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2000年早生まれ

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2000年早生まれ

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23歳最後の散文

23歳、もうハタチの時みたいに胸を張って若い! と言えなかったこの1年は、 まだ若いよね?と言い聞かせながら過ごしました。 でもなにも焦らなくても みんな同じように時間は過ぎていきます。 わたし、 過去に戻りたいとはほとんど思ったことがなくて、 それってすごく、幸せなことだよねと。 23歳で知ったことは、 自分の特別や"いちばん"を 人に教えない方がいいということ。 その方がはるかに尊くて貴重なもののように思えるから。 キンモクセイは香りも好きだけれど、実はよく見ると

    • 2023最後の散文

      気持ちに余裕がちゃんとあった一年だったと。 すごく幸せなことです。 トータルして、フラッシュバックする誰かの言葉、 感動した景色は、すごく綺麗で優しくて宝物みたいに思う。 自分の時間をうんと大事にした年だったので、 それがよかったみたいです。 支えてくれる、支えたいと思う、 大切な人にも出会い、 生きる意味をもらった年でもあります。 ただ、大切なものができると少し怖くなることもあるね、 けれど2024年はそんなこと考えずに ただまっすぐに大事にしたいものを愛せたらと思いま

      • わたしの方こそごめんね

        「強くなるしかなかったよね。ごめんね。」 そう言ってわたしの頭を少しの力で撫でた母。 わたしは幼い頃から気が強くて逞しくて物怖じしない 性格だった。人見知りもせず、明るく気丈なように 周りから思われていると思うし自分でもそう思っている。 けれど、 たしかにプレッシャーにはすごく弱いし、 他人が気にも留めないことで悩み、 ご飯も喉を通らなかったりする。 自他との区別が自分の中ではっきりつかず、 他人に感情移入しすぎて立っていられなくなりそうなことも ある。 母親はそんなわた

        • 22歳最後の散文

          22歳、本当にたくさん笑って泣いて怒って働いて遊んで、 忙しかった、あっという間だった。 人とくっついたり離れたり、 そんなことを繰り返したりもした。 つらかったことも傷つけたこともいくつもあった。 22歳でわたしが知ったことは、  すべてのものを大切にすると、  すごく大切なものを見落としてしまうということ。  "会う"という行為が恋愛でない愛情においても  本当に大切だということ。  どれだけ体調管理を頑張っていても、  報われないということ。  自分が案外寂

        23歳最後の散文

          2022最後の散文

          忘れたくてもそうできないことが たくさん起きたように思う、この年。 なんて言葉にしたら伝わるのか分からなくて 誰にも言えなかったことがたくさんある。 言いたくて、言葉が出てこなくてもどかしかった、 そんなことがよくあったなあと。 それでも変わらず側にあるものを ずっと守りたいなとも思えた。 自分に優しい人よりも自分が優しくしたいと思った人を わたしができるいっぱいいっぱいで優しく。 人って、なんでくっついたり離れたりするの、 おもしろいね、可愛いね、しんどいね。 そんな

          2022最後の散文

          知らない

          わたしのこと分かるなんてできないでしょ と諦めて人と関わっている。 欲が深くて期待してしまいがちなわたしだから それくらいが丁度いい。 分かろうとしてもらえるだけで大好きになってしまうし。 明るくてノリがよくて冗談が言える、 いつもふざけて人を笑わせて、 そんな人が本当にお気楽な人なわけがないの。 泣いてないから悲しくないわけじゃないし、 怒ってないから無傷ってわけでもないし、 笑顔だから超幸せなわけでもない、 何も言わないからって何も思ってないわけないじゃない。 「そん

          知らない

          傷つけたのは、気付けなかったから

          数年前、その人のことだけを考えて それがばれないように必死に大好きでいて、 わたしそのものだった人がいた。 もうそれは過去になって、けれど、 散々傷つけたことには変わりない。 今でも思い出して苦しくなるのは、 罰を与えられてるからなんだろうな。 冷静になった今、 あの言葉嫌だったよな、あんな態度とったこと悲しませたよな と思うことができて、 考えるたびにごめんねって言いたくなる。 信用されてない、わたしは誰より信じてるのに!と ムキになっていたけれど、 よく思い返せば、な

          傷つけたのは、気付けなかったから

          21歳最後の散文

          21歳若くてダサくて不器用で毎日必死だった。 一人になりたい、一人にしないで。 自分でも訳がわからないくらい、自分に対してわがままだった。 21歳で知ったことは、  21歳が案外大人ではないということ。  どんなにダメダメでもわたしのことを見捨てないでくれる人がいるということ。  心配してくれる人がいるということ。  信頼するって身を削ることと似ているなということ。  読書量を増やした所で 語彙力は気持ちに追いつかないということ。  朝焼けよりも綺麗な夕焼けなんてないという

