編集部座談会[3]~酔っぱらいの与太話と女子トーク

ジュリアン・コープ=「ヘッド博士」?

トオル 次が「元ネタ(から読み解く1991年のレコードジャンキー事情)」ですけど、ネット時代になって本やブログで散々研究されてるし、サブスクでも元ネタのプレイリストもあったりで、今更感があって新しい発見もないだろうと最初思ってて。でも、91年当時はどんなものを聴いてたのかな、というのと、後になって「どうやって見つけたの?」ってよく言われたので。

青木・照井 そうそう!

トオル じゃあ、その思い出を一緒に語ってくれる人がいればいいかなって思って企画したんですけど。

大久保 当時のFAKEの原稿との対比が面白いですよね。

トオル 今回の原稿の左に、FAKEの原稿を画像で引用して載せてるんですけど、読み返してみると当時のロッキング・オンの影響を受けてるなって自分でも思って。

一同 (笑)

トオル 若かった頃の自分を思い出すという意味でも、FAKEの原稿を載せたかったんですけど、青木さんにレイアウトをすごい工夫してもらって。

青木 自分で言うのもなんですけど、対比と読みやすさは上手くいったかなと思います。

トオル 照井さんは元ネタは段々と分かっていった感じでした?

照井 中学生のときは全く知らなくて、高校生になってアズテック・カメラとかオレンジ・ジュースとかメジャーなところを聴いて「これが元ネタだったんだー」って思って。もっと細かい元ネタになると、それこそFAKEは読んだことがなかったので「前略小沢健二様」(1996年、太田出版)の元ネタをよく読んでました。あれもきっとFAKEがベースですよね?

トオル そうですね。

照井 FAKEってほんと限られた人しか当時読めてないと思うんですけど、「前略小沢健二様」のおかげで、そこまで量を聴いてない人にとっては「こんなに元ネタあったんだ!?」って知ることが出来たので、実は影響力あったと思います。段々、自分で聴いてるうちにたまたま元ネタを見つけることも増えてきましたけど、あの情報量は面白くて刺激的でした。

トオル 青木さんもこの頃から色々聴いてました?

青木 ここまでじゃなかったですけど。「これはGod Only Knows(ビーチボーイズ)だな」とか、ヘッド博士を聴いた後に、EYELESS IN GAZAを聴いて「あ、これってあの曲の元ネタ?」みたいな順番で、ヘッド博士を聴いてすぐに「ふむふむ、ここはあの曲が元ネタね」みたいのはなかったですね。最初は片手で数えるくらいしか元ネタは分からなかったです。

トオル ネット時代になって、特にYouTubeが出てきてからは、何でも聴けるようになっちゃったんで、元ネタ紹介するだけの話をしてもだめだなって思って、与太話に付き合ってくれるウォルサムストウくんを引っ張ってきたんですよ。後で分かったんですけど、この対談した時ウォルサムストウくんは飲んでたみたいで(笑)

大久保 よく喋れましたね(笑)

トオル 酔うと調子出る男なので、逆に笑えるネタがいっぱい出てきて。シャックは12インチのリミックスじゃなくて7インチを当時買ったとか、ロレッタ・ハロウェイの流れでもスタカンの「シャウト・トゥ・ザ・トップ」のカヴァーシングルの話が出てきたりして「そんなの知らねえよ」って(笑)
でも、やっぱりジュリアン・コープの話(ジュリアン・コープに「Quizmaster」というタイトルの曲がある)はみんなあまり知らないと思ったし、実際ジュリアン・コープのこのアルバムって聴き直してみるとちょっとネオアコ感があって聴きやすかったんですよね。小出さんも「ジュリアン・コープが!」ってツイッターでつぶやいていたし。ここでも少しはマニアックな話が出来たかなと思ってます。

