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真夏のジャズの夢・四季

私が学生の頃付き合っていた彼はジャズが好きだった。

二人でよくジャズバーに行ったり、なけなしのお金をはたいては、東京のブルーノートへ通っていた。

若かったからジャズ雑誌も隅から隅まで読んで、ジャズの本も読んで、ジャズの起源とか、有名なミュージシャンの演奏を片っ端から聞きまくった。


誰が誰の影響を受けていて、誰を支持していて、どの流派でどの先生について、どこのジャズバーでキャリアを積んでとか、そういうことも、い間彼と一緒にいるだけで、おのずと学んでいった。



彼のことが好きだったから、彼の好きなものも好きになれた。あのころは、好きになるっていうのはそういうことだと思っていた。


同じ色に染まり、二人が近づく。友達にも似てるって冷やかされ、それが何よりもの愛のあかしだと思っていた。


彼も私もなにかを演奏するということはなかったから、二人の夢は、仕事を持って、お金ができたら、世界中のジャズフェスティバルを見て回りたいってことだった。

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雑誌で見る、ヨーロッパのそしてアメリカのジャズフェスティバルは、おしゃれなジャズマンでいっぱいで、その空気に触れるだけでジャズの色に染まれる、そんなジャズフェスティバルに憧れた。その中に、二人で身を浸したかった。


私たちは、夏はこのジャズフェスティバルに行って、冬は、このジャズフェスティバルに行こうなんて、旅の計画を念入りに、練っていた。


その夢の旅は、果てしなく素敵で、果てしなく遠かった。私たちにとっては、その旅の計画を夢見ることが暖かい時間を与えてくれた。


上質なジャズを聴きながら、お金があったら車なんて買わないし家なんてほしくない、毎月飛行機のチケットを買って世界中を飛び回りたい、ジャズを聴きまくって、ジャズを聴きながら年をとって、ジャズフェスでジャズを聴きながらで死にたい、なんてことをあきもせず話していた。


そして、その甘い計画には年をとってもいつまでも二人で一緒にいる、ということが入っていた。

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彼はいつも言っていた、日本で聞くジャズは海外の有名なミュージシャンが演奏したところで、その場の雰囲気と空気の重さはやっぱり、本場に行って聞かないとだめだ。日本の空気ではだめなんだ。

本物の音は聞けない。


空調設備が整った音響効果の良いコンサートホールで聞く、ジャズはジャズじゃない。そんな彼の言うことを、鵜呑みにできるほど、恋に酔いしれていた。

その頃の私たちのサウンドトラックはジャズだったから、数年たってジャズを耳にすると、その頃の空気が戻ってきて、胸苦しく恋をしている、私の姿を思い出す。音楽はなによりも、なにかの感情を引きもどしてくれる。

どんなときにも、二人の間にはジャズが流れてた。


出会ったのも、彼の友達が経営しているジャズバーだった。ジャズのことを何も知らない私が東京の蒸し暑い夏の中、かっちりと冷房のきいたそのバーで、初めて彼からジャズの講義を聞いた。


何を話しているのか、その内容は、その頃の私には理解できないものだったのだけど、彼のその熱心に話している、はにかみがちな姿に心を奪われた。


一晩中話を聞いていたい、彼のそばにいたい、そんな気持ちがわきあがった。閉店まで、私達は話してから、終電時刻も過ぎ去ってしまった夏の夜、もう車さえ通らない、夏の熱さをたずさえたアスファルトの上を、地下鉄で数駅の、私の家まで二人で歩いた。

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その時もジャズが流れていた、彼のしぐさから歩き方からそして声から。



大学を卒業するまで、どんなことでも一緒にしたし、どんなところにも一緒に行った。お互いのプレゼントは、手に入りにくいジャズのLPレコードのことも多かった。

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レコードを受け取った後は、出会ったジャズバーへかけてもらいに行った。私たちはいつも一緒だったから、私が一人でいると、彼はどうしたのと聞かれ、彼が一人でバーに行くと、いつも私のことを聞かれた。

私たちはそういう関係だった。二人で一つ、そのことさえ、うれしかった。




私たちの関係は大学を卒業するころ少しずつ変わっていった。
それは、就職活動をしている時に始まった。


二人で音楽関係の出版社に勤めて、無名だけど有能なミュジーシャンをインタビューして写真にとってその記事を書いて話題にする、そんなこ
とを夢見る就職活動だった。


出版社ではなぜか私だけが面接に残り、ほんの少しだけ使える英会話力をみそめられ、内定をもらった。

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その時は、私より彼のほうが能力も音楽のこともよく知っているのに、彼に譲りたいそんな気持でもあった。


彼はクールにふるまっていたけど、あきらかにそんな裁定にうんざりしていた。


私たちはよく言う厳しい現実に直面しなければいけなかった。

二人で一つなんて、もう言ってられなかった。


私は内定を辞退しようとも思ったし、他の会社を受けてみたりもしたけど、ことごとく落ちた。

他の会社の内定をもらえることはなかった。

彼は出版社よりも、有力な一部上場の保険会社に入社した。
お給料も待遇もすべて私よりも良かった。



その頃になると、もうジャズの話に花を咲かすこともなくなった。

現実の生活に押し込まれていくように。
なにか、自分たちよりも大きなものに呑み込まれていった。


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大学を卒業して仕事を始めると、私は週末にライブハウスを巡ったりと彼とすれ違うことが多くなった。

