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「普通」は作り変えられるもの

はじめに

ふつう【普通】
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」

引用:goo辞書

我々が普段使っている「普通」という言葉には、普遍的・当たり前という意味が内在しているため、変わらないものと思いがちだ。

しかし、「普通」というのは時代によって作り変えられてきた。


時代においての「普通」

江戸時代、人々は東京(江戸)-大阪(大坂)間をなんと歩いて移動していた。なので約14日間もかけて行っていたのだ。

明治時代に入ると、日本は文明開化により、工業が著しく発展していった。その流れで線路も敷設され、鉄道が開通したことにより、新橋-神戸間を約20時間で行けるようになった。

これだけでもすさまじい進歩だが、ご存知の通り鉄道はもっと速くなっていき、今では東京-新大阪間をたった2時間半で行くことが可能になった。

江戸時代の人々は、東京-大阪間を歩いて2週間かけて行くのが「普通」だった。だが、現代の人が東京から歩いて大阪まで行くと言い出したらどう思うだろう。

おそらく頭のおかしい人だと感じるはずだ。新幹線で行けばいいのに…。とも思うかもしれない。そう、我々現代人にとって東京ー大阪間は新幹線で2時間半かけて行くのが「普通」になっているのだ。


他にも、昔の人々からすれば「普通」ではなかったが、今では「普通」になっているものがある。

SNSだ。情報化社会となった今、SNSを通じて世界中の様々な情報を瞬時に得ることや、世界中の様々な人と瞬時につながることができるのは「普通」のことだが、昔の人々が現代にタイムスリップしてきたら、驚くことに違いない。

なんだか訳のわからない長方形をしたものの中に人が入っていて話しかけてくるのだから。


「普通」は日々塗り替えられていく

「普通」は、実は限定的で普遍的なものではないことが歴史を通して実感できる。

きっと、今存在している「普通」も塗り替えられて、また新たな「普通」が登場してくるのだと思う。

今では東京-新大阪間を2時間半かけて行っているが、近い将来にたったの1時間で行けるようになると言われている。

だから、その新たな「普通」を楽しみにして生きていこうではないか。


参考文献




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