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だいすきな人に置いていかれたくない、でも「まって」とは死んでもいえない。だから、ぼくは成長し続ける。

恵まれてるなぁと感じるのは、だいすきな人たちがいること。
それは友人関係でも、恋愛関係でも、同じことを学んだ仲間の関係でもいっしょで『あぁ、この人には敵わないなぁ』っておもう人がほんとにいっぱいいる。分かりやすくいえば20歳年上の年収数千万っていう人が友達だって呼んでくれる。40歳年上の経営者が親友だって呼んでくれる。年齢なんてものはぜんぜん関係なく、すごく仲良くさせてもらってる。

もちろん同年代もいっぱいで、ぼくの得意な知識や整理っていう面でも勝てない人たちはいっぱいだし、ぼくの苦手な感性や感受性をきわめて繊細にピュアにもってるすごい人たちがいっぱいいる。

だから、しょっちゅう思う、
『なんで俺と過ごしてくれるの?あなたにメリットがあるようなこと、俺できてるの?』

だいすきな人と接するたびに、大きなうれしさと、少しのあせりがある。
彼ら彼女らがだいすきで、追いつきたい。おなじ景色でおなじものを見て、あーでもないこーでもないって議論したい、しょうもないバカ話もしたい。
でも、本当はわかってる。追いつきたいっていうのはただの見栄で、ただただ置いていかれたくないだけっていうことを。


大学時代の友人に3年ぶりに再会したとき、一度だけ言われたことがある。
「おまえ、つまんないやつになったな。」

自覚はしてたけど、その言葉は頭から一切離れなかった。半年以上たった今もその言葉がまとわりついてる。いわれた瞬間、もう二度とおなじ目線で話すことはできない気がした。彼が遠くに行った気がした。置いて行かれるのは絶対イヤだったから、それを機に勉強会をひらいたり、お寺にいったりして成長できる機会をつくりはじめた。

ぼくにとって成長は、おいていかれないための最低限の手段だ。

『敵わない』だいすきな人たちは先を歩いてるように感じてて、それをつかまえて「まって」なんていうのは死んでもいえない。相手の成長ややりたいことを止めたくないし、迷惑もかけたくない。それだったら切り捨てていってくれたほうがいい。
うまく言語化できないんだけど、たぶん、迷惑をかけ続けるだろう自分がみっともなくて情けなくて、どうしようもないんだろうな。

だからぼくは、知識や能力も、人としても、常に前を向いて成長し続けようとする。繰り返すけど、ぼくにとって成長は、おいていかれないための最低限の手段だから。


そうやって動くなかで、ひとつ学んだ救いがある。それは、成長し続けようとするプロセスそのものに意味があるっていうこと。
どれだけ頑張っても結果はわからない、もしかしたら、何かを達成することはできないかもしれない。でも、成長し続けようっていう姿はみせられる。その姿は、自分でコントロールできる。挑戦して失敗して謝って、もう一回挑戦することが誰かの糧になるんだろう。

だいすきな人たちと近くにいるためにいちばん必要なのは、背中を見せることだろう。ぼくは成長し続ける。

2020年4月20日
しっぱいノート113日目
えだちゃん。

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