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引けない戦い
人間くさいと半端物の違い。蔑まれて(さげすまれて)、罵倒されて、ようやく強くなれるかも知れない。言い換えれば無益な勝負事はしなくなる。そういう意味で人として強くなれるのだろうか。やさしくなれるのだろうか。本当に強い心棒はそう簡単に折れることはない。萎れるしおれなくても絶対に折れないのである。

日本国は戦後から昭和を駆け抜け、先進国の仲間入りの奇跡を生んだかも知れないが、バブルが弾けた後の企業戦士の先輩達は、会社では化石呼ばわりをうけ、ITの大波に飲まれてしまい。今回のコロナ騒動においても、一日中家庭に居座っていては、何をしたらよいか四迷いばかりで家族からは粗大ごみ扱いを受け、それでも洗濯物などはやはり一緒には洗ってくれないのである。令和に入ってからは、過去の矜持を先の見えない虚無感に翻弄されながらも、やっと生きてるかも知れない。

昔の人達はそういう意味では、軀の芯から滲みでるオーラがあった「風格」というものだろうか。また、その風格を感じる、感じ取れる術を身に付けていた。そこにロクな屁理屈も言葉も必要としなかった。今では理屈が必要である。何でも良いから言葉を見つけなければ袋叩きにあってしまう世の中だ。ホンモノの先生以外(お医者さんや学校の先生)で、先生と呼ばれる人にロクな奴はいない。現代では、学校の「先生」なんてのは、能無し扱いであり、永田町の住人である政治家が「先生」呼ばわりで、「先生」の定義が間違っていると言わざるを得ない。どう見てもまともな世の中ではないということは確かである。

性善説と性悪説よりも、損得勘定で振舞う世の中であり、その生き方の方が支持を受ける始末である。お客様ファーストと言いながらも、自分の給与である歩合を必至で守ろうとするし、その為にはお客様の暮らしなど考えていない、なけなしのお金を踏みにじるのである。

私たちの仕事は、お客様の、家族の命を預かっていると思えないだろうか。設計や施工を失敗したら、人命を奪うかも知れないのである。健康を脅かすことに繋がるのである。損得感情を支持することはできないはずである。給与や歩合のために間違いを正すことを、損得勘定で判断する従事者が増えていることに残念で仕方がない。SNSでは長期優良認定住宅の検査が十年ごとに300万円~400万円かかると大手HMの若手社員が営業しているとか。リフォーム喚起や延長保証まで総合的にアプローチされるので、結果的に大手が信頼できる業者として「洗脳」とまで言わないまでも「手口」を垣間見ることがあった。実際の点検料と行政報告書の作成までは、恐らく二桁の「0」が多いように思われる。(企業ごとに異なると思いますが、、、) 

ついこの間に、東京で建築現場の鉄骨崩落事故のニュースが飛び込んで来た。建設会社からは、二名の死亡者が出たことに悔恨の極みとコメントを出しているが、作業員ではなく、そこに住まう、行き交う住民だったら、どう責任を取るつもりなんだろうか。

私も立場上において現場で指示を出すことがあるが、やはりそこに住まう住人の顔や家族の顔が浮かぶのである。作業員の失敗やミスは、言語道断で指摘をするし是正には妥協しない。申し訳ないことはわかっていても、そうやって経験値を積んで行くしか成長は無いのである。間違った設計や施工を律することを、損得勘定で飲み込むことは出来ないのである。前職時代では当然のように律することを推進して来たが、会社が変われば自分たちが優先なのである。組織とはそういうものであり、自分の仕事の矜持を蔑ろにしているのである。

自分の仕事や夢に誇りを持つことの意味をAIは弾き出してくれない。むしろ頼ることをしないことだ。自分の足で言葉よりも手と足を動かして歯を食いしばり、挑んで行くしかないのである。引けない戦いとは、自分の矜持であるということを忘れてはならない。

東北地方の名産を使用した駅弁で食中毒を起こした事故が発生している。幸いにも死亡者が出ていないまでも、新幹線等で出回っていたこともあり、全国規模という広域で負傷者が発生しているようだ。まだ、詳細の原因が特定はされていないとしながらも、このお店である本社は戸締りを頑なに続けており、まだコメントの1つも発していないのに懐疑的な疑問が残る。

食を扱う仕事も人々の健康を預かり、強いては命を預かっている産業であることは言うまでもない。当然ながら責任が発生する。大盛りテレビなどが流行っているが(作る方)、だいたいが、戦後の貧しい食生活などに厳しく育った人生の大先輩(高齢に近い)のお店である。我々、子供達に腹いっぱい食べさせてあげたいという気持ちの上である。これが信条であり矜持なのであろう。一次産業で働く農家の人々も、減反政策から、お米以外の食物を育て、中には深夜にしか収穫できない(その方が新鮮でおいしい)食物の為に、わざわざ深夜に仕事をしている人達がいる。美味しいと言ってくれる人がいる。楽しみに待っている人がいる。だから頑張っているのである。天候によって不作もあると思われるが「矜持」だけは貫いているのです。引けない戦いの中で生きている人達ほど、輝いて見えるのはなぜだろうか。なぜ重労働を課しているのに、足腰の負担があるはずなのに、一年中泥まみれになって、若い人よりも元気なのであろうか。。。

働き方改革に限らず日本の企業は、休日が多くなった。産業問わず年間で110日以上の休暇を取得しているはずである。我々の時代の倍だ。(個人的には十倍以上にもなるけど。。。)にも関わらず、しょっちゅう体調悪いとかで休んでいる上司や役職がいるはずである。どこを見て仕事をしているのだろうか。健康も仕事のうちと教わっていないのだろうか。。。

「安心」と「安定」と勘違いをしていませんか?
安心と言うと、気持ちの問題でしょうか。信頼感とか信用感とか。この人に任せれば大丈夫かなとか。。。夫婦間とか家族間とか、会社もそうかも知れませんね。
では、安定というと、現実感とか実績感というか。一定の成績が安定していると言ってもいいかも知れませんね。フィジカルが強いという、特に身体が衝突するスポーツの代表格と言えばラグビーだが、ビジネス用語としても「物理的」という意味合いで使用される場合がある。経験値の裏側に見られる実績は、安心材料であり安定したコマが周り続けるブレない「軸」とも言えますね。