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土居豊の文芸批評 アニメ編新海誠・震災3部作を観る〜『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』

土居豊の文芸批評 アニメ編
新海誠・震災3部作を観る〜『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』



⒈ 『君の名は。』は観客を選ばない大衆的な映画だ


(1)
話題の映画『君の名は。』を観た。この日は家族で観たが、小学生女子のわが子も意外と楽しんで観ていた。周りの席は中高生が半分以上で、やたらうるさかった。このにぎやかな映画館の雰囲気は、昔よくあったアイドル映画と同じだ。とはいえ、映画『君の名は。』を多くの若い人々が映画館に観にきているのは、映画の将来にとっては良い。
でも、この映画のヒットと、日本アニメが多くの観客に支持されることはおそらく別だ。なぜなら、テレビの人気ドラマのノリが感じられるからだ。話題のドラマを観に来てるという空気が、上映前から劇場内に漂っていた。上映中も上映後も、「話題のものをみた、すごく(まあまあ)楽しめた」という空気が感じられた。これは、アニメファンが観に来ているアニメ映画の、劇場内に漂う独特の空気感とは全く異なっていた。
映画『君の名は。』は、学生が連れ立って観に来れる作品という意味で、かつてのアイドル映画に近い。
さらにいうと、この映画は内容的にアニメである必要がない、と極論することも可能だ。物語は、実写でも十分成立する。むしろ人気タレントをキャスティングした実写の方が、ストレートに泣けるかもしれない。
今回の大ヒット、社会現象化で間違いなく映画『君の名は。』はアニメ映画史に残る。あるいは、あとで振り返ってみたとき、日本アニメがアニメである必然性を失った映画として記憶されるかもしれない。いい換えると、日本アニメが普通に話題の映画として消費されるようになった。
もちろん、これまでもジブリ作品をはじめ、大ヒットしたアニメ映画の話題作はたくさんある。しかし、ジブリアニメを観にいくときは、やはりジブリアニメを観にいくのであって、単なる人気作、話題作だから行くというわけではない。ジブリアニメの多くは、観客の好き嫌いもおそらく分かれるからだ。
ところが、『君の名は。』の場合は違う。予備知識なし、家族連れでも学生同士でも、男女カップルでも同性の友達でも、老若男女を問わず劇場に足を運べる映画だ。
かくいう筆者もほとんど予備知識なしに観て、内容はほぼわかった。小学校低学年では退屈するかもしれないが、10歳ぐらいからなら十分楽しめる。若い世代はもちろん、大人でも高齢者でも満足出来る。
映像的にも音響的にも素直に楽しめるし、過激な場面もほとんどない。そういう意味では、同じ話題作である『シン・ゴジラ』よりもずっと、観客を選ばない大衆的な映画だといえるのだ。

(2)
一方で、この映画への疑問点を以下、挙げてみる。

1)主人公二人に対話がなく、互いのモノローグのすれ違いで構成される
この点では、現代社会に生きる若者の内面を捉えた作品だ。新海監督の過去作品と同じく、理屈っぽいモノローグが積み重ねられる。二人が時間の壁に隔てられて会話が不可能だから、当然といえる。
しかもこの二人は、時間の谷間のような境界世界で短い間対面したとき、肝心なことはなにも話せず雑談で終わってしまう。
現代の若者のリアルな生態を活写したといって済ませばいいが、それで片付かない疑問がある。主役二人と対話できる立ち位置にあり、コミュニケーション力も持っているキャラクターが、二人と対話をしようとしないのだ。二人の共通の知人であるバイト先の先輩女性のことである。ある意味二人のキューピッド役を担うこの女性は、極めて重要な存在のはずだ。
けれど彼女は何度か機会がありながら、主役二人に肝心な話をせず、表情でなにかを問いかけるのみだった。現代の若者像、ということなのだろうか? それとも、この女性は実は入れ替わりの鍵を握っていて、おそらく未来からこの時代に来たキーパーソンだったのかも?
これまでの日常系アニメでも、セカイ系アニメでも、新海作品のように主人公たちが対話をせずにモノローグばかりで自閉する展開は珍しい。