青木 当時のフリッパーズの2人の知識量って知りたいですよね。

大久保・照井 ですねー

トオル 2人がどれぐらいのバランスで元ネタを引っ張ってきて、どう組み込んだのか。たしか小沢がスチャダラのうちに遊びに行ったときに「こうやって作ってるんだよ」ってサンプリングを見せられてショックを受けて、それでヘッド博士を作ったって言ってるんで、元ネタの主導って小山田かと思ってたけど、実は小沢なんじゃないかな、と思って。「世界塔よ永遠に」のサンプリングって、サイケのコンピレーションに入ってる曲で、渋谷のマザーズレコードで買ったんですけど、おそらく小沢もそこに行って買ったんじゃないかな。この当時の「ディクショナリー」の2人のセレクションでも小沢はサーフ&ガレージもののコンピを結構挙げてて、その辺にハマってたのが彼の方だったのかなって。あくまで推測なんですけどね。

おそらくヒップホップ的センスではなかったと思うんですよ。あのベースラインを使おう、フルートを使おうとか、あのドラムをループさせようとかではなくて、ヒップホップの人からしたら変なサンプリングの仕方だったような気がするんですよね。

青木 いわゆるヒップホップのトラックメイキングというよりは、サンプリングをしてポップスを作ろうとしてるみたいなことでしたよね。

トオル なんかピチカートのサンプリングの仕方ともまたちょっと違って。

一同 あー、たしかに。

トオル ここで急にこんな音が入ったら面白いよねっていうよりは、頭使ってパズルを作ってるような。結構いじくってるから今聴いても発見はありますよね。

照井 前にここで一緒にDVD見たじゃないですか?(FG30) あの中で、ライブ映像の合間に、フリッパーズの2人と井出靖さんが話してて、90年の1月なのでグルーヴチューブが出る全然前だったんですけど、あの時点でもう「セッソマットがいい」って2人が言ってて、「この時から!?」ってびっくりしたんですよね。

トオル ハーパース・ビザールっぽいなとも思いました。架空のアルバムみたいな作り方が。バンドでメンバーのパートとかも決まってるんですけど、全然その通りじゃなくて、ゲストミュージシャンにほとんど弾かせてるみたいな感じで。フリッパーズもヴォーカル、ギターという担当はあったものの、その辺がどうやって作ってたのか今でも興味があって。

大久保 表面上のパートはあったけど、そういうのはあまり語らずだったから気になりますね。

トオル 与太話ぽっくなっちゃったけど、ヘッド博士の「音」については、ウォルサムストウくんとの対談でちゃんと触れられたかなと思います。歌詞の分析はできなかったなというのはありますけど。

大久保 歌詞は「ベレー帽とカメラと引用」(N4書房 https://n4s.thebase.in/ )にお任せするっていうか、ぜひ深掘りしてほしいですね。

チャット慣れの「女子トーク」に置いてけぼり

トオル 次の「Doctor Head Tour回想座談会」はもう完全に女子トークで。

大久保 トオルさんも付いて行けなかったんですもんね?(笑)

トオル 読んだ時、どう思いました?

大久保 当時のファンジンの言葉も載ってたり、すごい貴重ですよね。ファンジンの記事の熱量とか、私こういうのにすごい弱いんで。これがあるのがまず嬉しくて。みんな割と、いい感じで冷めてるというか。ただ単に「格好いい」とかじゃなくて冷静に見ているのが良いですよね。

トオル あきぽんさんのフリーペーパーは貴重ですよね。紙でつくられたものをとっておくのって大切。座談会自体はみなさん、30年前のことを思い出そうとしているせいか、一歩引いている感じになってますよね。

青木 実際いろんなライブに行ってる方々でしょうから、他のアーティストとも比べて見ることが出来てて「ギターたいして上手くないね」とか(笑)そういう事を言えて、あまりありがたがる感じなくてよかったですよね。僕もキリンジの初期のライブ見た時も「カッチリはしてるけどあんまりダイナミズムがないな」とか意外と冷静に思っちゃったことがあったから。僕もそうですけど、ライブを見れてない人とか、後追いの人とか、実際のライブを見てないと、憧れの感じで想像しちゃいがちですけど、案外リアルタイムの人たちはそんなにありがたがっていないですよね。

