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一日ヘッド博士三昧ありがとうございました!
ファンジン発売から一年経って7月10日の「ヘッド博士の日」にようやく開催できたイベント「一日ヘッド博士三昧」。トークショーとDJイベントを合わせて8時間の長い一日でしたがお陰さまで無事終えることができました。
ツイッターのスペースによるトークショーは参加者が397人、リスニング/リプレイの累計が2326人と多くの方々にお聴き頂けました。
漫画家/コラムニストの渋谷直角さんにはリアルタイム世代と
主催者より #一日ヘッド博士三昧 開催にあたって
全国1700人の読者の皆様、お久しぶりです。
『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』編集人のトオルa.k.a.スケルです。
「一日ヘッド博士三昧」いよいよ明日開催です。昨年コロナ禍のためできなかったファンジン発売イベントの代わりでもありますが、それ以上に今回は特に次の40周年、50周年を担う次世代の方々に向けた内容を企画しています。
トークショーではファンジンの
7月10日『一日ヘッド博士三昧』開催!
7月10日(日曜日)「ヘッド博士の日」に『一日ヘッド博士三昧』を開催します!ツイッターのスペースによるトークショーとBAR DR HEADでのDJイベントの二部構成になります。
【第一部:トークショー】14時~16時
・14時~ 「1991年という時代」ふたたび
Special Guest:ライター/漫画家 渋谷直角さん『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』『奥田
世界塔よ永遠に~2021年の記憶の記録
その塔は1991年7月10日に建てられた。
60年代の“夏の恋”を
90年代の“二度目の夏の恋”として
模造したその塔は
愛好家の名所となったが
建立者の2人はその年の秋に
突然姿を消した。
塔は修復されることもなく老朽化が進み
その姿を見ること自体が
だんだんと困難になった。
四半世紀以上経ってようやく電子の世界で
一部が復元されたが
未だに全体を見渡すことはできず
建立者も関係者も
その
FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER outtakes~30回目の10月29日~ トオルa.k.a.スケル
本日は30回目の10月29日です。ファンの方ならご存知の通り『ヘッド博士の世界塔』30周年はフリッパーズ・ギター解散30周忌でもあります。
フリッパーズ・ギターが1990年4月から1年半の間、FM横浜で毎週火曜日の19時30分から30分ほどパーソナリティーをつとめていたラジオ番組「マーシャンズ・ゴー・ホーム」。1991年10月29日の同番組の放送が結果的にフリッパーズ・ギター解散の公式発表の場と
「過去からのメッセージ」まきぽん~ヘッド博士とわたし another story [2]~
1995年の中学卒業間近。「今夜はブギーバック」以降注目していた、小沢健二の新曲「強い気持ち強い愛」に衝撃を受けた私は、すぐさま彼のそれまでのCDを聴いたり、たまたま自宅にあった音楽雑誌に載っていた彼のインタビューに目を通すようになった。そこにあった「フリッパーズギター」という言葉。それが全てのはじまりだった。
新しい季節は なぜかせつない日々で。
誰も触れない 二人だけの国。
スピッツ「ロビン
編集部座談会[3]~酔っぱらいの与太話と女子トーク
ジュリアン・コープ=「ヘッド博士」?トオル 次が「元ネタ(から読み解く1991年のレコードジャンキー事情)」ですけど、ネット時代になって本やブログで散々研究されてるし、サブスクでも元ネタのプレイリストもあったりで、今更感があって新しい発見もないだろうと最初思ってて。でも、91年当時はどんなものを聴いてたのかな、というのと、後になって「どうやって見つけたの?」ってよく言われたので。
青木・照井 そ
ファンジン編集部座談会[2]~「語り部」が8人だった理由
選考基準は「聞き込み具合」トオル いろんな年代の人の記憶が一番反映されたのが「ヘッド博士とわたし」ですよね。年代もそうだし、その人の聞き込み具合というのかな、ブログとかTwitterを見ててすごいマニアックに分析して聴いてるなっていう人もいれば、単純にあの頃すごい好きだったよ、楽しかったよっていう人もいて、そういうバランスを考えて8人を選んでみようと思ったんですよ。もちろんジェンダーバランスも考え
もっとみる編集部座談会[4]~「英国音楽」と「1991年の夏から秋」と「軍艦島」
小出亜佐子さんが作ってくれた「つながり」トオル 次は今回小出亜佐子さんの「ミニコミ『英国音楽』とあの頃の話 outtakes 1991」。僕が小出さんに会ったのは、ファンジンで書いた通りFAKE HEAD'S NIGHTのときが最初で最後で、その後はずっとお会いしたことがなくて。Twitterを始めてから、偶然フォローし合うことになって。タイミングも良かったんですよね。小出さんの「英国音楽とあの頃
もっとみるファンジン編集部座談会[1]~この世でいちばん肝心なのはステキなタイミング?
ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』が7月10日に発売されてから二か月後の9月8日。編集部メンバーが初めて勢揃いしました。コロナ禍もあったため、ファンジン制作中に直接会ったのは私ことトオルa.ka.スケルと青木正さんがデザインの打ち合わせの数回だけで、編集会議も校正もSNSのメッセージやチャットで行いました。そもそもなぜこの四人だったのか、どのような思い
もっとみる「我が人生の5分の3」✘やすす✘ケンジャ&スタン ~ヘッド博士とわたし another story [1]~
1991年7月10日は、水曜日だったと思う。当時18歳の僕は千葉の自宅から文京区の私立高校に通学していた日のはずで、発売日に購入したのは記憶しているが、帰宅時に津田沼パルコで買ったのか、渋谷のHМVまで出掛けたのかは定かではない。しかし、もしも渋谷に行っていたなら、まして発売日であれば何かPОPの一つも覚えていただろうことから、恐らく前者であるのだろうと、それ以上考えるのは止めた。彼らの音楽は当時
もっとみる募集! ヘッド博士とわたし~another story~
募集! ヘッド博士とわたし~another story~
note版『FOREVER DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER』募集企画第一弾として「ヘッド博士とわたし~another story~」と題し皆さんからの「記憶の記録」の原稿を募集します!
ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER』ではリアルタイム世代の方に執筆いただきましたが、今回
企画・編集人日記【3】~ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』ができるまで
●2021年6月16日~7月3日
朝から夕方は仕事、夜はファンジンの校正、BASEショップ準備、発送用封筒の発注、ショップ限定特典バッジ発注で多忙を極める。編集協力の祐子さん・照井さん、デザイナーの青木さんも同じように普段の仕事をしながら合間にファンジンの作業を行ってくれた。多謝。
●2021年7月4日
ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER』7月4日から
企画・編集人日記【2】~ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』ができるまで
●2021年5月9日
原稿執筆依頼開始。依頼はツイッターのメッセージで行った。メッセージのやり取りをするたびに頭をよぎったのは『ヘッド博士~』ではなく井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」だった。
♪この頃は友達に 手紙ばかりを書いている
ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べている
夢見がちな子供たちに笑われても
以降、執筆者との連絡、対談・座談会もツイッターのメッセージやグループ・チャットだけで
企画・編集人日記【1】~『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』ができるまで
●2019年7月12日
2019年はフリッパーズ・ギターがデビューして30周年のアニバーサリー・イヤーだが、1st『海へ行くつもりじゃなかった』、2nd『カメラ・トーク』は2006年8月に紙ジャケ、2010年にSHM-CDで再発され、サブスクリプションでも配信され始めたのに、3rd『ヘッド博士の世界塔』は中古盤でしか入手できない廃盤状態でサブスクリプションもシングル曲の「グルーヴ・チューブ」「星の