2)歴史改変の設定なのに、主要人物の誰もその対価を払わない(全てハッピーエンド)
これまでの時間改変もの、歴史改変物語では、タイムパラドックスによりマイナスの事態が描かれることが多い。だが本作では、町の住民500人が時間改変の結果死ななかった、という巨大な歴史改変に対して誰も対価を払わない。
3年前に死んだはずの彼女を、どうやって救えたのか? 意識の入れ替わりではなく3年間の時間のブランクを、主役二人はいつ、どうやって乗り越えたのか?
まさか、口噛み酒の不思議な力なのだろうか? あるいは組紐のパワーか? 
物語の根本をなす世界構造、時空跳躍の説明が神話・伝説と神社の儀式や祭では、さすがに物足りない気がする。
そういえば、彗星落下の危機の最中に、世界を救うべき主役二人が互いに会いたい気持ちばかり考えていて、肝心要の町を救う計画を途中で放り出していた。
他にも、彗星が落下しているあの時点でよくぞ500人も避難できたなあ、とか、いくらなんでも意識が入れ替わってて家族が誰も気づかないはずはない、とかいろいろ突っ込みどころは多い。ラストシーンも、並走する電車の窓越しの邂逅はいかにもありそうだが、二人が時空を超えて再会できたのは愛の力? 前世の宿命? あるいは、組紐のパワー?

あと、いくつか疑問を並べてみる。
ラスト、ヒロインの妹が高校生になり、教室からなにかをみている視線は、何かを示唆するようだ。まさか、また同じことが起きる?
彗星落下のとき、町民避難のどさくさで、あの高校生たちの犯罪はなかったことになったのか?
変電所爆破の証拠は、落下の爆発でなくなったかもしれないが、ヒロインの父親である町長が、娘たちの犯行をもみ消そうとしても、さすがに電力会社は変電所爆破されてそのまま放置はしないだろう。
最後に、もう一つ。
新海監督は、アガサ・クリスティの『パディントン駅発4時20分』が好きなのだろうか。列車が並走するという同じシチュエーションで、人々の運命が交錯する場面が似ている。むろんクリスティの場合は、並走する車内での殺人を目撃する、という話だが。


⒉ 『天気の子』は、3.11以降で初めて洪水を真正面から描いた


(1)
映画『天気の子』は、少年冒険物語をよみがえらせた怪作だ。ティーンの主役たちがまともに恋愛しないかわりに、固い友愛で結ばれているからだ。
ヒロインは、成長した「ポニョ」を思わせる一種の異形の姫だ。「ポニョ」が成長したような女の子と、それを助ける男の子の冒険というのが本筋の物語である。
「ポニョ」で描かれた洪水に沈んだ町を、舞台を東京に移して再現したといえる。3.11以来タブーになっていた大規模洪水の場面が、ようやくアニメで描かれたのだ。
だが、それ以外は基本的にファンタジックなボーイ・ミーツ・ガール物語であり、宮崎アニメのテイストそのままである。21世紀の「パズー」と「シータ」(『ラピュタ』の主役たち)だと考えればいいだろう。
このような宮崎アニメへのオマージュとともに、あざといほど目立つのは村上春樹とJ・D・サリンジャーへのオマージュだ。主役の家出少年は村上春樹訳のサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、肌身離さず持っている。この家出少年という設定は、村上春樹の『海辺のカフカ』との共通点でもある。
本作と村上春樹作品やサリンジャー作品との違いは、主役たちを取り巻く大人があまりにも良い人すぎるという点だ。そこに、新海監督の優しい目線が感じられる。
物語は意外な方向へねじれていくが、基本的な作劇はオーソドックスだ。少年がピストルを構えて「何も知らないくせに!」と叫ぶ場面が、かつてのセカイ系アニメの荒唐無稽を、21世紀の現実に着地させている。
ラストの「ぼくらは大丈夫」というセリフ、「ぼくらはきっと、世界を変えた」というセリフ、「このまま、足し引きなしで、このままいさせてください」というセリフには、主役の少年の変化を望む気持ちと、平安を望む気持ちが入り混じっている。
また、彼女の方はなぜ、人柱になるとわかっていて「天気の子」をやり続けたのだろうか? 彼のためか? 母のためか? そういった矛盾する感情も、本作の見どころになっている。

