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千人伝(百二十六人目~百三十人目)

百二十六人目 巣本

すっぽんと読む。カラスの巣と野鼠の巣との間にあった持ち主のいない巣に、かつての読書家が蔵書の全てを詰め込み、本の巣とした。溢れかえり拡張する本の巣を見て、もはや本を必要としない人々、本のことを忘れてしまいたい人々、自分の書いた本を人に見せたい人々が集まり、本の巣はカラスの巣も野鼠の巣も、その土地に住んでいた人々も飲み込んでしまう規模になってしまった。

自然発火か放火かは分からないが、本の巣は焼き払われた。焼け跡で発見された子どもが巣本である。亀のような甲羅を背負って業火に耐えていた。甲羅はやがて柔らかくなり皮膚と同化し、巣本はその後亀でもなく本でもなく人として生きた。

巣本誕生の由来を知られてしまうと、またそこら中から本が集まってくるのは必定なので、巣本の保護者は巣本からあらゆる書物を遠ざけた。だが思春期を過ぎたあたりから、時折子ども返りして背中を甲羅状にし、全身を覆い隠して自らの殻に引きこもることがあった。読経のような、寝言のような、書物を朗読するような声が、殻から漏れ聞こえてくることがあった。自らの内部を慰め、読んでいるようだった。

百二十七人目 刃楽

ばら、と読む。刀鍛冶の跡取りとして生まれながら、刀を打つことには興味を示さず、物心ついた時から刀の切れ味にだけ心を傾けた。試し切りに初めて使ったのは自分の指であった。やがて刃楽は自身そのものを刀に見立て、触れる者皆傷つけるような人に育った。愛情深い者が近づいても、親友が別離の際に抱きつこうとしても、皆の心をばらばらに切り裂いた。

刃楽の全身には無数の刀傷があった。自分で傷つけたものと、他人につけられたものと。深い傷跡からは絶えず血が滲み出ていた。浅い傷跡を舐めるのが好きな野良猫がいた。刃楽は誰に関わっても傷つけてしまうのに、誰かと関わらずにはいられなかった。誰と関わっても傷つけられてしまうのに、常に誰かの傍にいた。刃楽の傷跡を愛でる猫の数も年々増えた。

刃楽に最後の傷を与えたのはやはり刃楽自身であった。鋭く尖らせた自らの骨で、ジグソーパズルの一片一片のように我が身を切り刻んだ。流れる血は残っておらず、美しい貼り絵のように刃楽の肉片は落ちていった。刃楽の最後の恋人の手により、ばらばらになった刃楽の肉片は薔薇の切り絵として作品となった。美術館に飾られている刃楽の姿は、防腐措置を施していないにも関わらず、生前の美しさを留めている。

百二十八人目 夕グレ
*別項参照



百二十九人目 頭磊

どらい、と読む。頭磊は石頭であった。人の言うことを聞かなかった。聞かないどころか打ち消した。時には相手をぶちのめした。その三倍ぶちのめされた結果、頭の怪我で入院した。レントゲン検査の結果、頭磊の頭の中には大量の石が入っていることが判明した。身体的特徴は時に性格に反映する。身体の內部にあった石が彼の行動に影響していたのだ。石は脳細胞に絡みついていて容易に取り出すことは出来ず、そのまま頭の中に留め置かれた。

頭磊は幼い頃に崖崩れに巻き込まれ、両親を失くしていた。奇跡的に頭磊一人助かったが、両親の肉体は石や砂と一体化したようで、骨も石化していたという。頭磊の頭の中にある石は彼の両親かもしれなかった。

頭磊は自分の中にある石を自覚して以来、石頭は変わらなかったが、他人に対して攻撃的になることはなくなった。外界に向けていた石のような意志は內部に籠もり、頭磊が独り言を呟く回数が増えた。中年の始まりに頭磊は交通事故で亡くなるのだが、彼と衝突したトラックの方が大破していた。火葬後には骨は残らず、彼の形をした黒い石が残され、そのまま墓石として使われた。

百三十人目 絵笛繰他阿

えふえくたあ、と読む。絵を描きながら同時に笛も吹いた。彼女は「描く」と「笛」が似ていることに気付いて以来、そうしていた。どうすれば集中力が上がるかは人それぞれであるが、彼女は一つのことに集中することが出来ない性質であった。何かをするのに、それだけに熱中することが出来ないのであった。一人の人だけを愛することも出来なかったし、お風呂の中では常に泳ぎの練習をしていた。

片手でも吹けるリコーダーを手に入れてからは、彼女の画業はすこぶる捗った。彼女のアトリエには防音設備も完備されていた。天賦の才に人生分の努力を乗せた彼女の絵は次第に評価されるようになるが、笛の腕前は二流だった。だが笛の音色が彼女の絵を強化したように、画業が順調に進むに従い、笛の音色も美しい旋律を奏でるようになっていく。画商が彼女のアトリエに群がるのと同じように、笛の音に誘われて動物たちが山や海から寄ってきた。

絵笛繰他阿の絵を見る者に、絵の中から笛の音が聴こえるようになるのと、絵笛繰他阿の笛の音色を聴いた者に、彼女の描く絵が浮かび上がるようになるのは同時期だった。やがて鑑賞者の前に絵笛繰他阿本人の像が浮かび上がるようになった頃、彼女はアトリエで冷たくなっていた。飲まず食わずで絵画制作と笛の演奏に集中し続けていた結果だった。


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