自立系武闘派女子を卒業して女性性を開放する方法
かねてから、男性性の間違った使い方とその対処法について記事を書こうと思いつつ、時間が経ってしまいました(既視感のあるフレーズ…)
また、前回の記事で書き足りないことが出てきたので、今回はそれらをまとめていこうと思います。
↓前回の記事はコチラ
さて、前回の記事で《自立系武闘派女子》というキーワードを取り上げました。
自立系武闘派女子とは簡単に言ってしまうと、幼少期に親との関係において問題を抱えた背景から、
必要以上に自立し人に頼ったり甘えたりすることができず、なおかつ異性と衝突してしまう女性のことを言います。
私自身は元ひきこもりで交友関係も狭く、自立系武闘派女子と自称するにはキラキラしたキャリアや恋愛経験において当てはまらない自覚があるのですが、
人を頼れない、弱みを見せられない、なんでも一人で抱え込んでしまうといった面があり、
人間関係において悩みを抱えてしまうという点では、おおいに共感できるところがあります。
自立系武闘派女子の特徴には、以下のような項目があります。
私自身はダメンズに出会ったことも苦労した経験もないのですが、どうもこれらの項目に引っかかるものがありました。
それは、父親の存在です。
私の父親は、かなり多くの挫折感を抱えていました。
父にはある夢がありましたが、叶わず挫折した過去があります。
仕事においても、目指していた管理職の道が閉ざされ、
家庭では妻とうまくいかず家庭崩壊のような状態になり、
キャリア、自己実現、夫、父親、そのどれもが満たされていない状態でした。
父は常に何かに対して怒っていて、その怒りの矛先が母や祖母や私に向けられることは日常茶飯事でした。
そんな父親の様子を例えて言うならば、
自分が掘った落とし穴に自分でハマり、なおかつ、
“こんなところに落とし穴を作ったのは誰だ!”
と怒鳴り散らしている、
といった感じでした。
“自分はすごいんだぞ。見くびるんじゃないぞ。”
と言いながら、自分の作った落とし穴にハマっている。
誰かに自分の価値を貶められている、自分は被害者だと叫びながら、実際に自分の価値を貶めていたのは父親自身だったのでした。
私はそんな様子を見て、子どもながらに
落とし穴を作ってるのは自分自身だよ。
落とし穴を作るのやめたら?
いつまで自分の作った落とし穴にハマってるの?
いったい誰に対して怒ってるの?
と感じていました。
私にとって父親は、“かわいそうな人”でした。
モラハラで散々傷つけられたけれど、子どもとして父親を救ってあげたかった。
助けてあげたかった。幸せにしてあげたかった。
けれど、それは私自身のひきこもりと、両親の離婚と父の再婚によって叶わぬこととなりました。
父親(親)を幸せにできなかったという挫折感を抱えた状態でいるとどうなるか。
その挫折感を埋めるように、他人に対して、幸せにしたい、つまり、望みを叶えてあげたいという男性性を過剰に発揮してしまうようになります。
父親が自分で落とし穴を掘って自分でハマっている姿をよく見てきたので、“あれこれ気が付く、気が利くので先回りして面倒を見てしまう”のです。
父親が自分自身の怒りで自身を火傷させている姿をよく見てきたので、“100人の男の中から的確にダメンズのみを見抜くことができ”るのです。
それでいて、そんな父親を幸せにできなかった過去があるので、“困った人、傷ついた人、影のある人を見ると放っておけ”ず、“ついついダメンズに手を出してしまい、分かっていてもダメンズを手放せな”くなり、
挙句の果てには、“気が付けばちゃんとした人もダメンズにしてしまう”のです。
なぜならば、父親に対してできなかったことをかわりに目の前の男性に対してしようとするから。
その人の男性性の代わりとなってしまうから。
相手から、男性性を発揮する機会を奪ってしまうから。
本来、一人ひとりに男性性と女性性が性別関係なく備わっています。
私自身の解釈ではありますが、これらの性質をざっくり言ってしまうと、
女性性は、「これがしたい!」「あれがほしい!」と感覚や感性を司る役割であるのに対し、
男性性は、「よっしゃ、その望み叶えたろ!」と実際に行動に移していく性質です。
そして、親を幸せにできなかった過去があると、他人に対して男性性を過剰に発揮してしまうようになります。
とあるように、自分を犠牲にしてでも他人の望みを叶えようとしてしまう傾向があります。
自分の中の女性性の声に耳を傾けずに、他人の要求を満たすような行動をとってしまうのです。
それが自分の中の女性性の望むことでもあると勘違いをして、他人のために必要以上に尽くしてしまう。
自立系武闘派女子は、恋人の男性性まで担ってしまうので、“ダメンズ製造機”と化してしまうのです。
一方で、自分の中の女性性はまともに相手にされないので、不満がどんどんたまっていきます。
