動作学
毎週月曜更新。動作学を、仕事や自己実現、組織運営などにいかす方法を解説します。
唐突ですが、みなさん、マイクロアグレッションという概念をご存じですか? Micro Aggression=小さな攻撃性。 簡単にいうと、差別する意図はないのに、無意識にある偏見によって、日常の些細なシーンで出てくる小さな差別的な言動のことです。 これについて、ライター古澤は「自分がマイクロアグレッションをしないように注意しよう」というスタンスでずっと捉えていました。 もちろん、私は、される側の気持ちをわかっているつもりでした。 されたら不快なことはわかる、と。 だ
VUCAと呼ばれる時代、変化が激しく予測がしにくい現代を生き抜く力として、「アンラーニング」に注目が集まっています。 アンラーニング(Unlearning)は、ラーニング(Learning/学ぶ)の反対。 日本語では「学習放棄」「学び直し」と表現されることが多いのですが、厳密には、これまで学んできたことを捨てて新たに学び直すという意味ではありません。 アンラーニングとは、これまでの人生で培ってきた「物事を見る前提(フィルターの一種)」をいったん取り払って、まっさらな状態
突然ですが、皆さんは、自分の過去と、どう向き合っていますか? もし、今、停滞感があったり、何か足りていないような不足感がある場合、過去を振り返ることが現状打破のきっかけになるかもしれません。 とりわけ、過去のきつかった出来事については、自分では気づいていない無意識の領域で今に影響していることが多々あります。(参考記事【30】) ですから、向き合うことで突破口が開ける可能性があるんですね。 どういうことか、さっそく、動作学のレンズを通して見ていきましょう。 自己受容と
達成したい目標、実現したい夢に向かって日々、頑張っているけれど、どうもうまくいかない…。 そういう時、やり方を変えてみるのは常套手段ですが、実は、変えるべきは、やり方ではなく、あり方である、というケースも多々あります。 もちろん、うまくいかない原因は一つとは限らず、そもそも目標に無理がないか?実現したいと思っている夢は心からの望みか?「このくらいの時間で達成できるはず」といった思い込みで結果を判断していないか?など、考慮したい要素はいくつもあります。 ただ、あり方という
「若い子の考えることがよくわからない」 「上司の価値観が古くてつまらない」 若者と年長者の世代間ギャップは今に始まったことではなく、遡ること5000年前のエジプトのピラミッドの壁画にも「今時の若者」について嘆く表現が残されていると言います。 そもそも生まれ育った環境が違うので、価値観が異なるのは当たり前なのですが、そこで互いに壁を作ってしまうと、革新はまず起こせません。 そもそも、異質なものが掛け合わってこそ、それまでと違う新しい創造が生まれるのが世の常。 ただ、そ
さて、前回は、今やりたいことをやることが未来の目標達成とどう関係しているか、動作学的な観点からお話しました。 要点だけかいつまむと、今やりたいことをやって、いい気分であり続けることが未来にとっても大事、ということなのですが、このときによく混同するのが、「やりたいことをやる」と「ラクをする」の違いです。 やりたいことをやるって、実際にはラクなことはなく、ましてや怠けることではありません。むしろ頑張らなければいけないことの方が多いくらいなんです。 動作学のレンズを通して、こ
「今ここを大事にすると幸福度が上がる」ということについて、ここ数回、動作学的な視点から解説をしてきました。 要は、「今のあなたの気分を感じ取って、もし気分がよくないならば気分がよくなる選択をしてください」ということ。もっと端的に言ってしまうと、「今、あなたがいい気分になるために、今やりたいことをやってください」です。 ところが、そうなると、気になってくることもあると思うんです。 「今、やりたいことをやっていい気分になるのはいいが、未来に達成したい目標はどうなるのだろう?