          21歳最後の散文

          2021最後の散文

          慌ただしい一年だったなあと溜息が出る。 もう嫌になりながらも仕事をして、 睡眠時間など関係なく好きな場所に出向き、 お金のことなんて気にもせずに着飾って、 消費して消耗していたら、 いつの間にか疲れていて、 何が言いたいか、休まないとやっていけないなあと 実感した一年でした、ということです。 体が、心が、痛感した。 身を焦がすほど誰かに縋ったり失望したりもしていない、 環境が大きく変わったとも思えない、 後になって振り返っても、 きっと忘れてることがほとんどなんじゃないかな

          2021最後の散文

          わたしの中にある優しい言葉、全部きみにあげる

          わたしの中にある優しい言葉、全部きみにあげる

          あまったるい

          泣けてきちゃうなあってすぐに涙をこぼすから 泣きながらそんなに無理して笑わないでよと いつも思っています。 「寂しいよ」ときちんと伝えてくれるから わたしがいるよって言いたくて、でも少し恥ずかしいから 言えなくて、かわりにちゃんと傍にいます。 どんな予定よりも大事なんだよと、 いつでも呼んでと繰り返し伝えています。 一人にしたら消えちゃうんじゃないかって 不安になるんだよ。 電車に乗ったらわたしの肩にもたれかかって 「フィットするんだ」って楽しそうに笑う、 「寒いね」って

          あまったるい

          どうせいつか終わる

          "どうせ"と言う言葉は好きではなかった。 全てにおいて諦めている気がして。気力がなさそうで。 けれど、 どうせいつかは辞める会社だし、 どうせいつかは死ぬんだし、 どうせ全部終わるんだよね。 って考えたら、前向きに笑顔になれる時もあって。 少し律儀に考えすぎてたな、 真面目に生きすぎてたな、と肩の荷がおりた気がした。 先週のある夜、わたしの相棒とも呼べる大切な人から 泣きながら電話がかかってきた。 最早電話からは泣き声だけが聞こえていた。 でも「消えたい」ってそれだけは確か

          どうせいつか終わる

          綺麗な愛なんていらない

          わたしがほかの誰かと仲良くしているのを見て とても不服そうにしている。 わたしがもっと髪の毛短い方が好きだよと言ったら 目を輝かせて美容室を予約していた。 撮ってくれた写真をインスタグラムのアイコンに設定したら みんなに自慢したい!とはしゃいでいた。 誰にでも分け隔てなく接するわたしを見て 「そんなのおかしい、嫌だ」とあからさまに妬いていた。 おそろいの物を身につけて喜んでいた。 わたしと一緒に居る時間がいちばん好きだと言った。 わたしだって同じだよ。 でも特別な

          綺麗な愛なんていらない

          大切な人のこと

          しっかりしていて、 いつも笑っているわたしのことが好きだと言った。 けど、そうじゃなくても大事だよって、そう言った。 全部見通されてる気がして、 なんだか恥ずかしくてでも嬉しくて幸せだった。 そんな人と過ごした時間が過去になった。 思い出になった。 これまで誰にも話せなかったけれど、 時間は何もかもを癒し、解決してくれるのだと、 身をもって体験した。もう大丈夫になった。 思い出話としてお酒のつまみにできるくらい。 彼以外ものはくだらないと思って生きていたわたしが、 ちゃんと自

          大切な人のこと

          父親が教えてくれたこと

          わたしのおっとりしていていつも楽しそうな所は 父似だと母は言った。 父親はいつも穏やかで、わたしと波長が合って、 とても気の合う友達みたいで、 お互いガッキーが好きでよきオタク仲間だし、 今は離れていてもドラマの話とかをLINEでする。 食べ物の趣味も合うから、地元にいた頃は週一で2人で 外食してたなあ。 そんな父は、それでもやっぱり友達ではなく父親で、 そう思わせてくれるのにはきっと訳がある。 きっとその訳を言い尽くせはしないだろうけど、 だからこそここに綴りたい。留めて

          父親が教えてくれたこと

          わたしには帰る場所がある

          地元を離れて一年以上が経った。 数ヶ月おきに帰ることができるわたしは 幸せ者だとそのたびに実感している。 ふるさとで生きていた思い出、時間、記憶、 あの時の温度、匂いまでもを鮮明に 肌で感じることができるからだ。 都会に出ることなど少しも考えずに過ごした 20年間、わたしは確かにふるさとで生きていた。 友達がいて、夢中になれることがあって、 もう嫌になりながら勉強もした。 たまに一人になりたくなって歩いたあの道は、 ちゃんと今もそこにあって、 ずっとずっと変わらずに存在してい

          わたしには帰る場所がある