フリッパーズ・ギターとあのころ

きっかけはシャムキャッツのファンが行っていたイベントの告知を目にしたことだった。DVD上映会プラスお喋り、というゆるい集いにピンときて、いつかこんな感じの企画をしてみたいですね、と話しはじめた照井葉風と大久保祐子。90年代音楽バブル期を過ごした同世代ということもあり、今だとお題はやっぱ渋谷系とかですかねーと相談し、そこでタイミングよく今年はフリッパーズ・ギターがデビュー30周年だということに気がつく。もう若くはない2人はやるなら今しかないということもわかっていたし、できれば年内に実行しよう、と話を進めた。フリッパーズだけではなく、その周辺の音楽の話ができればいい。知り合いやそのまた知り合いの範疇で、該当する人に声をかけてみることにした。10人ほどの方々から快く参加にご承諾いただけた。
奇しくも開催日はThe Monochrome Set、そして元Talulah Goshのアメリア・フレッチャーによるThe Catenary Wiresの来日公演の日だった。

FG30

*参加者 
青木さん、トオルさん、SAWASAWAさん、エコロさん、ayumiさん、志田さん、脇本さん、照井さん、大久保 計9名(欠席者1名)

画像1

会のメインの催しは、昔スペースシャワーで放送された1990年のフリッパーズ・ギターのライブ映像の上映。参加者の年齢層は10代~50代までで、40代が多め。男女比は半々といったところ。せっかく集まっていただくのだから何か記念になるものをお土産にしたいと考えて、そうだ、バッヂを作ろう!と思いついた。この会に呼びたかったけれど残念ながら遠方で来れなかったneeさんには何か別のかたちで参加してほしくて、ロゴのデザインをお願いした。完成したのはパステルズみたいに少しかすれた文字の素敵なバッヂ!それはフリッパーズやそこから発展した音楽が好きな人に向けて作った仲間のしるしとして配るのにとてもふさわしいデザインだった。この日の為に照井さんがせっせと作ってくれた資料と共に来場者に配った。

画像2

任意で持ち寄った膨大な量の昔の雑誌の切り抜きやフライヤーを眺めて暫し談笑しつつ、和やかな雰囲気でスタート。まずはひとりずつ簡単な自己紹介と、フリッパーズについてのエピソードを語ってもらった。あとになって思い返せば、実はここが会の一番のハイライトだったかもしれない。90年代の渋谷を思いっきり体験した人、少し遅れて追いかけて聴いた人、デビュー前のフリッパーズのライブを目撃した人や、なんと「デザインあ」でコーネリアスを知ってから遡って聴きはじめた人まで(!)、それぞれが自分の大切な思い出のアルバムをそっと開いて見せてくれたような、大変貴重な時間でした。

そして次はお待ちかねのDVD鑑賞。ファースト・アルバムからセカンド・アルバムの間のちょうど2人体制になったばかりの頃の貴重な映像を静かに眺める参加者たち。29年前の初々しい姿に少しくすぐったいような気持になったり、サポート・メンバーのドラムのヨシエちゃんのパワフルなプレイにくぎ付けになったり、そして「The Chime Will Ring」の演奏の直後には思わず拍手が起きた。途中で参加者のトオルさんがお宝として持参した昔のチケットが、まさにこの日のライブのものだと判明。
……目撃者がいた!

画像3

(↑これぞお宝。思い出を超えてくチケット)

まだ持ち曲が少ない新人バンドだった彼らは、ライブの最後にペイル・ファウンテンズの「Jean's not happening」のカバーを披露してくれた。これがまた初期のフリッパーズのテイストに当たり前のようにハマっていて、何故これを音源化しなかったのかと悔やまれるほどよかった。

画像4

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


後半は参加者のトオルさんがお手伝いをしていた伝説のファンジン『FAKE』の第2号の記事を参考にして、事前に私が作成したフリッパーズの元ネタプレイリストをBGMとして流しつつ、皆で楽しいお喋りをした。

雑談の記録

(青木さんが持ってきた1990年公開の映画『オクトパスアーミー 渋谷で会いたい』の映像を見ながら)

青木 昔の渋谷ですね。これはラ・ママに行く道だ。東幹久が出てます。

照井 これフィリップスが出てるんですよ。

青木 あ、出てるんでしたっけ?この映画でフリッパーズのファーストの曲がちょいちょい使われてるんです。でもあんまりフィットしてない感じ。

照井 つみきみほが「見上げてごらん夜の星を」を歌うシーンで後ろで演奏してるのがフィリップスなんですけど、これは本当はフリッパーズがやる予定だったのを断ったらしくて。

一同 へぇー。

青木 これって「Friends Again」の頃ですよね。てことは撮影がもっと前だと考えると、そっか!まだ5人の頃のフリッパーズにやらない?って声をかけたってことですよね。

一同 なるほどー。

照井 「Friends Again」って2人になってから最初のシングルじゃないですか。インタビューだと他のメンバーが小沢と喧嘩して抜けたと言ってたんで、そのことに対してのアンサーソングみたいな意味合いなのかなと思ってたんですけど、そんなこともなくてもともと決まってたっていう。

大久保 タイミング的にそんな感じになっちゃっただけなんですね。

青木 小山田圭吾が入院してる病室にメンバーが代わる代わる来てそれぞれ文句言ってて、それで嫌になっちゃったみたいな(笑)。そんなんでしたっけ?

