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読書記録:死亡遊戯で飯を食う。2 (MF文庫J) 著 鵜飼有志

【自らを縛る呪いを乗り越え、どこまでも利己的に突き進もう】


【あらすじ】

〈キャンドルウッズ〉から三ヶ月。幽鬼はプレイヤーとして蘇った。

綱渡りな廃ビルから脱出するゲーム〈スクラップビル〉。

高飛車なお嬢様のプレイヤー、手を焼きながら、幽鬼はゲームをこなす。

――それから時は過ぎ、幽鬼は三十回目にさしかかる。

〈三十の壁〉。

三十回辺りのゲームで、プレイヤーに不幸が押し寄せるという業界の〈呪い〉。

その影響か、あるいはそれを気にするあまりか、幽鬼は実力を出しきれないでいた。

そんな幽鬼に、さらに近づく影がひとつ――。

「このゲームを潰す、お手伝いをしてほしいのです」

あるときは廃ビルを探索し、またあるときは風呂場で札の争奪戦。

そうして今日も幽鬼は、平常通り、死亡遊戯で飯を食う。

あらすじ要約

廃ビルからの脱出劇を巡り、三十の壁というある種の呪いに幽鬼の未来が晒される物語。


あらゆるゲームにおいて、お約束の業界のルールという物がある。
そういったセオリーに、プレイヤー達は晒され、共存するか、決別するかの選択を迫られる。
十回目では活躍し、三十回辺りで悉く不幸になる呪いに悩まされる幽鬼。
ゲームの多寡に関わらず、求められるは、その状況に合わせて、臨機応変に対応する術。
いつ死んでも良いけど、好敵手に煮え湯を飲まされたままで、終われない。

自身の身体を改造し、命を賭ける代わりに生き残れば大いなる栄誉を得るこの「死亡遊戯」
そもそも誰が開催しているのか、バックに何がついているのか。
そんな疑問が湧くかもしれないが、先に言ってしまうと今巻でそれが明かされることはない。

このゲームに蔓延るのは因縁。
長くこの遊戯に関わっているのならば、同じプレイヤーと出逢う事だって何度もある。
そして因縁、怨みという感情もまた、遊戯に立ち向かうには相応しい感情なのである。

九度目のゲームから少しの休養を置いて、参加した十回目のゲーム。
罠とケダモノが巣食う廃ビルから脱出し、その上で役立たずと思うプレイヤーを投票によって処刑する遊戯、「スクラップビル」
奇しくも幽鬼以外のプレイヤーは顔見知り状態、という状況から始まる中で、お嬢様風のプレイヤー、御城が主導権を握る。
幽鬼は一人、脱落しそうになった者達も助け、遊戯の本質を一端を垣間見た上で、上手く立ち回って、生き延びる事に成功する。

そんな幽鬼の知らぬ間に目覚めた因縁が三十回目の遊戯を控えた矢先に、立ちはだかる事となる。
「三十の壁」、それは一つの区切り。
生き延びれるかの瀬戸際を決める分水嶺。
不幸が次々と襲ってくると言うジンクスが現実になったのか、調子を崩し始める幽鬼。
そんな中、前巻で描かれた遊戯の中で出会い死を見届けたプレイヤー、金子の父親に出会う。
遊戯の闇を明かす為の行いに巻き込まれていく。


参加した遊戯は「ゴールデンバス」。
百人ものプレイヤーが参加する、入浴施設を舞台にした脱出ゲーム。
脱出のための靴を求め、札を求め自然とプレイヤー達が徒党を組む中で、出遅れた幽鬼は同じく出遅れた者達のグループに参加して、玄関を占拠するグループ相手に特攻を仕掛ける事を余儀なくされる。
 

頻発する幾つものアンラック。
その中で、立ち塞がるのは幽鬼に恨みを返す為に、四十回もの遊戯を生き抜いた御城と、その弟子である狸狐。
彼女達の志とは違い、高尚な想いなんて持ち合わせていない。
だけど、このまま死にたくはない。
ライバルにも自分にも負けたくない。
自分にだって生き延びる理由がある。
泥臭くも生き延び、幽鬼は呪いを超越する事に成功する。

必ず、敵の目を出し抜き、一矢報いてやりたい。
スランプを乗り越える為には、「あんな奴に負けてたまるか」という反骨心を原動力とする。
誰にでもスランプという物は訪れる。

いつも通りのルーチンをこなす事が出来ない自分が歯がゆいだろう。
しかし、スランプの中でも自分の今、出来る事を堅実にこなしていけば、やがて活路が拓かれる。
「いつも通り出来ないなら、まぁいいか…」で済ませて諦めてしまえば、この生存が極めてシビアな世界では生き残れない。

本人からしたら真剣な目標であっても、他人から見たら「そんなことの為に?」と思ってしまう理解の範疇を越えた理由なのだが、他人に揺さぶられない己の軸という物は、こういった信念から確立される物なのかもしれない。

たとえ、やる事なす事裏目に出て、胡散臭い取引の結果により、泣きっ面に蜂にような状況に陥っても、幽鬼は諦める事はない。
そんな力強い幽鬼の活躍に励まされるプレイヤーも確かにいた。

その為には徹底的に人情味を排して、合理的にゲームを勝ち切る冷徹なスキルが必要で。
更には、自分が陥っている状況を冷静に俯瞰して、何が駄目なのか、ちゃんと自分にフィードバックする作業も必要で。

狂気、醜悪、凄惨のデスゲームの醍醐味がこれでもかと詰め込まれた舞台装置にて。
ゲームを通して描かれる人間の愚かさや気高さの表現は、目を瞠る物がある。
非日常なデスゲームの中に敢えて日常的な要素を組み込む事で、登場キャラクターへの感情移入と愛着が自然と共感出来るように仕掛けが施されている。

十回目では活躍し、三十回目では不調気味。
そんな中で幽鬼に恨みを抱くプレイヤーとその弟子と戦う。
遊戯の闇を晴らそうとする光は運営に消され、遊戯自体も、また闇の中に秘匿される。
せっかくの足掻きも、運営の闇を暴く事は叶わなかったが、自分がゲームマージンを握る事を望んでいる者もいるという事が分かったのは、幽鬼にとって大きな収穫だった。
それらを背負い、果たすべき厄介な業と因縁。
それでも生き抜く事を諦めない、目標を達成するまでは死にきれないから。

果たして幽鬼はこの先も生き延びれるのか?
絡みついて来た因縁を、晴らせるのか?
目標を達成した暁に、このゲームの本質を見抜く事は叶うのだろうか?

そして、己の根幹として掲げた野望を幽鬼は利己的に果たしていけるのだろうか?



死亡遊戯で飯を食う。2



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