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千人伝

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様々な人の評伝「千人伝」シリーズのまとめマガジン
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#連載小説

千人伝(百九十六人目~二百人目)

百九十六人目 読者 どくしゃ、は読みたい物を書こうと思った。自分が読みたいと思う理想的な書物は、どこにも見当たらなかった。好きな本はたくさんあったが、本当の理想の物語というと、見つけることが出来なかった。 読者は、自分のあらゆる好みを数え上げた。逆に苦手なタイプ、嫌いな話も数え上げた。読みたくない要素を一切書かず、読みたくなる要素だけを詰め込んだ話を書けば、理想の物語が出来上がるはずだった。読者は書き始めた。 しかしそううまく話は続かなかった。理想を詰め込んだ話はすぐに

千人伝(百六十六人目~百七十人目)

百六十六人目 西村 西村は私小説家であった。露悪的に自身の経験を元にした小説を書いた。自身の記憶と経験を文章に置き換えていくとはいえ、モデルには脚色を加えた。自身の経験にも脚色を加えた。自ずと記憶は作品に置き換えられた。現実との齟齬は酒で埋めた。煙草の煙で隠した。西村はある日突然亡くなってしまったが、亡くなった後もなお自らのことを書こうとした。止まった心臓にはお構いなしに、ペンを持った指は原稿用紙の上を歩いた。作者の急死から遺体の発見までは七日間を要した。その間に書かれた

千人伝(百五十六人目~百六十人目)

百五十六人目 偽書 ぎしょ、は偽物を書いた。故人となった有名作家の未発表作品を記し、未完の大作の続きを書き、聖書の記述を大幅に増やした。 彼は生涯で千作の偽作に関わり、そのどれもが偽物と気付かれることなく世間に流通した。彼は晩年、どこにも発表しない文章を書き続けた。偽作を書き続けたために自分の文章を書けなくなった人の話を、ありとあらゆる文人の文体で記した。 鏡にはもはや自分の顔が映らなくなっていた。 百五十七人目 ドウロク ドウロクにあてられた漢字は今では不明とな

千人伝(百五十一人目〜百五十五人目)

百五十一人目 爆発 爆発は気を抜くと爆発した。震え過ぎると爆発した。性欲が高まると爆発した。要は爆発せずにはいられない体質であった。 爆発の身体には爆発器官があり、全身くまなく散らばっていた。時には四肢全て爆散することもあった。人と関わらなくなっても、寂しさが募るとまた爆発した。 爆発は自己治癒能力が高かった。高すぎた。爆発四散しても回復出来た。そのような人は他にいなかったので誰とも仲良くなれなかった。そうして寂しくなってまた爆発した。 年老いた爆発は爆発する元気も

千人伝(百四十六人目〜百五十人目)

百四十六人目 千羽 せんば、と読む。千羽鶴を追っていた。千羽鶴を追い続けていた。千羽鶴が飛べば千羽もの折り紙に空は彩られて、夕焼けも朝焼けも埋め尽くした。そのような千羽鶴を見てしまえば、追いかけずにはいられなくなったというわけだ。千羽はあらゆる場所に縛り付けられた千羽鶴を解放した。病院や記念碑や体育館にある千羽鶴を解放するたびに、悲鳴より歓声の方が大きくあがった。 やがて千羽は自らも鶴を折るようになった。折り紙では飽き足らず、紙はどんどん大きくなっていった。家ほどの紙や、

千人伝(百四十一人目~百四十五人目)

百四十一人目 落音 らくおん、と読む。居間でくつろいでいる時に、洗面所の方で何かが落ちる音がした、ということがある。風呂上がりの同居人にこう聞いてみる「何か落としてた音してたけど」。意識しない駄洒落が発生した瞬間に生まれたのが落音である。 落音は偶然の出生によりなかなか仲間を得られなかった。似たような境遇の誰かと出会ってそのまま暮らし続けたかった。さまよい続けているうちに、落音は様々な音色に出会った。ため息のメロディや、いびきの歌声や、山鳴りのオーケストラなどに。落音は彼

千人伝(百三十六人目~百四十人目)

百三十六人目 ただただ ただただ書きたかった、とただただは言った。ただただはただ無性に何かをやりたくてたまらない性格の持ち主であった。それでいながら、何をやっても、それは自分の本当にやりたかったことではない、という気持ちでいつもいっぱいになっていた。いっぱいいっぱいにもなっていた。 ただただ描きたい、といって絵を殴り描いていた頃も。ただただ歌いたい、と言って叫び倒していた頃も。ただただ寝ていたい、といっていびきをかいていた頃も。やっているうちに次にやりたいことが浮かんでき

千人伝(百三十一人目~百三十五人目)

