ファンジン編集部座談会[1]~この世でいちばん肝心なのはステキなタイミング?

ファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』が7月10日に発売されてから二か月後の9月8日。編集部メンバーが初めて勢揃いしました。コロナ禍もあったため、ファンジン制作中に直接会ったのは私ことトオルa.ka.スケルと青木正さんがデザインの打ち合わせの数回だけで、編集会議も校正もSNSのメッセージやチャットで行いました。そもそもなぜこの四人だったのか、どのような思いがあったのか、四回連載で紹介します。

参加者:トオルa.k.aスケル/大久保祐子/照井葉風/青木正

思いつきで始まったファンジンづくり

トオル まず、みなさん、僕から依頼がいった時どう思いました?

大久保 トオルさんから先に「今年はヘッド博士30周年なので何かやりたい」と言われてたので、正式に話が来たときは「来た!」と思いましたね。ただ、何をやるかまでは明かされてなかったので、「なるほどファンジンかぁ」って。でも誘っていただいてすごく嬉しかったですね。

トオル 照井さんはいかがでした? 照井さんはすでに「Something On My Mind」というジンを2冊作っていたので、その経験をお借りしたというのもありました。

照井 僕が作ったときのノウハウとかは貢献できればと思っていたので、原稿の依頼までいただいてむしろ恐縮でした。原稿は他の人に……と思っていたけど、せっかく依頼いただいたので他の人が書かなさそうな内容にしようと意識したのと、「こういう人もリアルタイム世代の中にいたんだよ」というのを伝えようと思って書かせていただきました。

トオル 青木さんは今回デザインということでお願いしたんですが?

青木 月並みですけど、嬉しかったです。僕にとってはこのステップの一つ前に「FG30」(フリッパーズデビュー30周年の2019年に開催した企画)という集まりがあっての話だったので、あれに参加してほんと良かったなと思います。ああいう集まりにあんまり参加しないタイプだったので。さらにその前に、コーネリアスの「Mellow Waves」が出た年、フジロックに2人(小山田、小沢)が出たあの年あたりからTwitterの使い方を変えたんですよ。それまではインスタとただ連携させてる使い方だったんですけど、あの年から小沢・小山田関連の昔の雑誌の画像をTwitterに上げたりするようになって、それが今に結びついたみたいな感覚です。

トオル 30周年ってタイミング的にはいいんですよね。たしかコーネリアスが2018年のライブのMCで「来年(2019年)は、(フリッパーズで)デビュー30周年」みたいなことを言っていて、それで2019年の「海へ行くつもりじゃなかった」の30周年があって、翌年はカメラトーク30周年、さらにその次はちょうどヘッド博士30周年で。30周年で何かやりたいなという気持ちがあったので、先にTwitter でアカウントを作って手を付けてはいたんですよ。

大久保 それはいつ作ったんでしたっけ?

トオル  2019年なんですよ。

大久保 ということは2年前……。

トオル 私が中古 CD の査定の仕事をしているんですけど、その頃からヘッド博士の中古盤が入荷して売れるペースが早まった感じがして。800円とか900円くらいで市場に出してたんですけど、それだと1日くらいですぐ売れちゃう感じで、段々とこれ値上がりするかもって思って。「30周年だけどこれって再発されるのかな?」という気持ちも沸いてきて、勢いでTwitterのアカウントを作っちゃったんです。できればTwitterで再発署名を集められたら、と思ってたんですけど、いろんな方が「(再発は)無理じゃねーの」っていうツイートをされていたし、僕も当然無理だろうなぁと思ったので30周年になった時に何かイベントとかトークショーとかが出来ないかなと考え始めて。その中でいまZINEも盛り上がってるし、なんとなく書き手も編集も、デザインをやってくれそうな人もあたりが付いたので、たぶんここで号令をかければ作れるんじゃないかなって思ったんですよ。本当タイミングだったんですよね。 企画もすぐにぱっと思いついて。

大久保 何年かZINEの構想を温めていたわけではなく、思いついてすぐに行動に移した感じですか?

トオル ほんと思いつきで 作り始めて……。まず、「ヘッド博士とわたし」みたいなエッセイを書いてほしいなと思って。これは誰でも思いつくものだしブログでも書いている人多いし。次に、やっぱりヘッド博士といったら元ネタだよねということで、元ネタをブログで書いてる人もたくさんいるから、ここらでちゃんとリストにまとめておくかと最初は思って。次に思いついたのがやっぱりライブを見た人の話。これは元々エトゥさんが「わたし観に行った」ってツイートをしていたのを見て、彼女とだったら思い出話できるんだろうなって思って。

大久保 じゃあエトゥさんのつぶやきから生まれたんだ(笑)

「1991年の記憶の記録」にこだわった理由

トオル そんな感じだったんですけど、これをただ並べるだけじゃおもしろくない。何か全体を貫くコンセプトが必要だと思って。そこで思ついたのが「1991年の記憶の記録」だったんです。ヘッド博士を語るときに1991年ってどんな年なのかなっていう話が必要だなと。みなさんは「1991年」と聞いてぱっと思い浮かべることは何ですか?

