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千人伝(百十一人目~百十五人目)

百十一人目 耳有

みみあり、には耳が有りすぎた。耳の上に耳があり、耳の下にも耳があった。手のひらにも耳があり、脇の下と太ももの内側と、両足の小指の横にも耳が生えていた。耳はそれぞれ音を拾って耳有に届けた。あらゆる声、足音、自らの体内を巡る血液の音、聞きたくはなかったあれやこれや。

耳有は耳を無くした人の話を蒐集した。お経を耳に書き忘れたために化け物に耳を食べられる話だけでなく、朝起きたら耳が独り立ちして去っていった話、夜中に人々の耳だけが集まり、猫の集会に聞き耳を立てている話、耳塚の記憶を忘れさせないために、日々新しく耳を埋めていく話などがあった。

耳有はあまりに多くの話を聞きすぎたために、体内に溜め込んだ秘密に蝕まれて病んでしまった。床に伏せていると、耳はより敏感になり、異国で囁かれる、幼児の初めての内緒話まで聞き取ってしまうのだった。その無邪気な話の内容の意味を聞き取りたくて、耳有の晩年は外国語の習得にあてられた。

百十二人目 車戦

しゃせん、はカーチェイスの達人だった。何かをやらかして逃げるたびに、実況中継され、世界中から注目を集めた。何より安全第一を心がけており、事故を起こしたことはなく、一般人を巻き込むようなこともしなかった。

追いかける警察の方も心得ており、あまりに長く逃げ続けたために車戦の車がガソリンスタンドで給油し始めると、律儀にパトカーも後に続いた。長距離ドライブの際のトイレ休憩や、サービスエリアでの仮眠の大切さを、視聴者に印象づけるのも忘れなかった。

そんなわけで毎回車戦は逃げ延びるので、視聴者は彼が何の罪を犯して逃げているのかを忘れてしまった。やがて車戦と主に彼を追い掛けていた警官が同時に引退して新婚生活に入った際には、全国から祝福の声が送られた。二人の息子は三歳の時に三輪車で高速道路に乗り込もうとして取り押さえられた。

百十三人目 水門

みなかど、と読む。水門が多く設置された町に生まれた。各水門の上には一羽ずつ鳥がとまっていた。ゴイサギの門、白鳥の門、鷹の門、などとそれぞれ呼ばれるようになった。鷹の門にゴイサギがいることはなく、ゴイサギの門にカラスは闖入してこなかった。
水門は全ての水門に出入りして、鳥たちともうまくやれていた。そのような家系に生まれ、代々水門の整備を引き継いでいた。

やがて時代が変わり、一つまた一つと水門は取り壊されていった。猛禽類の住み着いている水門から優先的に選ばれたので、本当に必要のない門が一番最後に取り壊されるといった混乱も生じた。水門は鷹やカラスを大人しく水門から連れ出し、山や別の町へと棲み家を変えさせた。

最後の一つの水門が取り壊されることになったのは、取り壊し工事開始から二十年後のことだった。その頃には水門の中に家を作り住み着いていた水門が、工事の開始と同時に飛び立つ音を作業員は聞いた。着地の音を聞いた者はいなかった。

百十四人目 青詐欺

あおさぎ、と読む。青詐欺はアオサギの住み着いた水門の上に建てられた家に生まれた。水門は取り壊されたが家だけが残り、常にぐらぐらと崩れ落ちるような環境で青詐欺は育った。物心ついてすぐに様々な犯罪に手を染めるようになったが、一番性にあったのは詐欺であり、人により己の過ごした半生を変えて語り、金を騙し取り続けた。

詐欺のために素性を偽り続けたために、青詐欺は自分の本来の素性が思い出せなくなってしまい、自分の家のことも忘れた。漠然と、鳥、という記憶があった。アオサギを見ると、記憶が刺激されて、いつでも崩れかける寸前の家が思い浮かぶのだった。そのようなところで過ごす子どもが可愛そうだと心の底から青詐欺は思い、当然詐欺に活かした。環境に恵まれない子どもの為と偽り、善意の人から金を巻き上げた。

青詐欺の最期は獄死でも殺されたわけでもなく、老衰であった。生涯独身であったために子や孫に囲まれた最期ではなかったが、彼は幸せな記憶でいっぱいに包まれて笑いながら亡くなった。当然それらの記憶は一つたりとも真実ではなかった。

百十五人目 無木仏

むきぶつ、と読む。無木仏は寺で生まれた。親はいなかった。寺の住職に気付かれるまで、自分を生命とはみなしていなかった。声をかけられても、肌に触れられても、叩かれても反応しなかった。住職は彼を誰か昔の人が彫った仏像かと、最初思い違いをした。無木仏は仏像でもなかったし木でも鉄でもなく、人であった。住職が人であることに気付いてから初めて食事を摂った。それまでのことは何も覚えていない、と後日無木仏は語った。

無木仏のような人と無機物の間にあるような存在は、人に気付かれにくいが至るところにいる。それらの多くは、生命を自覚することなく朽ち果てた。たまたま人として生きた無木仏は、その後住職の庇護下から離れて都会に出、奔放な生を謳歌した。だがかつて寺の床下で朽ち果てかけていたように、一度生活が崩れてしまえば、ほとんど動けなくなるほどに病んでしまった。会いに来た住職に看取られて最期を迎えた無木仏の姿は、本物の仏像のようになっており、「寺に飾ってください」と無木仏は軽口を叩いた。住職は無木仏の遺言は守らず、人として無木仏を葬った。


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