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いいから今アツい「純猥談」を読め&聴け&観ろ

せい‐あい【性愛】:男女間の本能的な愛欲

世の中には必ずしも正解が一つに定まると限らない問題が非常に多い。ご多分に漏れずそれは、所謂女心だの男心だの、「性愛」についてもそうである。誰もがその解法を探し求める。

そこに一筋の光が。最近バズりだした「純猥談」と呼ばれるコンテンツは、

性愛にまつわる匿名の体験談を通して、男とは、女とは何なのか、我々はそれとどう向き合っていくのかという問いについて、一つに定まることのない難題ではありながらも、そこに身を投じる我々を肯定し、そっと後押しするものになっている。

本コンテンツのメイン層は当然女性である。しかし物珍しさにその世界にのめり込んでしまった一般男性が、恐縮ではあるが少しだけ代表顔をさせていただくと共に、

発展的な恋愛学の参考書であり、今最も波に乗っているであろう匿名参加型のメディア媒体「純猥談」について語っていこうと思う。

■純猥談って?

各メディアへのアクセスは上記からどうぞ。

さて改めて、純猥談とは

「誰もが登場人物になったかもしれない、誰かの性愛にまつわる体験談」と銘打って2019年11月から「株式会社ポインティ」の一事業として開始した、匿名×性愛のちょっとアダルトなコンテンツである。

もーーーっと分かりやすく取っつきやすくこのコンテンツの面白さというか、「僕たちだったかもしれない誰かの性愛がどういう風に作品化されて世に広まっているのかというのを伝えると

12万部を突破した純猥談書籍化第一弾のタイトルは、匿名の誰かが付けたものをそのまんま使っている

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実際に手に取ってみれば分かるように(Amazonで衝動買い)、他のお話も全て匿名投稿のまま、文章も(誤字脱字等の校閲以外は)素材の味そのままだし

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タイトルが目を引くこんな曲だって、匿名投稿の題名のまま、その世界観を元に作詞作曲されたものだし

「僕には大学生の頃、よくセックスをする友達がいた」という語りから始まる1000万再生のこんなガチガチの映像作品だって、のマジのガチの素人の「誰か」の投稿が形になったものだし

👆短編映画は特に凄い。この主人公がどこにでもいるようなヤツで、そうした感情を抱えて今もどこかで暮らしている、という事実を踏まえて観ると二度鳥肌。ブルブル

もう本当に、僕たちの何気ない性愛や猥談の一つ一つに魂が吹き込まれて「純猥談」が創り上げられて全世界に発信されていくという感じ、それを自分も手に取って見聞きしている、という感じが物凄くヤバい。

気を取り直して。匿名による投稿を原作に書籍・音楽・映像などのメディアミックス化が展開されており、最近では

募集期間8月23日から1ヵ月、目標金額1,000万円で開始された「純猥談短編映画『私もただの女の子なんだ』制作プロジェクト」が

支援総額15,840,286円=達成率1584%という驚異の数字を叩き出した。猥談というものは話題のタネにはしづらいかもしれないし、顔と顔を直接突き合わせて話すには恥ずかしい話かもしれない。

しかし世のサイレントマジョリティーによるコンテンツの支持率、盛り上がりはデータからも明らかである。エロはやはり世界をすk

■純猥談は、僕たちに何を投げかけている?

性愛の体験談というのは、個人個人が持つだけでは単なる「猥談」に留まる。

匿名の投稿を書籍や音楽、映画として世の中に発信することで、「誰かの体験談」は、そうでない「誰か」へ届けられる。単なる猥談にドラマ性、エンタメ性が加わる。

猥談はそれによってより高次的な「純猥談」へと昇華されている…という訳なのだが、純猥談はそのサイクルを通じて我々に何を投げかけようとしているのだろうか。

・投稿を通じて、投稿者自身の性愛を振り返るきっかけを設けている

純猥談の投稿は、つらつらと体験だけを書き連ねるというよりは、誰の手を加えずともこの時点で既に文学的なものになっている。またそれは素人のものであるという性質上多少の粗は見受けられるのだが、本コンテンツではそれもまた味わい深い。

