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「当たり前」は当たり前じゃない。「常識」は常識じゃない。

高校教師の枝瀬です。
主に、
教育、心理、コミュニケーションや自己啓発、
日々の気づきを発信しています。

先日、以下の書籍を読んで
大いにインスピレーションを受けました。

人と人の価値観の
ちょっとしたズレに気づかせてもらい、
補正するヒントをもらったところです。

この記事も
読んでくださった方の、気づきのタネになり、
心が軽くなるきっかけになれたらいいな
と考えています。
どうぞ最後までお付き合いください。


生徒からの辛辣なコメント

自分が勤務している高校では
授業改善や普段の生徒との関わりを
見直すという目的で、

年に1回「授業評価アンケート」を
実施しています。

本心を書いてほしいという思いから、
生徒が匿名でコメントできる形に
なっているのですが、

昨年、
以下の辛辣なコメントがあり、
職員間で議論になりました。

生徒が考えを述べたときに
明確な理由を伝えずに否定したり、
逆に先生だけが独自の世界観で
解釈を楽しんでいて
生徒がついていけないことがある。

「(恋愛について)好きなタイプは?」
と授業中に(先生が)聞いてくる。
答えられなかったら「専門外か」などと
軽蔑してくるなどのセクハラに近い発言が
かなりしんどいです。

特定の教員や特定の授業を
名指しで批判しているわけではありません。

コメントを読んで察するに
その授業者(僕かもしれないのですが)に
悪意はなさそうです。

おそらく生徒を喜ばせる意図で、
あるいは授業を盛り上げるつもりで
独自の解釈や恋愛話をもちかけたのでしょう。

しかしながら、
配慮がいきとどかず、
不快な思いを抱いた生徒が
少なからずいたということです。

一言でいえば
コミュニケーションのすれちがい

こちらの「よかれ」が
相手にとっては、
「ちっとも良くなかった」のです。

先生たちの反応の違い

興味深いのはここからです。

生徒から上記のコメントがあったときの反応が
先生たちによってまちまちだったのです。

若い先生たちほど、
生徒に同情し共感する一方で

中堅~ベテランの年代の先生たちは
「嘆き節」でした。

「頭ごなしに否定している
つもりはないんだけどな」

「恋愛話も、
 好きなタイプを聴くのもセクハラか・・。
 これじゃあ、授業で何も話せなくなるよ」

「嘆き節」は、
やがて生徒や時代への不満に変わります。

「そもそも今の子どもたちは
 自己主張はよくするけれど、
 人の話を聴かないよ」

「なんでもハラスメントと捉えていたら
 社会人になんてなれないじゃないか
 世の中には理不尽もたくさんあるんだ」

アラフォーの僕は
立場も感性も「中間」に属している
自覚があるので、
生徒や若い先生の気持ちもわかるし、
嘆き節をぼやきたくなる先生たちの気持ちも
わからないでもない。

でも、あえて
「どちらの立場をとるんだ?」と
問われたら、

若い世代の感性に寄り添うべきだと考えます。

不安になるのはカオスだから。ルール(秩序)をつくろう。


今は多様性が認められる時代。
多様性は一言で「個性」です。

程度の大小はあれど、
人によって感覚や思考に凸凹があるのは
当たり前。

そして、
その一つひとつの存在に対して
最大限「認める」関わりが必須です。

ここで勘違いしないでいただきたいのは
何も積極的に「肯定」する必要はない、
ということ。

どうしても好きになれないものを、
我慢して、好きになる必要はありません。
好き・嫌いは個人の感性の問題です。
感性をごまかすと自分がツラくなるので
ムリは禁物

大切なのは
たとえ好きになれないものであっても
「そういう考えや感性もあるよね」と
認め、適切に対処すること。

もっと言えば
「否定しない言動」を貫くことです。

積極的に肯定するのとは違うけれど、
相手の「存在」を絶対に否定だけはするまい、
という態度です。

良いとか悪いとか
安易な価値判断は一旦、保留にして
まずは多様な考え方を
すべて否定せず、認めてあげること。

そのうえで、
もし、その集団の中で
不快感を覚えたり、
ハラスメントに苦しんでいる人がいるのなら、
真っ先に「ルール作り」をしましょう

「ルール」は
当たり前のもの、
常識のものでは絶対にありません。

特に、ここ最近は
世代間、いや同世代の中でも
なにが当たり前で、なにが当たり前でないか
その境界線が薄れています。

いってみれば「カオス」状態

「カオス」の中にいたら
不安や恐怖を感じ続ける子が
一定数生まれてしまうでしょう。

早いうちに、
「ルール」づくりです。

その「ルール」は
集団全員の意見をすくい上げながら
作っていきましょうね。

参考までに僕のやり方を
過去の記事に書いたのでよかったら
ご覧ください。

まとめと補足

今回は、
授業評価における生徒の辛辣なコメントから
大人の側がとるべき態度、
ルール作りの必要性についてお伝えしました。

企業でも学校でも、
「ルール」そのものが
上意下達で作られていて
内容も意義もよくわからないまま
まかり通っているのが
一番の問題なのかもしれません。

そもそも
「ルール」ってなんのためにあるの?

そんなところから
みんなでワイワイ議論できたらいいですね。
否、しなければならないのであります!!

最後までお読みいただきありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの
少しでもお役に立てたら嬉しいです。

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