大久保 嫌になっちゃってもその後もよく2人でやりましたよね。

ayumi  ねー。そこで全員がバラバラに分かれなかったのが凄いですね。

青木 だからその時の結束は強かったってことですよね。

大久保 さっきのライブ映像の合間のトーク場面を見ても凄く仲良さそうですよね、2人。

ayumi  うん、なんかいちばんまとまってると言うか……。自然な感じがしましたよね。

画像5


トオル (資料を見ながら)このマッピングが重要だと思いますね。

大久保 照井さんのZINE(Something on My Mind)のいちばん最初のページを見て、これ凄く面白いなあって思ったんです。で、そこから大体フリッパーズの影響があった年の前後を抜き取って、この上の空いてるマスに例えば何のアルバムが入るかっていうのを思い出そうかと……。

照井 それを今この場でみんなで考えられたらっていう企画なんですけど。

一同 なるほどー。

SAWASAWA でも覚えてないんだよねー、意外と。

エコロ やっぱりでもプライマル・スクリームとストーン・ローゼズは強いっすね。

青木 フリッパーズの話ができる友達はストーン・ローゼズの話もできる友達っていう。

大久保 そうなりますよね。

エコロ 実際、2人も大好きだったみたいですもんね、プライマルとか。音もモロにそうですし、「Screamadelica」もそれ以前のものも。

大久保 私はちょうどこの91年が高校生になった時でいちばん音楽を聴き始める頃だったんです。自分が興味を持ち始めた音が『ヘッド博士の世界塔』に入っていたからすごく衝撃的で、それ以前のアルバムも大好きなんですけど、自分があとから知った音楽の要素だったんで時代性に絡めて聴いた感覚がなかなか無くて、やっぱり91年以降が自分の中で音楽的に強い時期なんですよね。

脇本 『ヘッド博士の世界塔』を聴いて何を思い浮かべるのかっていうのは人によって結構違って、僕が初めて聴いた時にはもうあれしかないの、バッファロー・スプリングフィールド。あとはモンキーズね。元ネタもいろいろあるけど、そっちにしか意識がいかなかった。だから逆に新しいほうは知らなくて、マイブラなんて聴いたの40代になってからだからさ(笑)。引っかかるところが年代によって全然違うよね。それだけ豊かなアルバムっていうか。あとビーチ・ボーイズが入ってたのは嬉しかった。

大久保 ビーチ・ボーイズの要素はそのあとのコーネリアスに流れていきますよね。

脇本 あの時代、ちょうどビーチボーイズの再発が出はじめた時期でCDでも聴けるようになったんだけど、それまで実はみんなあんまり聴いてないの。中古屋にもあんまりなくて、手に入るのが『Pet Sounds』か『Smiley Smile』だけで。

大久保 へえー。認知度的にはどんな感じだったんですか?

エコロ 懐メロみたいな……?

脇本 そうそう。サーフィンバンドだろ?みたいな感じで誰も聴いてない。過去にビートルズに挑んだバンドだったっていう認識は無くなっちゃって。でも87~88年のライブハウスシーンでその認識がある人たち、例えばオリジナル・ラヴとかカーネーションの直枝さんとかがいち早くライブでカバーをやるわけよ。その辺で「おーわかってるなー!」って感じがあったりしたの。だからフリッパーを境にどっちを見るか、同時代を見るか、過去を見るのかは人によって随分違いますよね、きっと。

トオル 89年のメジャー・デビュー組は、ニューエスト・モデルとかボ・ガンボスとかソフトバレエとか。その中でフリッパーズってやっぱり異質だったんですよね。英語だったっていうのもあったし。僕が当時バイトしてたレンタル屋の店長が、音だけ聴いて洋楽だと勘違いしてましたからね。「えっ、今の若い子達は英語で歌っちゃうの?そういうものがメジャー・レーベルから出るんだ?」って驚いてて。

エコロ ちょうど「イカ天」の頃ですもんね。89年って。

トオル でもこの時はフリッパーズとローゼズがやっぱり一番ショックだったっていうのは覚えてますね。ここから自分の音楽の趣味が変わっていったので。その前の88年くらいまでは、普通に流行っていた洋楽や邦楽を聴いてたんですよね。渡辺美里だとか米米CLUBだとか、久保田利伸だったりとか。89年あたりからその辺のEPICレコードやCBSソニーが逆に失速しはじめるんですよ。

SAWASAWA そうそう、それすっごいわかります!

