「我が人生の5分の3」✘やすす✘ケンジャ&スタン ~ヘッド博士とわたし another story [1]~

1991年7月10日は、水曜日だったと思う。当時18歳の僕は千葉の自宅から文京区の私立高校に通学していた日のはずで、発売日に購入したのは記憶しているが、帰宅時に津田沼パルコで買ったのか、渋谷のHМVまで出掛けたのかは定かではない。しかし、もしも渋谷に行っていたなら、まして発売日であれば何かPОPの一つも覚えていただろうことから、恐らく前者であるのだろうと、それ以上考えるのは止めた。彼らの音楽は当時既に聴いていて、兄貴から紹介されたか勝手に聴いたかの『カメラ・トーク』が出会いの一枚だった。当時17歳で何もかもうまく行かない苛立ちの中に居た私に、小沢さんの歌詞が刺さらない筈もなく、小山田さんの歌声はそのころ聴いていた他のアーティストの曲を聴かなくなってしまうくらい、甘く・切なく、小沢さんの歌詞と二人のメロディーをより一層彩っていた。

話は『ヘッド博士の世界塔』である、一度戻そう。帰宅して最初に聴いた時、『カメラ・トーク』のようなアルバムを期待していた僕は「?」と感じたのは正直な感想である。30年前の話のため、先行のシングル(グルーヴ・チューブ)をその前に聴いていたかもあやふやな記憶の僕であるが、アルバム全体を通した辛辣な感じというか、軽いノリが流行っていた時代にあって突き詰めた「想い」を感じていたのかもしれない。蛇足であるが、売れるのかな、コレ?と余計な心配までしたのも覚えている。

それから30年、自分がここまで好きであり続けることも、ましてや当時一人でひっそり聴いていた僕が、同じ好きな気持ちを持つ皆様と、同時再生なんてイベントを自ら企画し語り合う何て、予想も出来ないことだった!神様がそばにいるような、時間続く~!である。5分の3というのは、結構な割合だ。僕を形成してきた年月のうち、60%はこのアルバムが常に傍にいたのだ。

これからは、当時のように総武快速でもみくちゃになりながら聴くこともないだろう。学生時代小田急線で新宿のバイトに急ぐとき車窓を眺め、喜多見を通過するときは必ず「GOING ZERO」だったりしたことは忘れるかもしれない。でも僕にとって当時のギュッとなる想い出の多くを一緒に思い出させてくれるアルバムであり続けることでしょう。

FOREVER DOCTORHEAD.

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