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光田健輔の「患者観」(2)

『島は語る ハンセン病市民学会年報2010』に集録された「総括座談 島の当事者の声を聴いて」より,徳田靖之氏と内田博文氏の発言から光田健輔の考えを検証してみたい。

1 「孤島隔離論」

1915年,光田健輔は内務省に「癩予防に関する意見書」を提出する。その中で,光田はハワイのモロカイ島のような絶海の孤島にハンセン病療養所を設置して患者を収容すべきであるという考えを明らかにする。翌年,内務省は光田の考えを正式に採用する。
徳田氏は,なぜ光田が「島」を選択したかについて次のように推察する。

…その第一は,「隔離の徹底」「隔離の完全化」ということだと思います。…完全に隔離することによってハンセン病の感染拡大を防ぐということが第一点であり,そして第二点として,島に隔離することを通じて完全に,ハンセン病と診断された人たちを抱え込むことができる。第三に,その上で,その島における療養所の中を完全に密室化できる。

孤島への収容ほど「絶対隔離」を実現するに適した方法はない。「絶対隔離」の条件は,社会との隔絶と脱走不可能である。完全ではないにせよ,離島はその条件を満たす最適の場所である。この条件が必要な施設は「刑務所」であって,「療養所」には不要である。光田は,ハンセン病患者の「療養」よりも,社会からハンセン病患者を「消滅」させるために「絶対隔離」を選択したと考える。ハンセン病患者をすべて収容し,完全に隔離し,社会と遮断することで,ハンセン病を社会から根絶しようと考えたのである。それは,まるで犯罪者を「遠島」に「島流し」した江戸時代の刑罰の発想と同じである。ハンセン病患者の立場ではなく,(患者以外の)社会の立場からの施策である。社会を守るために,患者を犠牲にする立場である。

2 「楽天地論」…パラダイス創造論

光田健輔が「孤島隔離論」を推進したもう一つの大きな理由は,島に療養所をつくることで,島に「楽土」「楽天地」「パラダイス」をつくり上げることができると考えたことにある。

光田は「社会の中で過酷な差別に晒されて,惨憺たる思いをしている人たちは,その社会の中で苦しみがますます増えていくっていう状況よりも,その社会から完全に隔絶された中で,同じ病の者同士が暮らしていくほうがはるかに幸せ」であり,「同じ病の者同士が生活共同体をつく」り「抜け出すことのできないという物理的状況の中で宗教的慰安と娯楽を与えれば,入所者たちは幸せになる」と考えた。
つまり,社会の中で過酷な差別を受けるよりも,社会から隔絶された孤島の中で,同じ病の者同士が生活共同体をつくって,宗教的慰安と娯楽を与えられて生活する方がハンセン病患者にとって幸せだと光田は考えたのである。

「孤島隔離論」の前提となる光田の認識をまとめれば,次のようになるだろう。
①ハンセン病患者は社会の中で過酷な差別に晒されている。
②ハンセン病は遺伝的要素をもち,感染力の強い,恐ろしい伝染病である。
③ハンセン病は完治することのない,不治の病である。

①は,ハンセン病に対して社会がもっている苛烈な差別と偏見についての認識であり,②と③は①の根拠ともなるハンセン病についての認識である。ただし,ハンセン病に対する光田の認識は社会が抱いているほどではないように思える。

光田健輔は『愛生園日記』に,次のように記している。

いままでにひとりのライ者も出したことのない家族の中から家族の中に,突然ひとりのライが発生しても,その家は未来永劫ライの血統であるという烙印をおされる。そしてその家族や子孫との結婚はおろか,交際もできない境遇に落ちて,過酷な差別待遇に苦しまなくてはならない。こうした精神的な苦痛があるばかりでなく,その肉体的な変貌はどうしようもない絶望の淵へ,人間をつき落としてしまう。

この認識が光田の「ハンセン病患者観」であり,それゆえの「絶対隔離推進論」である。彼のハンセン病に対する「不治の病」「遺伝病」「伝染病」,そして社会から絶望的なほどに嫌悪される差別の現実という根本的な認識は,特効薬プロミンの発明以後も終生変わることがなかったように思える。

