![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83577560/rectangle_large_type_2_10e5d9af320fa24ba8cc680152f5f5dc.png?width=800)
千人伝(百一人目〜百五人目)
百一人目 孤濁
こだく、と読む。
孤濁は誰かといる時は澄んでいるが、一人になると濁った。だくだくと濁った。何を飲んでも泥水のようで、吸う息には空気よりもチリ、ホコリの方が多かった。だから孤濁は常に他人を求めた。すぐに人に寄り添って、交わって、抱き合った。
それでも相手が眠れば、あるいは去れば、時には死んでしまえば、孤濁は一人になってしまう。一人になれば濁ってしまった。濁ってしまえば気持ちもどす黒くなるばかりだった。
孤濁の最期は、大災害で逃げ惑う群衆に踏み潰される、という悲惨なものだったが、顔の潰れる前、孤濁は幸せそうな顔を浮かべていたという。
百二人目 熱者
ねっしゃ、は熱い人間だった。血液は常に沸騰していた。特撮映画に出てくる怪獣のように火を吐いた。その熱気で周囲を巻き込んで多数の火傷の被害者を出した。
生まれた瞬間にへその緒が燃えだした。産婦人科の医師はすぐさまへその緒を切り落として羊水を浴びせて火を消した。しかし退院する前に七度のボヤ騒ぎがあり、自宅は何度建て直してもすぐに全焼した。
次第に彼は遠巻きに見られるだけの存在となった。ある日熱者は「太陽になる」と言い残して、空へと飛び上がり、落ちてこなかった。
太陽は二つになることはなかったが、強く輝く赤い星が夜空に一つ増えた。
世界の平均気温は一℃上がったが、熱者の地元に限っては五℃下がった。
百三人目 人間
にんげん、は自分は本当は人間ではないのではないか、と思い詰めていた。どのように生きても、足掻いても、もがいても、誰の耳目にも届いていない気がしていた。
どのような声も、歌も、文章も、表情も、想いも、誰にも伝わらない。そのような人間は果たして存在しているといえるのか、いてもいなくても変わらないなら、始めからいなかったのではないか、と。
人間はそのようにして一人悩みながらも、実際はそこそこ人と関わり、そこそこ想いも誰かに伝えて、共感やら同情やら僅かな喝采を浴びたりもした。それでも人間は自分をいてもいなくてもいい者と思い続けた。
人間のような人間はたくさんいた。書ききれないほどに。描ききれないほどに。
百四人目 目歌
めか、と読む。目歌は歌声が目から溢れた。普通に話す言葉は口から出るのに、歌う時だけ眼の奥から歌が響くのだった。身体の構造を一部間違えられたのだ、と目歌の両親は言った。悲しい時には涙とともに歌が溢れた。恋をしている時は輝く瞳からラブソングを飛ばした。
目歌には血は繋がらないが兄弟のような存在がいた。鼻歌、耳歌、足歌、尻歌などがいた。世界中に散らばる兄弟が全て集まれば、一体の巨大な人歌となる、と力説する者もいた。残念ながら誰もが短命で、五人以上の歌族が揃うことはなかった。
目歌の葬儀の際に、閉じることの出来なかった目歌の眼からは、長く細い喜びの歌が溢れていた。
百五人目 火狩
ひかり、と読む。その名の通り火を持って獣を狩った。かざしたタイマツで獣を誘導し、追い詰め、穴や罠に閉じ込めて蒸し焼きに、あるいは直接焼いた。獣の燃える匂いを嗅ぐだけで火狩は満足し、獣の肉を食べずに、全て焼け落ちるのを見ているだけの時もあった。
火狩は他の人々とは関わらず生きていたため、狩り場で偶然火狩に出くわした猟師は、火の根本に火狩がいることに気づかず、人魂や山火事と勘違いした。
年老いた火狩は、絶やすことのなかった火種を自らに燃え移らせて命を閉じた。最期の時、火狩は自分のしていたことは狩りではなく、ずっと火葬だったと気がついた。
入院費用にあてさせていただきます。