編集部座談会[4]~「英国音楽」と「1991年の夏から秋」と「軍艦島」

小出亜佐子さんが作ってくれた「つながり」

トオル 次は今回小出亜佐子さんの「ミニコミ『英国音楽』とあの頃の話 outtakes 1991」。僕が小出さんに会ったのは、ファンジンで書いた通りFAKE HEAD'S NIGHTのときが最初で最後で、その後はずっとお会いしたことがなくて。Twitterを始めてから、偶然フォローし合うことになって。タイミングも良かったんですよね。小出さんの「英国音楽とあの頃」が出て、北沢夏音さん、フミヤマウチさん、関美彦さんがやっている「渋谷系旧盤選定会議」に小出さんがゲストで出て、お会いできるチャンスがあったのでサインをもらって挨拶できたんですよ。

青木 僕もその時、参加しました。トオルさんと初めて会ったのは、「渋谷系旧盤選定会議」の一回目でしたよね。

照井 あ、そのトークショーにパイドパイパーハウスの長門芳郎さんがゲストで出た時に、僕がトオルさんに声かけたんですね。

トオル 照井さんがZINEを渡してくれて、「あ、この人がこれ作ってる人なんだ」って。そこでもいろいろと繋がっていって。

照井 僕は「この方、Twitterのアイコンと似てるな」って思って、「すみません、もしかしてトオルさんですか?」って声かけたんですよ(笑)

トオル Twitterのアイコンを書いてくれたのはneeさんなんですよ。ほんと色んな場に参加していったことで今回みんなが繋がったんですよね。

大久保 いやぁ、本当そうですよね。私は高校生の頃につくったミニコミがきっかけで小出さんにお会いできて。その後、大塚幸代さんにもお会いしてたので、トオルさんをTwitterで知ったときにFAKEで元ネタ原稿書いた人だって。

トオル そういう意味でも、つながりを作ってくれた小出さんに登場いただきたいって思って。僕らより少し年上で、あの時代をちゃんと見てきた人に、一歩引いた目でどう思っていたのか聞きたくて。91年だと小出さんは「正直インディシーンというものに対してはもうちょっと醒めてました」みたいな感じで「英国音楽とあの頃の話」でもあまり深くふれてないんですよね。だからこそ「Outtakes」ということで書いて頂きたかった。あと、小出さんがヘッド博士について書いたのはこれが初めてじゃないかな? しかもプースティックスのON TAPEだと思ったっていうのは面白い説だなって。

大久保 ほんと小出さんらしいですし、面白かったです。ON TAPEの話も聞いたことなかったからなるほどーってなりましたよ。

トオル ばるぼらさんが一歩引いて後から時代を見てまとめてくれて、小出さんが当時の記憶をそのままバンと出してくれて、当然文体も内容も違うんだけど、同じ時代の話を2人から寄稿いただけたことが、とても貴重だったと思うんですよね。ほんとこのお2人の原稿のおかげで、単なるファンジンじゃないものが作れたかなと思います。

あと、小出さんがファンジンを受け取ったとき「立派なご本ですね」って仰ってて、それはやっぱり青木さんのデザインを評価いただけたのかな。

青木 それは嬉しいですね。自分が今までやって来た仕事のテイストと、トオルさんが過去に関わってきた編集の仕事の分野が意外と被る部分があって、2人の間のイメージの着地点が一致しやすかったというのはありましたよね。僕がこんな感じかな?って思って見せたら、トオルさんの中でも同じだったり。最初にお話をいただいたときに、わざと手作りのZINEっぽいものにするとか、いくつか選択肢があるなって思ってたんですけど。記録として残したいということだったので、落ち着いたトーンで読みやすいものでいいんだなって分かったので、これまで自分が経験してきたテイストを活かせるなって思いましたね。

トオル 今はZINEっていう言い方をするけど、ファンジンっていうことには拘りたかったんですよ。これは「ファンが作ったものなんですよ」っていう。一方で、ファンの思いや情熱を込めるという意味ではあえて昔のファンジンみたいに手書きにすることも出来たけど、紙面から熱が伝わってくることよりも、「記憶の記録」のコンセプトを重視して、落ち着いて読める方を重視したんですよ。

青木 たぶん、これ手にした人の中には「地味だな……」って思う人はいるだろうなって思って。自分で作っててもちょっと思ってましたし。でも可能な限り余計なものは排除しつつ、なんの飾りもないのもさみしいからちょっとずつ足したりして。出来るだけ、ヘッド博士のジャケットやライナーにある図案を使うようにして。最後の矢印もインナーの中にあるものだったりして、独自解釈の図形を入れるのはなしにして。

大久保 そこそこいい年齢の大人が読むものですからね(笑)

トオル 文字が中心になるから落ち着いたトーンの方がいいだろうってことで、モノクロして。カラーにしても文字ばかりでメリットないですから。

大久保 siloppiさんのカタログの写真もすごいですよね

トオル 表紙と裏表紙をカラーにしたから、表2と表3で何か写真を使いたいなって思ってたら、ちょうどsiloppiさんのこの写真がTwitterのタイムラインに流れてきてお願いしました。siloppiさんは今回の参加者の中で唯一リアルタイム世代じゃない方で、ご本人から「いいんですか?」て聞かれたんですけど、こんなにお持ちの方はいないから「いいんです」って。貴重な資料ですよね。

大久保 これだけで情熱が伝わってきますよね。

トオル 青木さんのこのアイデアも良くて。この2ページめの「記憶の記録である」の黒いラベル。ヘッド博士の初回盤を買った人なら分かるし、siloppiさんの資料にもちゃんと付いてるから、買ってない人でも分かりますしね。

青木 siloppiさんの写真も見て、説明がつきますよね。

大久保 みんな気づいてるかな?(笑)