(2)
一方、物語がオーソドックスである反面、弱点が目立つ。
訳知り顔のベテラン刑事と若いエリート刑事のコンビはテンプレートだし、フリーライターの事務所はいかにもリアルだ。
けれど、水没した東京都が首都であり続けるのは、さすがに無理があるだろう。天変地異が襲ったのは日本だけなのか、他国にも被害があったのか、が不明のままだ。前作『君の名は。』と同じく、天変地異が日本だけなのかどうか、外国からの視点がないのは重大な弱点だといえる。
『君の名は。』と並べて考えると、神社仏閣を便利に使い過ぎる点も気になる。
リアリティ面でいえば、あれだけネットで拡散してるのに、天候を操るという恐るべき特殊能力者の彼女が、そのまま無事に放置されるはずはないだろう。日本政府が直接動かなくても、米軍は必ず動くだろう。気象を操れるというのは、『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる「ウェザーリポート」の例を考えればわかるように、無敵に近い超能力なのだ。
それでも、様々な弱点はあるが、何度も視聴したくなる出来のいい映画だ。本作と「ポニョ」との類似を先に述べたが、新海監督は少年の冒険を助ける役割を、大人ではなく小さな子どもに託したのだ。あの児童たちなら、主役の少年を追い越してさらなる冒険をやり遂げるだろう。
難しいのは、普遍的な少年冒険物語を、21世紀の日本の今どう描くかだ。宮崎アニメは20世紀後半にそれをやった。
フリーライター須賀のあり方が、最大の問題点だと考えられる。本来なら少年を助ける立ち位置にある須賀だが、彼はあえて少年を助けない。20世紀の大人像が通用しない、21世紀の世知辛い大人の生き様が反映されている。本作を若い人が観れば、リアルに自分たちへのエールだと受け取るだろう。しかし隠れメッセージとして、須賀の生き様を通じて大人たちには叱咤激励を飛ばしているのだ。


⒊ 『すずめの戸締まり』


3.11をテーマにした映画であり、新海誠・震災3部作の総決算だ。
前2作(『君の名は。』『天気の子』)と比べて、震災被災者の思いを掘り下げる深度が非常に深い。その分、仕方がないことだが、アニメ作品としてのエンタメ性はかなり割り引かれている。
まず、細かいところから言う。
主役の「すずめ」のキャラクターが、明確になっていない。彼女は、災厄に立ち向かうために作られた不自然なキャラクターに見える。
同じく主役級の草太も、役柄のために作られた人造人間的なキャラクターに思える。
主役カップル2人が役柄に従属してしまっている分、ドラマ面を補ってあまりある存在感なのが、「すずめ」のおばさんの環(たまき)と、草太の友人・芹澤くんだ。
中盤以降、物語はロードムービーとなって主役級4人が東北へ向かう。この中で、主役カップルが異世界と戦っている傍ら、環おばさんと芹澤くんは、実にリアルで存在感あるキャラクターとして描かれる。この2人がいなければ、映画自体が嘘くさくみえるぐらいなのだ。
「すずめ」の旅を助けてくれる四国の彼女と、神戸の親子も、見事に脇を固めている。環に惚れている同じ職場の彼もいい味を出している。
総じて、脇役が生き生きとして作品を支えているといえる。そのおかげで、本筋が嘘くさくなってしまう瀬戸際で、からくもリアリティをキープしているのだ。物語が辻褄合わせの無理な作りになりそうで、ギリギリのところで成り立っている。
新海誠は限りなくプライベートな物語を書く創作者であり、風呂敷を広げすぎると、よく失敗している。本作は、危うくそうなるところで見事にバランスを保っている。その意味で、新海誠の失敗作といわれる『星を追う子ども』の後継作に、危うくなってしまうところだった。だが絶妙なバランスで、本作は見事に『星を追う子ども』のリベンジを果たしたのだ。




※筆者は2013年の「あにこべ」授賞式取材で、新海誠さんを間近に見ていた


第18回アニメーション神戸賞授賞式リポート(その1)

《作品賞、新海誠監督作品『言の葉の庭』。
新海さん「『ほしのこえ』というデビュー作が、同じ神戸で授賞したので、とてもありがたかった。」》

第18回アニメーション神戸賞授賞式リポート(その2)
トークショー「アニメパラダイス」新海誠VS荒木哲郎トーク&吉田仁美ミニライブ

第18回アニメーション神戸賞授賞式リポート(その3)






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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/