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光田健輔の「患者観」(3):善意と誠実

光田健輔の自伝を読みながら,彼の考えと行動を軸に,日本のハンセン病政策-絶対隔離政策の歴史的背景をまとめる作業を進めているが,あらためて人の人生とは何だろうかと考えてしまう。

光田健輔は「現在」を知らずに亡くなっている。彼が亡くなった当時は,彼の思うハンセン病政策が継続していた。絶対隔離政策によって国内のハンセン病患者はほぼ完全にハンセン病療養所に収容され,彼がハンセン病撲滅を決意する契機となったような浮浪患者はいなくなっていた。
晩年の光田は,自らが考え実行した「絶対隔離によるハンセン病撲滅」政策に満足していたことだろう。

彼の目には,死んでいった多くの患者たちは「解剖のための実験材料」であり,彼(や彼に同調する所長たちの方針)に反発して「監房」や「重監房(特別病室)」に入れられた患者たちは「不良患者」であって,彼らの死に心痛めることはなかったのだろう。

光田の自伝(『愛生園日記』)には,彼の本質がよくわかる文章が記されている。ある意味,彼は正直な人物であった。

…どこの療養所も彼らにとっては,終生の住み家なのである。
この無期囚人にひとしい人たちを扱うためには…
善意と誠実でやることだ。勇気を出さなくては,何事もできるものではない。私が告訴されれば刑務所へ行くまでのことだと覚悟をきめた。
二十一才ではじめてライ患者に接触以来,八十二才の今日まで,この仕事一途に没頭してきて,いまさら仇敵呼ばわりされるのは,さびしくないこともないが,それがライ医学者の宿命だと,私は思っている。しかしたとえライ患者から仇敵といわれようと,時世を知らぬ頑迷固陋とののしられようと,私は一歩も退くことはできない。私は社会をライから守る防波堤となって,堤がきれたら自分のからだを埋めて人柱となろうという,命がけの決心で暮らしてきたのだ。

これらの言葉をどのように受けとめればよいのだろう。
一面では彼自身が言う「善意と誠実さ」を感じるが,他面では自ら認めるように「頑迷固陋」そのままである。
しかし,この開き直りとも思える彼の頑強な独善性のために,どれほど多くの患者や家族が苦しんだことだろう。

「善意と誠実」という美名の影に「自己正当化」「独善性」が加味されるとき,偏狭な教条主義に化ける恐ろしさを,教訓として学ぶ必要がある。

「ハンセン病の撲滅」という美名の影で,あるいは「療養所の治安維持」という大義名分の下で,絶対隔離が正当化され,懲戒検束権という超法規的措置が公認され,断種・中絶・解剖などが非合法であっても公然と繰り返され,患者は家畜のように飼い殺しにされてきた。

光田健輔ひとりの責任を追及するつもりはないが,彼の功罪は問われなければならないと思う。だが,それ以上に,彼に同調して従った人たち(光田一派)や,あるいは彼や彼の一派が創り上げた療養所やハンセン病対策のシステムを疑うことなく実行した人たちもまた問われなければならないと思う。

彼らの「善意と誠実」と思い込んだ行動について,今までなぜ検証されなかったのだろうか。
その結果,手段が目的のために正当化されたのだ。「目的」の正しさが「手段」を正当化することはない。

懲戒検束権の行使も,特別病室への送致も,当初の目的から逸脱し,「手段」だけがその効果に比してエスカレートしていったと考えられる。「頭を冷やしてくるか」「草津に送るぞ」等々の威しが目的とした効果を生むだけでなく,患者を従順にさせる以上の優越感や支配感を満足させたと思う。軍国主義の悪しき命令服従関係や力による制圧が有効手段と認められていた時代が背景にあった。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。