百三十一人目 高橋 高橋は全ての高橋の祖先である。 吊り橋効果がきっかけで付き合い始めた両親は、そのドキドキを永遠のものとしたいがために、吊り橋の上で暮らし始めた。山の上で一番高い吊り橋であったため、橋で生まれた子に高橋と名付けた。 両親がどうであろうと、高橋は橋で一生を過ごしたくはなかった。何より橋の上から釣り糸を垂らして釣る魚と、通りがかりの鳥を食料とするだけでは、食物繊維が不足するのだ。高橋は両親と別れて橋から降りた。七歳の時の決断であった。 その後の高橋は様々な

千人伝(百二十六人目~百三十人目)

百二十六人目 巣本 すっぽんと読む。カラスの巣と野鼠の巣との間にあった持ち主のいない巣に、かつての読書家が蔵書の全てを詰め込み、本の巣とした。溢れかえり拡張する本の巣を見て、もはや本を必要としない人々、本のことを忘れてしまいたい人々、自分の書いた本を人に見せたい人々が集まり、本の巣はカラスの巣も野鼠の巣も、その土地に住んでいた人々も飲み込んでしまう規模になってしまった。 自然発火か放火かは分からないが、本の巣は焼き払われた。焼け跡で発見された子どもが巣本である。亀のような

千人伝(百二十一人目~百二十五人目)

百二十一人目 手盗栗鼠 てとりす、と読む。手盗栗鼠は飼い慣らした栗鼠を使い、公園に遊びに来た人の腕を噛ませた。痛みに悲鳴をあげつつも愛らしい栗鼠を愛でようとする被害者に、偶然通りかかった栗鼠に詳しい人物の振りをして「栗鼠は可愛く見えて、人間には非常に有害な雑菌を持っていることもありますので」と言葉巧みに近付いた。恐れる被害者に注射を刺して眠らせ、金目の物を盗んだり、腕そのものを切り取ったりもした。 眠りから覚めた被害者は、栗鼠と手盗栗鼠の姿が消え、自分の腕も消失してしまっ

千人伝(百十六人目~百二十人目)

百十六人目 老裸 ローラ、は裸の老人が大勢住む町で生まれた。男も女も老人になると皆裸になりたがるのだった。暑い日に痩せた夫と豊満な妻の老夫婦が互いに上半身裸で手を繋いで歩く横を、全裸で腰の曲がった老人たちが陽の光を全身で吸収しようと、集団で進んでいく。若い頃の老裸には老人が裸になりたがる気持ちが理解出来なかった。 当時仲の良かった異性が「若い人は逆に頑なに脱がなさすぎるよ」と言った。だから君も脱いでよ、という意味の口説き文句だと気づくのが遅かったので、一つの恋は始まる前に終

千人伝(百十一人目~百十五人目)

百十一人目 耳有 みみあり、には耳が有りすぎた。耳の上に耳があり、耳の下にも耳があった。手のひらにも耳があり、脇の下と太ももの内側と、両足の小指の横にも耳が生えていた。耳はそれぞれ音を拾って耳有に届けた。あらゆる声、足音、自らの体内を巡る血液の音、聞きたくはなかったあれやこれや。 耳有は耳を無くした人の話を蒐集した。お経を耳に書き忘れたために化け物に耳を食べられる話だけでなく、朝起きたら耳が独り立ちして去っていった話、夜中に人々の耳だけが集まり、猫の集会に聞き耳を立ててい

千人伝(百六人目〜百十人目)

百六人目 空洞 空洞の身体と心には穴が空いていた。物理的な穴であり、風が吹き抜けた。鳥も通り抜けた。小さな子どもの頭なら入るくらいの穴が、腹に三つ空いていた。窮屈になった内蔵は身体の中で手足にまではみ出していた。 服を着れば隠せるので、空洞のお腹に穴が空いていることを、知らないまま空洞と過ごす人もいた。初めて空洞の裸を見た時に驚く者と、「やっぱりそうだったの」と納得する者とに分かれた。 無理矢理な身体の造りに耐えきれず、空洞は二十代半ばで亡くなった。穴の中で暮らし始めてい

千人伝(百一人目〜百五人目)

百一人目 孤濁 こだく、と読む。 孤濁は誰かといる時は澄んでいるが、一人になると濁った。だくだくと濁った。何を飲んでも泥水のようで、吸う息には空気よりもチリ、ホコリの方が多かった。だから孤濁は常に他人を求めた。すぐに人に寄り添って、交わって、抱き合った。 それでも相手が眠れば、あるいは去れば、時には死んでしまえば、孤濁は一人になってしまう。一人になれば濁ってしまった。濁ってしまえば気持ちもどす黒くなるばかりだった。 孤濁の最期は、大災害で逃げ惑う群衆に踏み潰される、と