トオル 洋楽でもレッド・ホット・チリペッパーズが出てきたり、どんどんオルタナの方向に行きはじめて、お店の推すものが段々とマニアックなものを置く方向になったという時代ですよね。だからこうやって、照井さんの表みたいに並べてみるとわかりやすいと思いました。

脇本 でもこれ、オリジナル・ラブは遅いでしょ?91年って。

大久保 そうなんですよ!だいぶ遅い感じがするんですよね。

脇本 オリジナル・ラブはあの頃、88年にはライブハウスで絶大な人気があるわけですよ。人が溢れて入れないくらい。でも何でなかなかメジャーから出なかったかっていうと、歌詞がないから。

一同 へえー。

脇本 いや、これは僕の意見だけど多分そこが最大のネックで、レコード会社の人たちは歌詞がなくちゃっていう認識がまだあったと思う。だからフリッパーズがメジャー・レコードから出たのは、よっぽど牧村さんたちが理解があったんだろうなと思いますよ。そこからオリジナル・ラブは田島さんがピチカート・ファイブに加入して、また戻ってきたときには全部日本語の歌詞でやるっていう。だからオリジナル・ラブは遅れましたよね。そこがファンとしては歯痒い感じがあって。

トオル 91年はピークな気がしますよね。野宮真貴加入後のピチカート・ファイブのアルバムがその頃ですし。

照井 『女性上位時代』が91年です。

脇本 あー、じゃあこの表の91年の一番上は『女性上位時代』だ。

一同 うんうん。

脇本 小出亜佐子さんの『英国音楽とあのころ』に書いてあった時代から来た上昇カーブがここで終わる感じかな。

照井 その上昇が終わったのがやっぱりフリッパーズの解散があったかもしれないですね。

トオル そのあと小沢健二とコーネリアスが売れなかったらフリッパーズって残ったのかな、っていうのは最近考えることではありますね。

画像6


SAWASAWA 資料のこれ、面白いね。10代から20代のアンケートの回答。

照井 これはツイッターでアンケートをしたんですけど、回答を大々的に募集する前に先に若い人たち11名に声をかけて答えてもらったアンケートなんです。初めて聴いた曲はやっぱり「恋とマシンガン」で……。

大久保 「恋とマシンガン」が9票で、あとは1票ずつなんだ((笑)。

脇本 今でもやっぱりこの曲で語られる、ってのはあるよね。フリッパーズイコールお洒落、っていうイメージはこの曲と結びついてるよね。

大久保 でもフリッパーズを好きな人の中では「恋とマシンガン」は1位の曲じゃないんですよね。

照井 まあ大ヒットじゃなくてもヒットしたらそれなりに残るってことですよね。その後のアンケートは180人位の方に答えてもらってて、年代ごとに分かれると思うんで、それはまた改めて集計して発表したいと思います。フリッパーズを知ったきっかけは?っていう質問は、やっぱり親が聴いてて、とかカラオケでブギーバックを知って、とか。あとは志田さんみたいに「デザインあ」から入ったとか。

脇本 そういう意味ではいまだに最前線だもんね。小山田君は。いい歳の取り方をしてる。

照井 あとはフリッパーズを聴くとどんな気分になる?っていう質問は、僕は単純にいい気分になるんですけど、他の人はどう思ってるのかが気になって。切ないとか、勇気づけられるとか、羨ましいとか、幸せになるとか、皆さん色々と答えてますね。

エコロ 僕は高校の時は2人になりたくてしょうがなかったんですよ。

一同 ああー(頷く)。

SAWASAWA そう!みんなそうだった!

大久保 2人にもなりたかったし、多分ああいう友達が欲しかったんじゃないかと思うんですよね。音楽をよく知ってて、大人に対して挑発的で、でも好きなことやってかっこいいみたいな。

エコロ あとマイノリティだったのが僕の中ですごく大事で。知る人ぞ知るっていうのがくすぐられて。もっと知りたくなる感じ。ちょっとひねくれてるところも自分と重ね合わせたりして。

ayumi そういう時期ってありますよね。みんなが知らないものを追求したいっていう。

エコロ だってクラスに知ってる人なんかいなかったんですよ。当時小沢が流行ってる時でも。なので聴こえてくる音で想像して、シンパシーを感じて。だから僕もう、こういう持ち合って集まる場も実は初めてなんですよ、今日。信じられないですね。みんなそれぞれで抱えて今まで生きてきたんだよね、その気持ちわかるよって。

一同 (爆笑)

脇本 ほんとそうだよね。だってツイッターで繋がりだしてからでしょう?ライブ会場でも観て帰るだけだったもんね。結構みんなすれ違い人生だよね。

(この後も楽しいお喋りはまだまだ続くのでした……)


*2019年(令和元年)11月9日土曜日 
(穏やかな)午後、表参道にて

照井さんのZINEについてはこちらから

『Something on My Mind』




#TheFlippersGuitar
#Cornelius
#小沢健二


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?