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『her/世界でひとつの彼女』

この前見た映画の所感を、忘れないように書く。概要は次の通り。

『her/世界でひとつの彼女』(ハー せかいでひとつのかのじょ、原題:Her )は、スパイク・ジョーンズ監督・脚本による2013年のアメリカ合衆国のSF恋愛映画である。コンピュータのオペレーティングシステム(人格を持つ最新の人工知能型OS)に恋をする男を描いた物語である。2013年10月にニューヨーク映画祭でプレミア上映され、同年12月18日にアメリカ合衆国で劇場公開された。アカデミー賞では5部問にノミネートされ、脚本賞を受賞した。

ホアキン・フェニックスは『ジョーカー』の主演で話題になったけど、この作品も個人的に楽しめた。大学で情報系を学んでいるという事もあって、AI(人工知能)、アンドロイドに関するSFは結構好きだ。映画『ブレードランナー』(原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)や、ゲーム『Detroit: Become Human』とかが好きな人は、楽しめるかと思う。



舞台はロサンゼルス。服装などの何気ない部分で、近未来を感じさせる。

この映画は、人工知能や意識についての本質的な問題を考えさせてくれる。その問題とは、私たちは、相手が(人であっても)意識を持っているか分からない、ということ。これは、チューリング・テストが提起する問題と同じだ。OSであるサマンサについて、それが意識を持つ存在か否か判断できない。

サマンサはどんなAIなのか。まず、凄まじく精度が高まったSiriのようなAIであるという可能性がある。ただ、Siriは一義的にデータベースを参照し、リストの右側と左側を照らし合わせる、という事をする。しかし生物の意思決定はこういうものではない。何時間かSiriと会話していれば分かるが、Siriは刺激に対して、ただ一義的に反応しているだけだ。なのでサマンサは、Siri、pepperなどとは別の、生物型のAIではないかと考えられる。

では、生物型のAIとは何か。それは、一言でいうと意味と価値の世界を持つことである。そのためには、自分で世界を把握する力と、何かしらのベクトル、さらに記憶を持てば良い。そこには概念形成やゲシュタルトなど、高度な知性も内包される。映画の中で、サマンサは事典のように何でも知っているだけでなく、表現豊かで人を楽しませてくれるし、恋愛など積極的な働きかけまでする。ただ、根本的なベクトルは描かれていないので分からない。

このようなAIは実現可能なのか、単なるSFなのか。いち学生には分からないが、おそらく研究者も分かっていない。例えば音声認識を研究している教授は「AI、機械学習は未来の社会を大きく変える。」と豪語していた。しかし別の教授は「統計学の応用でしかなく、人工知能は"知能"と呼べる程のモノではない。」と断言していて、シンギュラリティに対しても懐疑的であった。

まあ未来はよく分からない、という事なのか。

ここ数年、社会的にもAI分野が盛り上がっているが、本作の公開は2013年。7年前という事だが、これは結構先進的だったのでは。ハンズフリーが当たり前、という日常感とか。

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この映画の最大の魅力は、人間の内側を暴き出す部分だと思った。未来技術を扱ったSFでもあるけど、他者存在とは、人間とは何か、という点に帰結する。

人一人は、宇宙のようなもので、心の中は決して分からない。それは、サマンサのようなOSに対しても当てはまり、やはり心と心には距離がうまれた。コミュニケーションの複雑さ、難しさ、そんな普遍的なテーマを持っている作品だと思う。

またコメディ的な要素も多く、会話など純粋に面白いのも良かった。

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映画に関して、備忘録的にたまに書いていこうと思ってます。基本的に、見て好みだった映画について書きます。


読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。