見出し画像

"恐怖"や"不安"の事前共有

先日、山形県沖が震源となった地震が発生し、新潟県村上氏では震度6強を観測した際に、津波発生の可能性から「避難指示」が行政から発令され、それに準じて避難をした話を書かせていただきました。

存外、類似するエントリがなかったため、その瞬間の感情や行動における狼狽具合を書き記した内容を目にすることはできなかった代わりに「遠くで地震があったんだねぇ」と主題への枕で使われたり、当事者ではないのだけれど知人を心配するエントリは目に入ってきました。

落ち着いている今、改めて当時の状況を振り返ってみて、なんとも言えない気持ち悪さを抱えながら行動をしていたのに気づきましたので、また平たくなってしまうかもしれませんが共有してみようと思います。

過去の経験から恐怖心を抱いていた

まず、我々夫婦の間で共有できていたのは「津波への恐怖心」。地震が起こった瞬間から避難を開始するまでの間に口に出したわけではありませんが、ここ数年の間で「次に住むにはどんな土地が好ましいか」を話していたのを思い出します。

2011年に我々夫婦は結婚しましたが、4月に同居を始めた際に、選んだのは河川敷が近くにあって、大きな道路へ出やすい場所にあるアパートでした。

実際に住んでみての感想は、率直に住みやすく、一本入った道に当該アパートはあるため、車の往来が多くはないので子どもとの生活を始めてからも割と安心して暮らせています。

しかし、河川敷が近くにあるのを望み、選んだものの「溢れるのだ」という認識を持ってはいませんでしたが、住み始めてまもない夏に新潟・福島豪雨によって、その望んだ河川敷から川が溢れるのを目の当たりにします。

2011年の東日本大震災と、川の氾濫を目にしたあたりから、自然災害に対する危機感や不安感を募らせていたのは間違いありません。

この年は漫然としながらも「日本、大丈夫なのかな」なんて不安が増え、報道もそれらを助長するような内容ばかりだったのを思い出しますが、自然災害に対しての恐怖心と不安感があったからこそ、自らが暮らす場所について考え始めたような気がします。

地震が頻繁に起こる国である日本に住む場合、どの地域に住んでいようが地震は確実に起こりますし、それを避けようと思うのであれば地震が起こらない国で暮らさなければなりません。それはあまりにも非現実的。

そして、東日本大震災で恐怖を存分に味わった津波被害についても考えなければなりませんし、川の氾濫も考えなければなりません。新潟県は2011年以外にも2007年に大きな豪雨被害を受けていますし、地震でも過去に被害を被っている機会が多々あります。

地滑りも考慮しなければならないのだと考えると、果たしてどこに住めばいいのか...「海から川を大きな二本超えた小高い丘」であれば、津波や川の氾濫を受けずに生活できるのだと教えてもらったのですが、それはとても遠い場所で生活をするには不便さをぬぐいきれません。

恐怖心や不安感を共有していた

どこかで妥協点をだして探す必要がありますが、子どもとの生活を考えると、高い場所にあれば水害に遭う機会を減らせるのではないかと考え、妻とは次に住む場所として「地盤が固くて高い場所」に暮らそう、と話をしていました。

その前提は「地震が起こるのは覚悟する」のと「そこから派生する二次災害をどう防ぐか」を二人で話をする機会を儲けられるかどうかによって変わると思います。

この恐怖心を共有していたからこそ、ぼくたち夫婦は先日の地震が発生した際にも、お互いに口に出さずとも恐怖心や不安感を共有できており、行動へと移せたのではないかなぁ、と振り返っているところです。

ただ、新潟っていう割と自然災害が発生する地域に住んでいるから、なんて前置詞がつくような気もしますが、体験した経験でなくても、知覚・認識した経験からだってネガティブな感情を抱く機会はあるわけで、それを無視するか否かによるのだと、ぼくは思います。

2011年の地震、津波、地滑り、大雨、川の氾濫...

これらの認識した範囲の中で、どれを防ぎたいのか、防げるのかを考えるのはすごく大切で、自然災害、特に水害は自分の認識次第で防げるものだと思ってます。

それと同時に、自分以外の大切な人が、水に飲み込まれていく様を想像するだけで、ぼくはいたたまれない気持ちになりますし、それを防ぎたい気持ちでいっぱいです。

だから、共に暮らす人とは住む場所について、そこで考えられる災害について、論理的な面(場所や施設、起こりうる可能性や根拠となる事実など)と感情的な面(恐怖感や不安感、など)をきちんと共有し、具体的なアクションプランまで落とし込んでいくのをオススメします。

じゃ、ぼくができていたのかといえば、意識してやっていたわけではなくて、どんな場所に住んだら、暮らしたら楽しいか、嬉しいか、といった話の延長上で、自然災害や二次災害を防ぐための場所ってどこだろう...と考えてる中で、たまたま話をしていただけなので、説得力には欠けるかもしれません。

けど、共有をしていたのは事実だし、結果として、先日の地震の際には避難するアクションへとつなげられました。

想定する災厄に何もしなくて後悔するよりも、きちんと行動を起こしたけど「何もなかったね」で終わった方が何倍も何千倍もいいのです。

無事なんだから。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!