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山本文緒「日々是作文」

山本文緒は「大人の恋愛小説の巧者」みたいな紹介のされ方が多いので、これまで手に取って来なかった。何しろ私は「ラブソングの歌詞の意味がほとんど分からない」という恋愛音痴である。
「男と女って距離が近づくと勝手にくっつくもんでしょ」
みたいなことを言って同僚に呆れられたこともある。

これまで読まなかった作家の本を手に取るきっかけは、たいていその訃報に接した時だ。
図書館で山本文緒追悼コーナーが作られていたが、前述の通り恋愛音痴の私は素通りした。ところが、一緒にいた三歳の息子が「日々是作文」を手に取り、これから借りる本を入れていたカバンにねじ込んできた。
「読めってことね」素直に応じた。
なおかつ、毎日書き続けろ、というメッセージにも思えた。
noteの毎日更新にはこだわらないようにしているが、その他のことは何かしら日々書いている。子どもの相手もあるので限られた時間の中ではあるが、「日々是作文」という生活になっていないこともない。

1993~2004年までに様々なところで発表されたエッセイが収められている。少女小説から一般小説へと舞台を移してから、直木賞を受賞した後くらいの期間。

 いわゆる普通の事務員になった私は、働きながらゆっくり「本当にやりたいこと」を考えました。四年間の大学生活で私が身につけた習慣はただひとつ、「やりたくないことはやらない。やりたいことをやる」ことでした。しかしこれは諸刃の剣です。自由であるということは、際限なく駄目になる自由というものも含んでいるからです。しかし、まわりの人がみんなそうしているから自分もそうしておけば安心だ、と考えている限りは、一生制服は脱げないのです。(神奈川大学「学問への誘い」2000年度版掲載『自由の練習』より)

21年前にも今にも通じる。
作家の等身大の生活が書かれている。作家デビューしてからは、常に生活とともに執筆がある。離婚しても実家に帰っても引っ越しても札幌に仕事場を持っても直木賞を受賞しても。

直木賞受賞後のエッセイ「愛憎のイナズマ」に書かれている、直木賞候補になったという連絡を受けた直後の気持ちが凄まじい。

私はすごく怒っていた。理由は今でも明確には分からない。嬉しい気持ちよりも激しい憤りがあふれ出て、嫌いな人や、私の仕事のやり方に賛成しなかった人ばかりが頭に浮かんだ。その人達に電話をして「ほらみろ、近道はこっちだったろ」と言ってやりたかった。「この十四年間、どんな気持ちで積み上げてきたか分かるか、コラ」と怒鳴ってやりたかった。でも、もちろんしなかった。そんなことをしても虚しいだけだし、何より私は厳重に口止めされてもいたのだった。(『愛情のイナズマ』より)

嬉しさだけでないものが込み上がってきた瞬間である。苦労が報われた、というだけでなく、それまで自分を否定してきた人達への怒りが一気に噴出し、作者はデパートで大量の衝動買いをする。連絡を受けた場所がデパートでなかったら、衝動はもっと違う方向へ向かっていたかもしれない。

日々書くことは、時間さえ作れば誰にでも出来る。
人の気持ちを揺さぶる文章を書き続けることは、覚悟のある人にしか出来ない。
小手先の技術とタイピング速度だけで書き散らして、満足していないか、と自分に言い聞かせる。
「ケンちゃんの持ってきた本、読んで、感想書いたよ」
と息子に伝える。
何のことかときょとんとしている。





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