「過去や未来ではなく、『今ここを大事にする』ことが幸せの秘訣である」 古今東西で説かれてきたこの真理について、過去や未来ではなく「今ここを意識する」ことだと前回書いたのですが、それだけではやや観念的でわかりにくかったかもしれません。 そもそも、「今ここを大事にする」って、一体どういうことなんでしょう? 「今という時間を大切にする」「今ここで起こっていることに集中する」など、他の言い方もできますが、ともすれば、「今がよければそれでいい」という刹那主義に捉えられかねませんし
「今を生きる」。これは古今東西、さまざまな形で説かれてきた幸せの秘訣の一つです。 そのことを昨今、一般に広く浸透させた立役者はマインドフルネスかもしれません。 マインドフルネスは、禅の考え方をもとにしてアメリカを中心に発展したもの。ものすごく簡単に言えば、「今ここ」で起きていることに意識を向ければ不安やストレスが軽減するということを科学的に研究して体系立てたものです。 「今ここ」に意識を向けるというのは、言い換えると、その瞬間に体験していることを感じる、ということ。「今
幸せを感じて生きるための動作学的な知恵をお伝えしていくシリーズ、題して「動作学 幸福論」、第3弾です。 これまでの(1)と(2)では、知恵として以下の二つのことをお伝えしました。 一. 幸せを選択する主導権は自分にあると知ること、その主導権を取り戻すこと 二. 「全ては最善である」という前提を持つこと 今回は、二の「全ては最善である」という前提を持つことについて、それがどう幸せにつながるのかを、解説したいと思います。 前提によってインプット情報が変わるおさらいになり
変化というのは面白いもので、変化の渦中にはなかなか変化しているという自覚はないものです。 それでも変化することを信じて動いているうちに、ある時ふと「あれ?いつのまにか変わっているかも」と気づく時がくるんですよね。 とりわけ、体に関わることについてはそれが顕著で、たとえばヨガであれば、昔は難しく感じていたポーズがいつのまにか簡単にできるようになっている…そんな経験は大なり小なり、皆さん、なさっていると思います。 動作学の学びもまさに同じで、このマガジンに書かれているような
幸せを感じて生きたいなら、まずは何よりも自分に矢印を向けるしかない、ということを前回の動作学的 幸福論(1)でお話しました。 自分に矢印を向けるというのは、簡単に言えば、どんな出来事に対しても、幸せを選択するか否かの主導権は自分にあると知っていること、そしてその主導権を取り戻すこと、です。 もちろん、主導権を取り戻したからといって、嫌な出来事や不快な状況が消えてなくなることはそうそうありません。ただ、確実に変化は起こせます。 この場合の変化には大きく二つあります。 一
2023年、あけましておめでとうございます。 このマガジン「動作学というレンズを通して」がスタートしたのは昨年、2022年の2月でした。 連載開始からほぼ一年を迎えたこの節目を機に、振り返りを兼ねて、連載開始時の一番最初の投稿(こちら)を読み直し、初心に返ったような気持ちでこの新年のご挨拶を書いています。 連載開始の初回の投稿では、結びに「ここから始まる変化を、一緒に楽しみましょう!」と書いていました。 2022年の連載を通して、読んでくださっていた皆様は何か変化を感
ここ数回にわたって、動作学的な組織作り「自己進化型組織」について解説してきました。 トピックがトピックでしたので、企業などの組織作りに実際に携わっている方に向けた内容が多くなりましたが、人はそもそも社会的な生き物ですから、誰でも必ずや何らかの形で組織と関わってもいます。 たとえば会社員なら、所属している会社は、関わっている組織の一つと言えます。フリーランスで働いている人でも、一人だけで仕事が完結することはまずないはずで、複数の人とたちとチームのように関わり合いながら仕事を
前回の投稿で、上司と部下という関係が存在する全ての組織は、そもそも心理的安全性はマイナスからのスタートであるということをお話しました。 その続きである今回は、読んでくださる方が、リーダーや経営者、管理職など、組織においていわゆる上位レイヤーにいると仮定して話を進めます。 冒頭で述べた通り、組織における心理的安全性はそもそもがマイナススタートですから、メンバーの親睦を深めるために飲みに連れていったり、部下が心を開けるように雑談を増やしたりしても、それだけでは不十分、もしくは
組織づくりにおいて、心理的安全性を作り出すことの重要性が、注目されています。 心理的安全性とは、組織の中に所属する全ての人が、自分の考えや気持ちを、組織内の誰に対しても安心して発言できる状態のこと。 この概念は、もともとは、組織行動学を研究するエイミー・エドモンドソン教授が提唱したもので、その後、Google社が行った調査(2012年「プロジェクトアリストテレス」)によって、心理的安全性が高い組織は生産性が高いという研究結果が出たことで組織づくりにおいても重要視されるよう