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千人伝(百四十六人目〜百五十人目)

百四十六人目 千羽


せんば、と読む。千羽鶴を追っていた。千羽鶴を追い続けていた。千羽鶴が飛べば千羽もの折り紙に空は彩られて、夕焼けも朝焼けも埋め尽くした。そのような千羽鶴を見てしまえば、追いかけずにはいられなくなったというわけだ。千羽はあらゆる場所に縛り付けられた千羽鶴を解放した。病院や記念碑や体育館にある千羽鶴を解放するたびに、悲鳴より歓声の方が大きくあがった。


やがて千羽は自らも鶴を折るようになった。折り紙では飽き足らず、紙はどんどん大きくなっていった。家ほどの紙や、島ほどの紙を折って千羽鶴を生産し続けた。千羽鶴を解放する日は世界中に映像が流れた。千羽は生まれて初めて空を飛ぶ千羽鶴を見た日のことを、何度でも繰り返し話した。千人ほどに話した。やがて千羽は目を病み、空を見上げても何も見ることができなくなった。折る鶴はどんどん小さくなり、最後には空気を折り畳んでいた。何もない手のひらを広げて、「今から飛ばすよ」と言うのだった。その映像もやはり、世界中へと流された。



百四十七人目 残書


ざんしょ、と読む。

「書き残しがあるんだ」といつも言いながら、実際は書き残しなんてありはしなかった。書いてもいなかった。書く書く今書いてる書き続けてるもう書きすぎて眠る暇もない歯磨きしながら書いてる風呂に入りながら書いてる、などと言いながら、一行も、一文字も書いてはいなかった。


「書いてないだろ」と指摘を受けても、どうしてそんなことを言うんだ、見えないのか、今も書いているじゃないか。こうして君と対話していることも書くことも含まれるし、酒を飲んで吐き続けることももちろん書くってことだ。何なら一文字も書かないという事実すら、書くってことに含まれるんだよ。


残書はそんな風にしてしぶとく生きていたが、案の定酒に殺された。一文字も書かなかったが、そんな残書を題材にして書かれた小説があったので、残書自身が小説になったといえるのかもしれない。その小説は一冊も売れなかった。一行も、一文字も、売れはしなかった。



百四十八人目 ある子


あるこ、はアルコールに溺れた両親から生まれ、自身も成年になるのを待たずにアルコールに浸り切るようになった。起きると飲んだ。朝飯に飲んだ。昼まで飲んで、出かけることは諦めて夕方から晩酌を始め、毎日毎日倒れるように眠った。ある子を止める両親はいなかった。立て続けに変わっていく同居人がいたのだが、誰もある子の飲みっぷりを止めることは出来なかった。


ある子は次第に食べ物から栄養を摂ることから遠ざかり、酒だけで生きた。そのようにしても人は生きられるのだが、体内の重要な酵素が偏り、軽い風邪を引いてしまうだけで致命的になってしまう。案の定同居人が持ち込んだ咳から感染した風邪で、わずか数日のうちにある子は瀕死の状態に陥った。同居人は数日家を空けていた。ある子は自分はもう長くはないと感じた。晩酌の席に両親が同席し始めたからだった。故人であるのに両親は酒を欲しがり、ある子からアルコールをことごとく奪い、存在しない身体を通り越して酒は床にばらまかれた。ある子が最後に摂取したアルコールは床を舐めたものだった。帰宅した同居人は、床一面を浸したアルコールと対面した。それがある子のなれの果てとは気づかず、掃除を嫌った同居人は二度とある子の家に戻らなかった。



百四十九人目 太細


だざい、と読む。太細は太くもあり細くもある人であった。太っている時は細い字を書き、痩せている頃は太い眉毛になった。常に太さと細さを併せ持っていなければ気が済まない性格であった。恋人や友人についてもそうで、常に偶数の恋人を持ち、正反対の体型を抱きしめ、また抱かれた。


三十半ばで亡くなった時は一本の紐のような体型であった。そんな身体で図太い態度で言葉と反吐を吐いた。言葉は一人の恋人の手で記録され、もう一人の恋人の手で破られた。



百五十人目 咳歌


がいか、と読む。咳歌は歌を歌うことで生計を立てていたが、終わることのない咳に取りつかれ、一曲を歌い切ることが出来なくなった。咳歌は喉の奥に手を突っ込み引っ掻き回した。止まることのない咳を、歌として響かせるように、血を吐きながら声帯を変形させた。


咳歌の復活ライブでは、咳歌が喉から響かせているのが咳だとは誰も気付かず、かつてよりも迫力を増した歌声に皆酔いしれた。その活動は半年後、咳歌の命と共に終わりを告げた。



入院費用にあてさせていただきます。