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千人伝(百三十六人目~百四十人目)

百三十六人目 ただただ

ただただ書きたかった、とただただは言った。ただただはただ無性に何かをやりたくてたまらない性格の持ち主であった。それでいながら、何をやっても、それは自分の本当にやりたかったことではない、という気持ちでいつもいっぱいになっていた。いっぱいいっぱいにもなっていた。

ただただ描きたい、といって絵を殴り描いていた頃も。ただただ歌いたい、と言って叫び倒していた頃も。ただただ寝ていたい、といっていびきをかいていた頃も。やっているうちに次にやりたいことが浮かんできて集中出来なくなるのだった。

ただただは今日もそんな調子で生きている。ただただ生きていたい、と言いながらいつまでも生きている。

百三十七人目 圭さん

圭さんは計算が苦手だ。他の人が一秒もかからず出来る簡単な計算に何分もかかり、その上間違ってしまう。何度かの計算やり直しで正解に辿り着くことは出来るのだが、その次に全く同じ計算をさせると、やはり間違ってしまうのだ。

圭さんに電卓を持たせても数字を打ち間違えてしまう。間違い方も壮大になり、一桁のズレだった間違いが八桁のズレに変わってしまう。五十個の荷物が五十億個になったりする。そのまま発注してしまって、五十億の在庫を抱えてしまい、捌ききれずに山となったまま、生態系が新たに作られてしまったりする。

圭さんは本当は計算なんてしたくないのだという。しかし仕事だから仕方なく、逃げることなく計算に立ち向かっている。圭さんとは逆に計算だけが得意で他に何も出来ない人もいる。二人は仲が良い。休日には二人で山に登って新たな生態系を楽しそうに記録している。

百三十八人目 連座

連座は元々は一人で座っていた。立ち上がる気力もなくし、寝転んでも全く眠れないがために、座り続けていた。動けなかった。口に飛び込んでくる霞や雲を食べて生きた。

いつの間にか隣に並び座る人が居た。反対側にも、前にも後ろにも。自分のような人たちが増えているようだった。中にはうまく霞や雲を捕らえることが出来ず、座ったままの姿で朽ち果てる人もいた。密集する座る人たちの向こう側には、もはや立って動く人がいないようにさえ見えた。

連座は自分が立ち上がれば、他の皆も立ち上がるのではないかと思い、足に力を入れてみた。しかし足は土の下に入り込み、木の根のようにあちらこちらに伸びっぱなしになっており、収拾がつかなくなっていた。まあいいか、と連座はまた座り続けた。足の先を誰かがくすぐり続けていたので、どうにもたまらなく可笑しくなって笑い続けた。

百三十九人目 手術

しゅじゅつ、と読む。手術は手で人を治した。怪我人の負傷した箇所に触れると傷を消した。病人の病巣に手をかざすと病は消えた。つらい経験をして思い悩んでいる人の頭に触れて、消してしまいたい記憶を消した。もうこの世に生きていてはいけないような悪人の全身を抱きしめてこの世からかき消した。荒れた地に伏して花を咲かせ、荒天に手を振り上げて穏やかな天候に変え、毒の沼を美しい湧き水の泉に変えた。

手術はある時寝込みに襲われ、手を切り落とされた。それまで手術によって助けられた人たちが彼を支えるようになった。本当は手術は手だけでなく、足でも舌でも声でも人を癒すことも治すことも消すことも出来たのだが、そのようなことはせず、支えてくれる人たちに甘え、誰も治さない晩年を過ごした。

百四十人目 人生

じんせい、は人として生きたが本当は人ではなかった、と本人は言い遺している。
自分は長く生き過ぎた亀だとか、犬だとか、湯呑みだとか、そんなことを話していた。人になってしまったからには人として生きる他なかった。亀のまま大きな池の中で永遠にでも過ごしていたかったのに。老犬として飼い主の元で眠りながら死んでいきたかったのに。持ち主の不注意でばりんと割れてしまいたかったのに。そんな愚痴をこぼす日々だったという。

今の自分が本来の自分ではないという想いは誰しも持つもので、周囲の人間は気にはしていなかった。愚痴愚痴言いながら大往生した人生には百四十人の子孫が出来ていた。人生は火葬場へと行くことはなかった。葬儀の際の棺桶の中で人生の身体はサラサラと砂のように崩れ始めた。砂は一瞬亀と犬と湯呑みの形を作ったが、誰の目にも留まらぬうちにすぐに崩れた。夢のように。


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