それが婦人科系の病気となって現れたりします。
男性性を発揮しすぎるとどうなるか。
愛を受け取れなくなります。相手から与える機会を自ら奪い去ってしまいます。
“私は一人でも大丈夫。それよりも、あなたの方が大丈夫そ?なんかいろんなところケガしてるけど。”
という具合に、相手を“受け手”の存在としか見ることができず、相手の男性性を発揮させる機会を与えることができません。
また、相手のプライドをへし折るような言動を平気で取ってしまいます。
まさしく、「君は強いから僕がいなくても生きていける」と言われてしまう状態になってしまいます。
自立系武闘派女子の提唱者である根本さんは、その解決策として、
ということをブログ内で提案しています。
自立系武闘派女子は、なんらかの原因で強くならざるを得なかった過去があります。
まずは、そんな自分を褒め称えてあげる必要があります。
よく頑張ってきた。よく耐えてきた。
親に理不尽な扱いをされた。
学生時代にいじめを経験した。
恋人にひどく傷つけられた。
信頼していた人に裏切られた。
つらいことがいろいろあったなかで、それでも歯を食いしばって自分なりに困難な状況に一生懸命適応しようとして生きてきた。
それなのに、今度はその頑張りがあだとなってしまい、うまく人と関係を築けない。
“今さらその鎧脱ぎなって言われても無理。”
“その鎧脱いでこっちで暖を取りなよって言われても、無理。”
“鎧を脱いで暖を取っているときにいきなり背後から奇襲されたらどうするの?”
“その暖を取る場所は100%安全だって誰が証明してくれるの?”
“だったら私は一人でいたほうがいいわ。”
そう思ってしまっても、なんら不思議ではありません。
自立系武闘派女子は受け取れないのです。
鎧を脱いでいいよ、もう必要ないよと言われたところで、はいそうですかと簡単に手放せないのです。
とあるように、その鎧の中にはとても脆くて弱い心を抱えています。
たくさん傷ついた分だけ弱ってしまった心を守るために、分厚い鎧を身に纏うしか方法がなかったのです。
じゃあいったいどうすればいいのか。
まずは、親を幸せにできなかった自分を許すこと。
(詳しくは、以下記事にまとめてあります。)
そして、今まで頑張ってきた自分を認めてあげること。
私は愛されない。
と、間違っても自分にネガティブなレッテルを貼らないこと。
自分の中に広がる豊かな世界に目を向け、その豊かな世界をうんと味わうこと。
“なんだ、私全部持ってたんじゃん。”
“もう誰かの何かになる必要なんてなかったんじゃん。”
“誰かの何かにならなくても、私ってすでに完璧で愛される存在だったんじゃん。”
“頑張って自分の価値を証明しようとしなくても、最初から全部持ってたんじゃん。”
そう思えばいいのです。そして、それは紛れもない真実なのです。
誰かの幸せの責任を取る必要はありません。
あなたのすべきことは、ただあなたを幸せにすることなのです。
あなたはあなたを幸せにすれば、あなたの世界は完結します。
どんなに近しい人であったとしても、不幸になろうとあなたが責任を負う必要はありません。
誰かに認められなくても、あなたの価値はすでに証明されているものであり、それはあなたにとって大事な人にも同じことが言えます。
あなたは愛されて当然の人間です。何もしなくても勝手に愛されます。あなたは、ただそれを受け取るだけでいいのです。
誰かを幸せにしようとすることで、親を幸せにできなかった無念を晴らそうとしなくていいのです。
あなたは、あなたを幸せにするためだけに生きていていいのです。
これからは罪悪感を持つことなく、人からの愛をたくさん受け取りたくさん喜びを感じ、それを心の底から味わってください。
なぜなら、あなたは無条件で愛される女性だから。
そもそも、性別関係なく私たちは無条件で愛されている存在なのだから。
おまけ💫🎼
ゆりやんレトリィバァさんが参加したことでも話題になった楽曲♪Bad B*tch 美学 Remix (Prod. Chaki Zulu)の歌詞の中に、こんな一節があります。
この“自分で自分の荷物は持つ”というのは、自分の中の女性性の願いを叶えてあげるのは紛れもなく自分の中の男性性だ
というメッセージにも受け取れます。
その上で、余力があれば“気分”で誰かの荷物も持てばいいし、気分じゃなければ無理に持たなくてもいい。
そもそも、“人は助け合ってこそ長く持つ”のだから、お互い様の精神で助け合えばいい。
根本さんもブログで女性性開放のカギとして、
と書いています。
それを端的にわかりやすく表現したのがこの3行目のフレーズなのではないかなと感じました。
音楽ってすごい👀✨
ここまでお読み頂き、ありがとうございました😊🌼
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