として発信する人間もいる。ハンセン病に関する記事を書くのであれば,詳細に調べるなり勉強するなりして書くべきである。

ハンセン病と同じく,新型コロナに関しても二次的・三次的な被害が起こるような危惧をもっている。差別や偏見の根拠となるおそれがあるからだ。ハンセン病の轍を踏まないようにするためにも,すべての人々が正しい知識と認識をもち,言葉と表現に配慮することが需要である。そして,すべての人間に感染症にかかるリスクがあると認識すべきである。

感染者は加害者でも被害者でもないのだ。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。