ここで文学的な描写を試みる投稿者の視点に立つなら、過去の恋愛(性愛)の場面場面の感情・心理・感覚・について鮮明に思い出す必要がきっとある。

しかも純猥談に集まってくる投稿は、甘酸っぱいそれとは異なり、普通には受け入れられ難いもの、切ないものが殆どである。

終わってしまったそれらと向き合わせることは「誰か(ここでは、主人公だったかもしれない僕たちのこと)」に自身の性愛を振り返る機会を与えるということである。

肯定し受け入れ、また訪れるだろう次の性愛へと背中を後押しするということである。あんな時もあった、と振り返らせてくれるツールなのである。

それが供養なのか懺悔なのか、気持ちの整理なのかは分からないが、「純猥談」はこの「自らの性愛を見つめ直し、吐き出させる」という役割を大いに担っているのではないだろうか。

・「誰か」の純猥談が、僕たちの性愛に気付きを与えてくれる

冒頭から何度も述べている通り、「純猥談」の最も大きな特徴は、匿名の一般人の投稿を原作としていることである。

投稿された純猥談は既存の作品にインスパイアされたフィクションなどではなく、まごうことなき体験談、ノンフィクションである。

これが何を示しているかというと、僕たちを今まさに取り巻いている人間関係や恋愛模様もまた当事者である我々の捉え方次第で「純猥談」になりうるし、実際「純猥談」はそうした何でもない僕たちのような人間が生み出している、ということである。

朝すれ違った、もう顔を思い出せない誰か。夜見かけた、お似合いのカップル。そうした人々が「純猥談」の主人公でないという保証がどこにあるだろうか。「純猥談」は、そんなような「誰でもない誰か」の性愛の蓄積、集合体に他ならない。

その可能性を考えると、明日からまた出会うだろう誰かに対して、慈しみのような、敬意のような、不思議な感覚が湧き上がってくるような気がしないだろうか。

「性愛」――もっとストレートに言えばキスやハグ、セックス―について考えを巡らせるということは、恥じらうことでなく後ろめることでもなく、誇らしいことなのかもしれない。

スーツを着て、ドレスを着て、酒を飲み交わしながら、性欲混じりに当たり触りのない言葉を交わすようなじれったさは必要ない。

僕たちは、性愛という人間の動物的本性について、もっともっと向き合うべきだ。そしてそうしたくなったら「純猥談」の門を叩けばいい。

肉欲を、激情を、ありのままを、汚らしさを、気持ち悪さを、気持ち良さを、不貞を、淫らさを…「純猥談」は全てを等しく受け入れ抱きしめる。エロはやはり世界をすく

■おわりに&右肩上がりの「純猥談」の今後に注目

という訳でやや抽象的な上にその全てを伝えられたとは思わないが「純猥談」というコンテンツがあって、それがもう今すんごい勢いでキてるということくらいは分かってくれたと思う(くれたよね?)。

繰り返しになるが、もう本当に、僕たちの何気ない性愛や猥談の一つ一つに魂が吹き込まれて「純猥談」が創り上げられて全世界に発信されていくという感じ、それを自分も手に取って見聞きしている、という感じが物凄くヤバい。

僕たちの性愛は「純猥談」を通して形に、そして誰かの記憶に残る。それを思い出す僕たちの記憶にも残る。誰かが創る。誰かが読む、観る。

「純猥談」が提供するこの繰り返しによって、僕たちは性愛についてより深く向き合うようになる。そしてそれはきっと良いことだと思う。

王様のブランチにも取り上げられたし、そうなったら純猥談の書籍化も間違いなく続くし…そうなったら短編映画だってもっと観られるし…そのうちもっともっと色んな形で商業展開されてくだろうし…

めくるめく「純猥談」の世界にアナタも飛び込んでみてはいかがだろうか。エロはやはり世界をすくう

いずれ別記事で書こうと思っているが、「純猥談」運営元の「株式会社ポインティ」のCEO「佐伯ポインティ」のカリスマ性もこのコンテンツの成長に一役買っていると思う。

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こんな感じの可愛いお兄ちゃん

純猥談と佐伯ポインティ…御託はいい、続きをキミの目で確かめてくれ!

解説を放棄した攻略本的な感じでおしまい。




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