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高校生が読んでおきたい教養書:内田樹「下流志向」

下流志向ー学ばない子どもたち働かない若者たちー(内田樹 講談社文庫2009年)

こんな高校生にお勧め

進路に関してまだ未決定事項が多いけど「受験のために何かしないと」と焦っている高校1〜2年の段階で本書を読んでみることをお勧めします。もちろん現代文や小論文を受験科目として使う高校3年生も一読の価値があります。というのも、この本は講演会での話に加筆訂正されて出版されたものです。なので、評論文といっても堅苦しくなく話し言葉で書かれています。高校生でも読みやすいですが、評論文としては読み応えのある内容、テーマとなので大学入試で頻出なのです。早稲田大学教育学部自己推薦2018や聖心大学AO入試2012をはじめ、高校の教科書でも取り上げられる著者ですので大学に進学する前に一読しておくことをお勧めします。

どんな内容?

学校でよく聞く「先生、これは何の役に立つの?」「何のために勉強するの?」という質問。
この質問は、子どもが消費者として扱われる社会が背景にあるといいます。
昔は子どもは大人の言うことを黙って従うのが当たり前で、お手伝いをするのが当たり前とされていました。つまり、学校の授業に対して、何の役に立つか疑うことなく自分の時間をコストと支払っていたわけです。あるいは、お手伝いという労働コストを無償で支払っていたわけです。それによって社会が成立していたし、彼らが大人になれば自らが子どもを搾取できたわけです。コストや搾取というと人権侵害のように聞こえますが、古き良き時代に誰も疑うことなく、そうやって社会や家族が成立していたわけです。
一方で、最近では子どもでも一人前の消費者として支払った時間や労働に対して対価を求めるようになりました。時間を提供するなら、それに見合った内容を求めるようになったし、得られる物がなければ先にコストを支払うことをしなくなるわけです。コスパやタイパという言葉が流行るのも、この背景があるように思います。

等価交換は即時的

子どもであっても消費者として、コストを支払ったならば一人の自立した個人として見返りを求めるのが当たり前という社会において、その見返りは即時的でなければなりません。つまり、支払ったコストに見合う物は、その場で共有されなければなりません。お手伝いしてくれたら1年後にお小遣いが支払われるという構図では納得せず、お手伝いが終わったら即時に見返りを欲し、いくらもらえるかがわからなければ、お手伝いをしない。といったコストとの見返りの等価交換は即時的で、消費者側が納得しないと成立しません。

教育効果は長期的

一方で教育というのは1つの授業を受けたからといって急に何かが大きく変わるわけではありません。例えば鉄棒ができるようになったからといって、その子の人生に何が変わるのでしょうか?みんなが鉄棒のオリンピック選手になるわけでもないので時間をかけて練習して鉄棒ができることを「役に立たない」と断じてしまうのです。これはあらゆる教科でお起きていることです。
実際には、鉄棒の練習を通して、思いがけず、その才能を発揮する生徒もいれば、逆上がりができる筋力をつけることが学齢に対して健康的な身体として求められていることもあります。もっといえば、目標に向かって努力したり、友達と一緒に協力して取り組むことなどが学習目標として設定されていることもあります。それらは長期的な積み上げによって達成されることであり、鉄棒ができただけで、得られるものではありません。
このような即時的ではなく長期に渡って得られるものに対しては消費者は残念ながら盲目的です。

学級崩壊:不機嫌という対価

上記のように支払うコストに対して即時的な見返りが得られない子どもは、不機嫌という態度でコストの元を取ろうとしてきます。授業に対して寝ている方が得だ。授業妨害して見返りのある授業を求めてくるなど。学級崩壊、授業妨害の根底にある構図は即時対価を求めている消費者が長期的な見返りを十分に理解できていない、納得できていないがゆえに起きている社会現象と言えます。
さらには「自己決定」「自分らしさ」「内発動機付け」といった流行語が、この状況を後押ししています。誤解を恐れず言えば、教育の真価を理解していない狭い視野で、自分の好きなものだけを、自分らしいと勘違いして、自分で選択する。という構図です。

下流志向という意味

以上のように、現行の教育に対して即時的なメリットが得られないと「勉強しない」という選択に流れてしまいます。これは保護者側にも起きていることで、保護者が学習によってメリットを享受している層、例えば学歴によって社会的地位を築き、経済的にも裕福になれたご家庭は学歴を、重要視します。一方で保護者が学歴を持たず、そのメリットに盲目的だと子どもにも学習させることの意味を見出せずにいます。
結果として学歴を重んじる人々と、重んじない人々によって二極化しつつあり、勉強の意味を見出せない人々は学校教育を批判しながら、自ら下流に落ちていくという意味です。

まとめ

現代社会に見られる学ばない子ども「何のために勉強するの?」に対する回答とともに、人類が歴史を通して獲得してきた学ぶ権利を義務として捉え、それに反発することで自己肯定感をより一層高める構図に警鐘を鳴らす。もちろん学ばないことで、将来の自分がそのツケを払うわけだが、自己責任論ともに自立した人間としてむしろ称揚されている。
『学びからの逃走』『労働からの逃走』が個性の発現、生き方の自由だと考える人が 増えていることへの警鐘が語られています。また、「わからないことを、わからないまま」にし ても全く不快さや不安さを感じないから、子どもたちは、学ばなくなったと主張しています。子どもの学力低下やニートやフリーターの増加など、日本社会が抱えている問題を論じています。
以上のような論理は子どもだけでなく、労働者としての若者にも当てはまり、本書ではそこ説明されていますが、今回は省略します。

大学入試出題例(聖心女子大AO入試2012)

添付の文章は、内田樹「下流志向:学ば無い子供たち 働かない若者たち」の一部です。この文章を読んで、以下の問題に答えなさい。回答は別紙解答用紙に書くこと。

問1 著者の考えを200時以内で要約しなさい。
問2大学入学者の学力低下の問題について、あなたはどう考えますか。これまでの学びを振り返りながら、600時以上、800字以内で述べなさい。出典:内田樹(著)「下流志向:学ばない子どもたち 働かない若者たち」、(講談社文庫)、2009年7月、23-34頁

大学入試出題例(早稲田大学教育学部自己推薦2018)

以下の文章の趣旨を踏まえた上で「理想的なメンター(先達)」について、あなたの考えを500字程度で述べなさい。

その他、高校生が読んでおきたい教養書は以下

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