見出し画像

千人伝(百十六人目~百二十人目)

百十六人目 老裸

ローラ、は裸の老人が大勢住む町で生まれた。男も女も老人になると皆裸になりたがるのだった。暑い日に痩せた夫と豊満な妻の老夫婦が互いに上半身裸で手を繋いで歩く横を、全裸で腰の曲がった老人たちが陽の光を全身で吸収しようと、集団で進んでいく。若い頃の老裸には老人が裸になりたがる気持ちが理解出来なかった。
当時仲の良かった異性が「若い人は逆に頑なに脱がなさすぎるよ」と言った。だから君も脱いでよ、という意味の口説き文句だと気づくのが遅かったので、一つの恋は始まる前に終わったりした。

老裸の住む町には陽の光が注ぎすぎるためか、他の地域の人よりも早く人々は年老いた。まだ壮年と呼んでいい年齢でありながら、老裸は見かけは既に八十歳ほどとなっていた。ようやく老裸にも老人が裸になる理由が少しばかり理解出来た。若い頃には出来なかったことが今なら出来る。老いた姿だからこそ試せることがある。言いたかったけれど言えなかった言葉も今なら口に出せる。そう気がついた。加齢は都合よく恥じらいも悲しい過去も流し去っていた。
「若い頃は恥ずかしくて脱げなかった」遅すぎる返事を空に返して、老裸は全裸で町へと飛び出した。まだ若い頃の自分に似た姿の若者が、老裸を見て顔を背けた。その後老裸の背中をしばし眩しそうに見つめてもいた。

百十七人目 亜土

あど、は土に似た人だった。土の上に全裸で寝転んでいれば、ぼんやり歩く人に踏まれたりもした。地上を目指す地中の虫が背中にゴツゴツとぶつかってきたりもした。

土から声がする、と通報を受けても救急車も消防車も出動することはなくなった。「また亜土が歌っている」というのが救急隊員たちの共通認識であった。
亜土の歌声は土地と共振した。森が歌い、山が歌い、空の雲も雨の代わりに歌を降らせた。

歌声の全盛期に亜土は行方不明になる。しかしその後世界各地に、歌声を降らせる雲が現れるようになった。歌の降った土地はどこも豊穣となり、飢えた人々の数を少し減らした。

百十八人目 等狂

とうきょう、と読む。彼は誰もが等しく狂っている街で生まれた。両親は常時幻聴と幻覚に悩まされており、我が子が生まれても、それを幻覚の一つとしか扱わなかった。栄養と愛情を欲しがる、変種の幻覚として扱われていた。父母同時に現実に耐えられなくなり、幻想の世界へと逃亡したのは、等狂五歳の頃であり、狂った街から離れた、田舎の祖父母の元でその後等狂は育った。

しかし田舎には田舎の狂気があった。まともな仮面を被っている人の奥底には、力強く正義感に溢れた暴力性が潜んでいたりした。人として扱われることに慣れていなかった等狂は、他人にもそのように接した。都会から波及した狂気と、土着の狂気が混じり合い、その土地はいつの間にか、人やら家やらが頻繁に燃え上がるような場所になってしまった。

成人した等狂は統合的な狂気を引っさげて都会へと戻った。原子一粒に至るまで狂気で構成されているそこで、等狂は懐かしさとともによく馴染んだ。誰かの幻覚として生きたり、等狂も自身から幻覚を生み出したりした。
多くの都会の若者と同じように、等狂は長くは生きなかった。彼の骨は祖父母の土地に持ち帰られたが、その骨は人体のどこにも存在しないはずの骨だったという。

百十九人目 旧球

きゅうきゅう、と読む。旧球はもともとは一塊の転がる球であった。山の頂上から転がり落ちるうちに、数多の石、植物、動物を巻き込むうちに、一つの生命となり、山の麓に降り立った頃には人となっていた。

様々な生命・性格・生態が入り混じって転がり続けた結果、角が取れ、旧球は丸い性格になっていた。格式張ったことが苦手で、撫でる人がいればすぐについていった。山から降りてきた獣が人を害するといった類の報せを聞くと馳せ参じて、獣のおもちゃのように遊び相手となり、殺し殺されることなく山に帰らせた。

旧球には精神的に不安定な恋人がいたが、旧球の生い立ちを知った恋人は、山から転がり落ちて、顔も肌も角も取れ、山の麓に辿り着いた頃には一塊の球となっていた。旧球はその球に新球と名付け、生涯手元に置いて撫で続けた。

百二十人目 老怒

ろうど、は怒っていた。老怒といつも散歩していた老犬が亡くなったことに怒っていた。同居人に日常的に暴力を受けていた犬だった。それでも老怒は毎日老犬を散歩に連れ出し、散歩の途中で出会う顔見知りの人たちに同居人の理不尽を愚痴っていた。酷暑にも耐えきれなかった老犬の死因は老衰ではあったが、同居人の暴力がなければいくらでもまだまだ生きれたはず、と老怒は怒っていた。

老犬を連れて歩いている時は、老犬のペースに合わせてゆったりとした歩みだったのが、老怒一人で歩くようになれば、若者と変わらぬ速さであった。かつての老犬との散歩コースを辿り、顔見知りの人たちと話す。話題は老犬の死と同居人への愚痴だけではなくなっていた。昔の思い出話が多くなっていた。幼い頃の話をする時の老怒は幼い顔つきになり、当時の年齢に戻っているように話すのだった。同級の誰彼に蹴られた、とか、親類の誰それに理不尽な仕打ちを、とか、若い頃の一時の恋人にどうのこうの、とか。聞く人は老怒の怒りの声を緩やかに受け止めた。老犬の死への悲しみと憤りが収まるまで、誰もがそのような姿勢でいた。

老怒はある日その健脚でいつもの散歩コースを外れ、遠くまで行ってしまった。老怒は幼い日に毎日歩いた通学路へと向かっていた。そんな道はとっくになくなってしまっていたが、老怒の目には昔と同じ道が映っていた。今では水の底に沈んだ故郷の家にまで老怒は歩き続けた。水中でしばらくの間、老怒は生きた。


入院費用にあてさせていただきます。