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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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記事一覧

<特別病室事件>再考(10)

次に取り上げられたのが不正会計問題である。 不正の証拠である慰安会々計簿及び別途会計簿の…

藤田孝志
11時間前
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<特別病室事件>再考(9)

8月15日午後7時から第一回患者大会が開催された。大和ら総和会常務委員会全員が出席し、患…

藤田孝志
2日前
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<特別病室事件>再考(8)

「特別病室」設置の要因となった1936年に起こった「長島事件」(長島愛生園)は、ハンセン…

藤田孝志
3日前

<特別病室事件>再考(7)

ここで、福岡安則が『裁判抜きの「重監房』によって明らかにした「訂正」を紹介しておきたい。…

藤田孝志
4日前
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<特別病室事件>再考(6)

なぜ、栗生楽泉園に「特別病室」が造られたのか。私は、どうしても光田健輔の影を見てしまう。…

藤田孝志
7日前
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<特別病室事件>再考(5)

「重監房」に収容された鈴村秀夫は,どうなったか。 「特別病室」の最長在監記録は「満八十山…

藤田孝志
8日前
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<特別病室事件>再考(4)

私が大事にしている『栗生楽泉園入所者証言集』は、谺雄二さんにいただいたものだ。 「特別病室」(重監房)について調べていたとき、沢田五郎さんの『とがなくてしす』、高田孝さんの『日本のアウシュヴィッツ』を手に入れて読み込み、どうしても谺さんと話がしたくて、栗生楽泉園に電話をかけた。谺さんの体調を気遣いもせず長話をしてしまった。その折りに『栗生楽泉園入所者証言集』の話が出て、活用してくれるならと送っていただいた。「会いに行きます」と約束しながら年月だけが流れ、ついには谺さんの訃報を

<特別病室事件>再考(3)

以前、キリスト教の牧師(現在は隠退牧師)が自身のブログに、かつて長島愛生園を他の牧師達と…

藤田孝志
11日前
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<特別病室事件>再考(2)

なぜ草津の栗生楽泉園に「特別病室」が設置されたのか。 各療養所には監禁所(監房)が完備さ…

藤田孝志
13日前
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<特別病室事件>再考(1)

ハンセン氏病患者協議会編『全患協運動史』には、患者たちの「事実」と「誇り」が書き綴られて…

藤田孝志
2週間前
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光田健輔論(64) 「らい予防法」の背景(1)

「らい予防法」成立の背景は、成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』に詳しいので、これを元に…

藤田孝志
2週間前

光田健輔論(63) 「三園長証言」の考察(12)

光田健輔を、ミッシェル・フーコーの<牧人権力>の図式をもとに考察したのが武田徹である。武…

藤田孝志
3週間前
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光田健輔論(62) 「三園長証言」の考察(11)

「三園長証言」以後、厚生省は「癩予防法」の改正を進めていくが、その背景について考察してみ…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(61) 「三園長証言」の考察(10)

医者は医者であって警察でも裁判官でも、まして行刑の執行官でもない。当然のことである。しかし、かつてのハンセン病療養所は、所長(園長)がいわゆる「三権」を掌握して独裁的な運営を行っていた。所長は、療養所の運営という「行政権」を持ち、彼らが言う「不穏分子」「不良患者」を裁く「司法権」を持ち、園内で通用する規則をつくる「立法権」を持ち、さらには患者を「強制収容」あるいは「監禁」「懲罰」する「行刑権」までも持っていた。まるで絶対王政である。 戦後、新憲法による基本的人権の保障、さらに