なぜ光田はこの認識を変えることがなかったのだろうか。否,できなかったのだろうか。それは,彼のハンセン病医学の第一人者であるという頑強な信念と自負心によると思われる。そこには彼の屈折したコンプレックスすら感じられる。

3 「救らい思想」

光田健輔の強烈な自負心はどこからくるのだろうか。徳田氏は,次のように考察する。

…光田さんの特徴は,それは自分が決める。ハンセン病療養所の医師や管理者が,入所しているみなさんにとって何が幸せかっていうのは自分が決めるという,そこにある。入所している方々にとって何が幸せかっていうのは,当事者自身が決めるべき問題だ。それを,園長が決めていく。たとえば,宗教的慰安と娯楽を与えることで幸せになる,なるはずだ。なぜそう思うのかっていうところに,私は,その「光田イズム」のもうひとつの特徴,「救らい思想」があると思うんですね。自分たちは,このハンセン病を患った上に社会的に過酷な差別に晒されている人たちを救うために,一生を捧げているという自負心,この「救う」という意識が,入所しておられるみなさん方にとって何が幸せかっていうことも,自分たちが決める。救おうとしている自分たちが,これが幸せだと思うことが,入所しておられるみなさんにとっても幸せであるはずだという,ここにあるわけです。

時代背景と,その当時の道徳観・価値観・社会観・人間観などが光田の人間性や考え方に影響を与えていることは確かではあるが,それにしても光田健輔の傲慢ともいえる剛直さには驚嘆する。この光田健輔の自負心,剛直さを支えている「大義名分」が「救らい思想」である。

光田さんの特徴は,自分の方針に忠実で,あるいは自分を慕ってくれる人に対しては限りない「慈父」のような,すばらしい,なんていうか,配慮を示す大人物だったと私は思うんですけれど,逆らう者には過酷に弾圧を加えるといいますか,なぜそんなふうに入所者の方々に対する態度が二分するかというと,つまり「救らい者」というか,先ほど内田先生が言われましたけど,やはり神の上,高みに立っている人,その人が,「本当に気の毒なあなたたちのために私がやってあげるんだ」という,その意識の強さが,自分の方針に忠実に従おうとしている人たちに対しては限りなく「慈父」のような優しさを示し,最大の寛容さを示す。しかし,逆らう者に対しては,この「楽土建設を阻害する者」として「反逆者」として厳しく対処するという,二面性を持ってきているのではないか。

自分の主義・主張に賛同してくれる人に対しては友好的な対応をとるが,承認しない相手に対しては辛辣なイヤミと皮肉を執拗に繰り返す人間を知っているが,光田健輔の人間性と同種のものを感じる。

4 パターナリズム

光田健輔の姿勢の根本に「パターナリズム」があったと内田博文氏は考察する。

「強い立場にある者が,弱い立場にある者の利益になるようにと,本人の意思に反して行動に介入・干渉する」パターナリズム…「光田イズム」のバックボーンにそれがあったのではないかと思われるからです。
…この「名医」っていう考え方はあくまでも,医療従事者にとっての名医でして,患者さんにとっての名医という視点が,まったく欠けている考え方です。もうひとつ気になりますのは,この「名医」という考え方が,医師は神になる努力をしなければいけない。神に近づくことによって医師は名医になるんだ,というところに答えを求めているところです。…努力したからといって人間が全能の神になることはできない。この「できない」ことを率直に認めないところに,非常に大きな問題があると思います。
…光田健輔さんはまさに名医になろうとされた。名医になろうとされたがゆえに,ハンセン病について私はすべてよくわかっている。入所者のこともよくわかっている。患者さんのことも一番わかっている。だから,私が決めるのが一番患者さんのためになるんだ,入所者の方になるんだ,と錯覚してしまった。自分はあたかも「神」のような存在だと思ったというところに,大きな過ちがあったのではないかという気がします。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。