大久保 ちょうど高1になった年なので、高校生からの思い出になりますけど。自分は高校生から音楽を聴き始めたのでそのことですかね。 当時の社会や時代についてはあんまり思い出せないけど、その時聴いていた音楽とかそういうのかな、私は。

トオル 80年代と90年代を比べて「社会の雰囲気が変わったな」みたいなのって、何か感じるものありました? 

大久保 えー、どうかな。今となってはですけど、その時の実感はあんまりないかな。

青木 お2人(大久保と照井)は同い年くらいですよね?

照井 僕が大久保さんの1コ下かな。

トオル じゃあ、照井さんはその時は中3?

照井 91年は中3でしたね。80年代的なものが苦手だったのはあります。小学5年生くらいから音楽を聴き始めて、中学生になって洋楽も聴いてみようと思って、6歳上のお兄ちゃんの部屋にあったのが、パワーステーションとかデュラン・デュランとかネーナとかで。聴いたけど音が苦手に感じて。ダサい音に聴こえて。あと、ジャケットの派手派手しい感じも、、、。

青木 チャラチャラした感じありましたよね。

大久保 その頃は「1年経ったらもう古いもの」みたいな感覚はありましたよね。

青木 僕はそのお兄さんのコレクションあたりから洋楽を聴き始めたところがあって、初めて洋楽に触れてるんだけど、キラキラして楽しそうっていうよりは、なんか浮ついてるなって感じて。

トオル キラキラ感が嘘っぽくなったのかな、というのはあったかもですね。初めはファンジンのイントロとして、社会とかファッションとか映画とか91年に流行ったものの年表を作りたいなと思ったんです。でも、それってネットで自分で検索して作るだけになりそうだったので、誰かこういう事を的確に書ける人がいないかなって。それで、ばるぼらさんが適任だなって思って書いてもらった「1991年という時代」がドンピシャの内容だったんですけど、いかがでした?

大久保 「FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER」が出来上がってきたときに青木さんと読みながら「冒頭にばるぼらさんのこのページがあるだけで全然違うよね」って話しました。説得力があって、ここから始まるのが良いなって思って。急に思い出話が始まるよりも、やっぱりこういう時代背景をしっかり書いてそこから読み始められるっていう、なんか贅沢な感じですよね。

トオル これまで2冊ZINEを作ってる照井さんから見て、どうでした?

照井 ただの昔語りの気楽なファンジンじゃなくて、往年のファンにも読み応えあるだろうと感じたし、91年のことを知らない人のこともちゃんと考えてくれてるのでそこはとても良かったと思います。

トオル ばるぼらさんのページは文章の内容はもちろん、青木さんのデザインの勝利だなって思ってるんですけど。特にフリッパーズ・ギターが表紙の雑誌を一切載せてないのが、面白い感じになったなと思う。

青木 最初、ヘッド博士が出た時のロッキング・オン・ジャパンの表紙は一応スキャンしていたんですけど、使うか使わないか迷ってて。なんか一個だけ入ってるのも中途半端だし、ここまで敢えてフリッパーズを載せてないから、もう使わないでおこうと思って。でも、それで当たりだったので良かったです(笑)

トオル よくこの辺の雑誌を取っておきましたね。ばるぼらさんの「90年代は91年から始まった」ってすごい名文だと思うんです。過去のことをネットで掘り返して単発的にSNSで出す人はいるけど、ここまできちんと整理して分析し、しかも文章力がある方が巻頭に書いてくれたことで他にはないファンジンになったと思ってます。

大久保 私の中ではこれ、「フリッパーズのファンジン」じゃなくて、「ヘッド博士のファンジン」っていうイメージで。ヘッド博士は91年の音だから、やっぱりフリッパーズのことがずっと書いてあるよりは、ばるぼらさんの文があってすごく分かりやすくなってる。

トオル ヘッド博士について「これはこんなアルバムである」みたいな事は専門の音楽ライターが散々書いてるし、優れた耳と文章力がある音楽ライターなら年齢は関係ないわけで。そんな中でいくら素人とはいえ30周年でファンジンをつくるにあたって何か説得力が必要だなって思い、「音楽ライターには作れないものって何だろう」って考えたときに、リアルタイム世代のみんなにがんばって91年の記憶を掘り出してもらうことしかないかなって。

大久保 最初に原稿依頼いただいたときも、トオルさんが「その時何歳で、どんな音楽を聴いていたかを盛り込んでくれ」ということで強調してましたもんね。それがなかったら、今思い出すヘッド博士の、アルバム自体のことを書いちゃったと思うんですけど、今その意図を聞いて、「なるほど、だからその時代のことを書いてほしかったんだな」って分かりました。

トオル 年齢差はあるとしてもそれぞれが感じた91年ってあるんだろうなと思って、僕より年下である祐子さんや照井さんにお願いしたのもそういう理由でした。青木さんはほぼ僕と同世代だったので、デザインの面でそういう雰囲気を出してくれるだろうなと思ってお願いしました。

大久保 照井さんがこのファンジン参加者の中では一番若いですか?

照井 みたいですね(笑)

トオル ばるぼらさんが結局いくつなのか分からないんですけど。

一同 (笑) 

トオル そこはあまりツッコミを入れると、ね(笑)

~「第二回」に続く~

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