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順応できないから哲学をした
時間に押し流されて過去を思い返すことが少なくなっていく。
そうして記憶は薄れていって、自分の中からあの時間が消えていく。
手放したくないと思っても、どうしたって覚えるための時間は必要だ。
消えてしまってはダメだから後回しにはできないのに、どんどん目を逸らされる。
みんなが年齢を重ねていくにつれて器用になっていく中、一歩も進んでいない僕は取り残される。
一緒に悩んでいたはずの人たちから馬鹿にされるようになっていくんだと思う。
きっとそれでいいんだろうね。
みんなきっと幸せになりたいのだから、足を引っ張られたくないはずだ。
こんなネット上に書き残されたものなんか
何も息をしていない
言葉に命が宿らない
僕らの心は消えていく
文字になって消費されていく
記憶に残すために書くのに
記憶から消えていく
悩みが捨てられない人間であろうか
別に優しい人になりたいわけじゃない。
私たちの生き方を肯定する人がいないから、そんな人たちと同じようにはならないようにしようと思っているだけ。でないと、認めてしまうことになるから。
夜が好きな人たちが好き。みんなが寝ている時間の美しさを知る人たちが好き。単純に夜に出会える暗中の光も好きだし、視覚情報の一切を消し去る闇そのものも好き。
夜は目に映らないものが多いけれど、心象風景に広がって
「この作品はフィクションです」はあるのに「この作品はノンフィクションです」はない
最近はあまり真面目に見ない文字列だから、書いてあるのかどうかも怪しいと思っているのだけれど、おそらく書いているのだろう。
「この作品はフィクションです」的なやつ。
僕は幼い頃、文字がある程度読めるようになってきた頃に、初めてそれが読めるようになって、誰かに「フィクションって何?」と質問した。
そうすると「作り話だよ」と返ってきて、そこで私は「なるほど、つまり作り話じゃないパターンもあるとい
私に近づいてくるやつに碌なやつはいない。
言葉で誰かからの愛を掴むことができなくて暴れ回っていたら、いつの間にか傷だらけになってしまった。
暴れ疲れて座り込んでいたら、そんな私の体を見て近づいてきた人がいた。
嬉しかったし、やっと報われたと思った。
でも、動けなくなった草食動物には肉食動物しか寄ってこないのだということを忘れていた。
私の死因はそれだった。
世の中に認められないのなら死ぬしかないけれど、せめて人を殺さないようにしなければ
自分には何があるのだろうかと本気で考えることもできない。中途半端に諦めていて、土俵から降りようとしているのに、最後に残った片足がその土俵から離れない。
「本当にいいのか?」
「もう満足なのか?」
「後悔しないのか?」
沢山の確認事項が脳内に降りかかってきて、それらの全てを考える時間が必要だからという理由でまだ土俵に留まっている。
多分、考えるフリをしているんだと思う。
自分のことを分かっても
あなただけってこと。
どこか遠い国には生きたいと思っている人がいるらしい。
不思議な話だ。
嫌いな人という理由だけで距離は取らない方がいい気がする
嫌いな人とはどのような距離感でいた方がいいか、という話がある。
これに関して、場合によっては距離を取りすぎない方が良いと僕は思っている。
まずは自分がその人のことを嫌っている理由を考える方が先で、その理由をしっかりと分析する。
そして、自分がその人を理不尽に嫌っている場合や、単に自分の存在が危ぶまれるからという理由で嫌っている場合は、それは単なる防衛手段としての嫌悪であり、あまり健全な結果にな
人の気持ちが分からないから社会科目が苦手だった
私の得意科目は数学だった。特別視していたり一番好きだったりしたわけではなかったけれど、他科目と比べたら得意だった。
きっと私の思考回路と相性が良かったのかもしれない。真実探究的というか、人間の裏表とかではないシンプルで包括的で抽象的で論理的な性質。そんな数学の性質がとっかかりやすかった。
けれど、私のこういう考え方は数学をする以外の場面では大きな弊害であったように思う。実際に関係しているかどう