大久保 割と冷めてますよね。

トオル 率直に下手って書いてあるのがSNSでも「下手だったんだ?」って話題にしてる人もいらっしゃいましたね。

一同 笑

トオル 下手というか、技術的にヘッド博士をライブでやるのは91年当時では無理だったのかな。この数カ月後にピチカートが「女性上位時代」をリリースして、ON AIRでライブしたんですけど、ドラムとギターだけサポートで入って、野宮さんは当然ヴォーカルやってましたけど、あとの2人(小西さんと高浪さん)は楽器も弾かないで、ボード持って歩き回ったり踊ったりして、ファッションショーみたいで。これはライブではなくてショーなんだ、って完全に開き直ってる感じで。その前に、数ヶ月連続でシングルをリリースしててその時期もライブ見たんですけど、その頃から「ライブでやるのは難しいな」って感じたんですよね。その後のピチカートのライブは小西さんのDJと野宮さんのヴォーカル&着替えみたいな感じになっていったから、たぶん小西さんの頭の中で、ライブで再現するのは無理だから割り切ったところがあったと思うんですよね。

そういう意味では、フリッパーズはまだまだ振り切れてなかったですよね。演奏はしたいけど全部を再現するのは無理っていう。しかもあの頃だとほんとにカラオケしかなかったと思う。カセットテープでバックトラックの音を出して……。

青木 やっぱりレコーディングに力を注いだから、ライブをどうしようとか考えたとは思えなくて、レコーディングには集中したけど、いざ「ライブどうすっぺ」みたいな感じだったんじゃないですかね。

トオル スタジオで追求しすぎてライブが出来なかったっていうのは、すごいビーチボーイズっぽいなって。

青木 たしかに(笑)

トオル 最初エトゥさんと僕と2人でと思ったんですけど、ちょっと対談だともたなそうと思って。それで、座談会形式にしようと思ったらエトゥさんがみっこさん、小夜子さん、あきぽんさんを推薦してくれて。バランスもすごい良かったんですよ。あきぽんさんはファンジン出してくれたり、小夜子さんは昔イラスト書きましてって、2人がすごい思い出してくれて。

一方で僕の中の構想では、エトゥさんがボケ役って思ってたんですけど、みっこさんがそれ以上にボケてくれるから(笑)

一同 (笑)

トオル ある意味、エトゥさんとみっこさんが漫才コンビみたいで、小夜子さんとあきぽんさんが冷静に当時はこうでした、ってコメントしてくれていたので、僕としてはあまり喋らずに進行役で十分でしたね。て言うか、女性の方がチャットに慣れててそもそも付いて行けなかった(笑)発言の順番決めてたんですがあっという間に崩れ、ツッコミ入れるわ、絵文字も使うわで(笑)

一同 (笑)

青木 FM東京のライブはラジオでオンエアーされたんで、それでライブ行った気になってライブの雰囲気は感じてたんですよね。実際は行ってないけど(笑)

大久保 当時の演奏をテレビで見たのは覚えてて。深夜の番組だったのかな。小山田くんがギターを持ってないのにびっくりして。

トオル マラカス持ってずっと踊っているみたいな。瀧見さんのオープニングのDJがなかったらライブ自体は50分もなかったんじゃないかな。たしかこの頃、セイント・エティエンヌが来日して、1時間もライブしなくてブーイングだったっていう伝説があって(笑)当時フリッパーズの大ファンだった女の子が「私、もうライブ行かない」って言ったくらいがっかりしたぐらいだったし、「この後どうするんだろ」っていう気持ちはありましたね。

~第四回に続く~

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