その頃、音楽は自分を喜ばせるためではなく仕事のツールの一つとして接していた。


そんな私を、彼は、さげすむような目で見ていたし、私も、彼の音楽理論が、すこしだけ陳腐に聞こえてきていた。


大人になるというのは、そういうことか
もしれないし、長い間、付き合いすぎたのかもしれない。

関係が始まり熟すあたりまえのことだったのかもしれない。

大人になりきれてない二人が出会い、ただたんに大人になることで変わっていったことなのかもしれない。


その変化の速さに追いつくことが難しくなり、そしてどちらから別れを切り出すことさえも、億劫になってしまっていた。


そのことが余計、二人の溝を深め傷つけあうことになることは、若すぎで、わからなかった。

終止符をどこにうっていいのかさえ、わかっていなかった。



彼と最後に共にした場所もジャズの弾き語りが聞けるバーだった。

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その頃は、お互いの財布の中身を心配しながら、デザートは二人で一つオーダーする必要もない大人になっていた。


ジャズフェスティバルにだって、休暇さえ取れればいつでも飛んでいける、銀行預金も持っていたのに、もうそんなこと考える余裕はないな、という心持になっていた。


「どう、今日の彼女?」

私はかなり有名になってきた歌手について聞いた


「なんか、さあ、テクニックだけで、上滑り、」


好きだったときは、気に入っていた彼の辛辣な批評ももう聞きたくない気分になっていた。

仕事ではどんなアーティストもいいところを見つけて紹介する。


それがどんな小さなところでも音楽に関係ないことでもチャーミングな笑顔でも何でもよかった。

それはアーティストの可能性を広げることであったし、功を奏して一つの記事から育っていくアーティストもいた。


それは彼の持っている、子供のような好き嫌いで批判できる自由な立場とは、まったく相対するものだった。

たった一枚のアルバムも一晩のコンサートも、多くの人かかわってなりたっている。

人生も夢も時間かけて出来上がるもの。

そういうこともわかることが大人になることだった。

ビジネスでもあった。

何かを作り上げていくことができる代償として責任を負う。


「そうかなー。でも自信がついてより一層魅力的になってきたって感じがする。」
と私が答える。

「あのさあ、ちょっと最初のアルバムが売れたぐらいで調子に乗ってるみたいに見えるよ、本当のジャズの部分、アマチュアの時彼女が持っていた真の部分が失われたよ。野性味がなくなった、飼いならされた犬の演奏なんて意味を持たない。」


なぜかその時、自分について批判された気がした。

大学を卒業して、大人になって仕事をするためには、私の持っていたある部分を失われていく。


もうアマチュアではない学生ではなく、一人の大人の女性として、一人でやってかなくちゃいけない。


逆風が吹くこともあれば、どしゃぶりの中を傘を持たず一人歩かなくっちゃいけないこともある。

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心配で眠れない夜もある。


「でも、彼女の好きなトーンの音ばかりじゃ、独りよがりになる可能性もあるし。」


「ふーん、それが、マーケティングでプロの仕事なんだ。」


彼の声からはもうあの甘く切ないジャズは聞こえてこなかった。

彼の批判が私に向いた時、私達の即興はもう戻ってくることはなかった。

あんなにも、軽く心地よく響いていたのに。


そして、私たちの恋は終わった。

若い時の恋は、こうやってある季節を終えて終わっていく、夏の終わりを迎えるように、恋の終わりを迎えていった。




20年近くの月日がたった今、私はイタリアの田舎町にあるジャズフェスティバルに来ている。

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日本語を話すことのない2人の娘を連れて。


中世の街がある丘の上で行われている夏のジャズフェスティバルには、心地よい風が、流れている。20-30分も歩けば、町のすべてのが見れる、とても小さな町。


たった、3本の道を持つこの町では、上り坂であった人には、帰りの下り坂でまた出会える。


小さな教会の前や、古い噴水のある広場、中世のパティオで、石畳の坂の途中で、ところかしこで、ジャズの演奏がされている。


歩いていると、どこからとなく、ジャズが聞こえ、この丘のいたるところから、オリーブ畑の広がっている姿がかいま見える。


小さな町の人々が、道に出て、町はにぎわい、子供も犬も、そして、私達も石畳の階段に座って、星空のもとジャズを聴く。


夜が更けていくのをジャズと共に堪能する。

あのころの私達を連れてきたら、どんなに喜んだかしら、そして、彼はなんていったかしら。

彼は本物の音が聞けたって喜んだかしら。

若いころの夢が煙のごとくたちのぼる。

恋をしている夏に、擦り切れたレコードから流れてくるジャズは、本物だった。

もう、あの本物の音は聞けない、あの音はもう。

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