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千人伝(百二十一人目~百二十五人目)

百二十一人目 手盗栗鼠

てとりす、と読む。手盗栗鼠は飼い慣らした栗鼠を使い、公園に遊びに来た人の腕を噛ませた。痛みに悲鳴をあげつつも愛らしい栗鼠を愛でようとする被害者に、偶然通りかかった栗鼠に詳しい人物の振りをして「栗鼠は可愛く見えて、人間には非常に有害な雑菌を持っていることもありますので」と言葉巧みに近付いた。恐れる被害者に注射を刺して眠らせ、金目の物を盗んだり、腕そのものを切り取ったりもした。

眠りから覚めた被害者は、栗鼠と手盗栗鼠の姿が消え、自分の腕も消失してしまっていることに気がつくが、死ななくて良かった、と安堵するために、被害届を出す者は少なかった。手盗栗鼠が捕まるまで五年を要した。その間に隻腕もしくは両腕のない者が多く住む地域となったが、彼らは足やら肩やらを発達させ、元の腕以上に動かすようになった。失くした腕の根元に、亡くなった身内の骨を接ぎ木する者もいた。一時の流行にもなり、腕を五本も六本も生やす者も現れた。多腕の持ち主がその街での日常風景となっており、手盗栗鼠は油断した。

何百回目かの物取りの際に、手際よく相手を眠らせたはいいが、標的はかつての被害者の腕を生やしており、免疫を持っていた。相手は眠っていても腕だけは起きており、屈強な腕四本に手盗栗鼠は取り押さえられた。手盗栗鼠は寿命が尽きるまで刑務所で過ごした。彼の飼っていた栗鼠は野生の中では数日も持たずにカラスに狩られた。

百二十二人目 読毒

どくどく、と読む。読めば毒になるような文章ばかりを書き続けるうちにそんな風に呼ばれるようになった。読毒は孤独であったから読毒独でもあった。読毒は医者でもあったからDr.読毒独でもあった。面倒なので読毒と記す。

医者として患者を治しながら、読毒は本心では相手を傷つけたり損なったりすることを望んでいた。実際に手を下すことはせず、想いは文章にぶつけた。読者の怒りは世代を超えて持続して、読毒没後百年以上経っても、読毒の本の内容について語ることは、読毒の故郷では禁忌とされた。過激派と呼ぶ人も、露悪趣味と呼ぶ人も、セリーヌと呼ぶ人もいた。

しかし好んで毒を体内に取り込む生物がいるように、読毒の文章に中毒している者も多かった。読毒の文章を読んで傷つき痛めつけられないことには、生きている実感が湧かないのだ、というどうしようもない読者もいた。
ともあれ結果として、読毒の文章は没後も読まれ続けている。毒にも薬にもならない無数の文章が消えていったにも関わらず。

百二十三人目 川垂

かわたれ、は氾濫した川がいつまでも垂れ下がり続けている町で生まれた。川の水は元の河川には戻ろうとせずに、町にずるずると留まった。常に床下浸水している家々では、伝染病で倒れる者と、環境に順応して半分水の中で暮らす者とに分かれた。川垂は半水生活に順応した家庭の子で、床下浸水していない家のことなど知らずに育った。

日照りが続こうと、時代が代わり治水整備が進もうと、町に淀んだ川の水は流れ去ることも干からびることもなく淀み続けた。動かぬ水を死水というが、どの水も死んでいるのだから、死んでいる水の中で生きているのだから、生きていることも死んでいることも大して変わりはなかった。

川垂は同じ環境で育った町の者と交接し、水の中で子どもたちを育てた。人より魚寄りであった川垂の子どもたちは淀んだ水から飛び出して、大きな川や海へと飛び出していってしまったが、年に二回は帰ってきた。

百二十四人目 造水

ぞうすい、と読む。自然から流れ出した水ではなく、意図的に造られた水である。大気中の水分を集めて造られたり、人の涙を採取したり、太古に琥珀や水晶に閉じ込められた水を取り出したりしたものに、水とは本来相容れない物を混ぜて造られる。大気中の怨霊だったり人の憎悪感情だったり、太古に琥珀や水晶に閉じ込められた悪魔とかその類である。それらを原子になるまで細かく砕いて水に溶かし続けると、一見無色透明な普通の水に見える。しかしほとんどの人にとってそれは猛毒となり得る。

両親がそれを猛毒と知らずに造水を摂取し続けた後に二人から生まれたのが、造水と名付けられた人であった。造水の身体には血液ではなく造水が流れていた。怪我をすれば身体から凶器のような水が流れて、辺りを腐らせた。そのような身体の作りのせいか、一定の住居に身を定めることなく、世界を流浪した。造水の周辺に生まれる腐った水溜まりに、好んで身を投じる者は少なくなかった。そのような水を普通の人が飲み続けてしまえば、喉も身の内も腐り落ちていくのだが、むしろ望んでそうなる者が年々増えた。造水は最後に海底深くまで歩いて降りていった姿が目撃されている。生死は定かではない。

百二十五人目 記憶溜まり

きおくだまり、と読む。元は美しく輝く水晶の玉であった。その玉は人の記憶を吸い取った。辛い記憶を失くしてしまいたい者から辛い記憶を吸い取り、不幸に酔いしれたい者からは幸せな記憶を吸い取った。自分の生きた証を誰にも与えることの出来なかった者は、全ての記憶を玉に吸い取らせた後、干からびて亡くなった。

やがて記憶の容量が上限を超えた頃、水晶に手足が生え、顔が造られ、人となった。記憶溜まりは無数の記憶で作られていたため、もうこの世には用済みとなった記憶に引きずられて生の大半を過ごした。元の記憶の持ち主に会いに行っても全て無駄足だった。四百年生きた記憶溜まりが自分の生を過ごしたのは、最後の二十年でしかなかった。その間、記憶溜まりは自分自身の新しい記憶を増やし、それまでの他人の記憶を全て忘れた後、水晶が割れるように亡くなった。


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