トオル 説明しすぎるのも嫌だけど、マニアだけ分かればいいっていうのもやりたくなかったんですよ。リアルタイム世代が語るということを売りにするなら狭まっちゃう感じがあったから、みんなが手を出しやすいように、敷居を低くしたつもりで。例えば小出さんのプロフィールとかも今さらわざわざ書く必要ないでしょうと思われるかもしれないけど、ちゃんと記載して丁寧に作って。見れば分かるでしょ?みたいな感じにはしたくなくて、初めて読む人でも分かりやすいように考えて作りましたね。

「1991年の夏」だけでなく「秋」まで話した理由

トオル 最後の「VIVA DEATH FAKE-1991年の夏から秋にかけての話」は中沢明子さんに出ていただいたんですけど、僕としては、ヘッド博士のファンジンを作るなら彼女が出てこなかったら成り立たないと思って。大塚幸代ちゃんというアイデアのある人がいて、それを丁寧にリードしてくれる編集者としての中沢さんっていう2人のコンビがあったからFAKEが出来たわけで。彼女自身、「どっちか一人で作れるものじゃなかった、フリッパーズみたいな関係だった」と「ベレー帽とカメラと引用 04号」のインタビューで話しているぐらいですから、どうしても彼女には出てきてほしかったんです。

ばるぼらさん、小出さん、中沢さんの3人の文章のどれか一つでも欠けたら今回のファンジンは成立しなかったなって思います。それに、青木さんと初めて打ち合わせした時、「最後のページは中沢さんの原稿で」って言ったら、青木さんが最初は「中沢さん?」とピンときてなかったので、これはなおさら彼女に出てきてもらわないと思って。彼女自身あまりSNSで思い出話をしない人なので。

大久保 そうですよね。だから貴重ですよね。

青木 トオルさん的にはオファーするとき、もしかしたらお断りのリアクションもあるかな、とか心配はなかったですか? 現役で、自分をアップデートして仕事している人だと、なおさら「昔語りはちょっと……」って言う方はいますし。そういう意味ではとても真摯に対応してくれましたよね。

トオル 彼女から断わられていたらファンジンはなかったでしょうね。でも、いちばん最初に相談したら、「30周年だしスケルが相手ならいいよ」と言ってくれて嬉しかった。彼女とフリッパーズとヘッド博士について話すのは久しぶりだったんですが、「FAKE」をつくった彼女らしい「若者特有の「何者かになりたい』という願い」という言葉は印象に残りましたね。たぶん今の若い子たちにも刺さる言葉だと思う。ちょうど現代ビジネスで精神科医である熊代亨さんが「『何者かになりたい人』が、ビジネスと政治の『食い物』にされまくってる悲しい現実」という記事を書いていて。「承認欲求」から「自己実現の欲求」の流れはまさに、若い時に強くみんなが感じていた欲求だったなって。僕も「DJになりたいな」と考えた時もあったし、幸代ちゃんにはきっと「自分が持っている表現や考えているものをみんなに形として提示したい」っていう欲求があって、その欲求というか憧れを表現するときに、そこにヘッド博士があったっていうことなのかなって。

青木 今の話の流れだと、91年って僕、浪人生で美大受験のために予備校に通ってたんですけど、その時のアイデアスケッチが取ってあって。まさに何かになりたい頃のもので。スケッチとか、カメラトークとかナック(映画)のロゴが貼ってあったりして。フリッパーズの2人を書いた落書きとかもあって。後輩が横に「先輩うまい!」って書いてくれてたりして(笑)

トオル グラフィックデザイナーやファッションデザイナーだったり、カメラマンだったり、それこそ文化服装学院に行ってる人が多かった。クラブに行っても普段何やってるのか分からない人が多かったけど、あの時代はそういう何やってるか分からないのがステータスみたいな空気感もあったような気がしてて。

青木 彼ら(フリッパーズ)自身もまだ22とか23歳ぐらいでしたよね。

トオル みんなが行くレコード屋さんにもいたし、誰かのライブを見に行くと同じように彼らもライブを見てたりして、身近な存在なんだけど、すごい音楽を作っちゃうっていうのが格好良く見えたんですよね。いわゆる芸能人って街中で見かけることがあまりないのに、急に街中に現れたのがフリッパーズの特徴でもあったと思います。だから自分たちも「何者かになれるかも、なりたい」って思わせてくれる影響力もあったような気がしますね。年齢が近かったから余計にそう思ったのかも。

青木 たしかにレコード屋で見るロックスターみたいでしたよね(笑)

トオル あとどうしても話しておきたかったのが、10月8日のプライマル(・スクリーム)のクラブチッタ(川崎)でのライブの話で。91年にヘッド博士が出て、FAKEを作って、FAKE HEAD'S NIGHTをやるよってなったら、解散することになったっていう。全部それをセットで覚えていて。だから「1991年の夏から秋にかけての話」なんですよ。

照井 季節的にも夏が終わって肌寒くなりつつあった頃だったんですよね、きっと。

青木 そうそう、あとは「文化祭でひと盛り上がりしたら今年も終わりかー」っていう時期(笑)

一同 (笑)

「保存会」の名前の由来は「軍艦島」?

トオル 今回、30周年のこのタイミングでファンジンを作って、ある人から「また何かこういうの作るんですか?」って聞かれたんですけど、僕が作るのはこれが最後ですって答えたんですね。リアルタイム世代として現時点で語れることは出しきったつもりだから、次の40周年、50周年のタイミングで、若い世代がヘッド博士のことを話題にして語り合うときのベースになってほしいというのが本望で。それだけ聴き続けられるアーティストって今どんどんいなくなってきていると思う。ビートルズじゃないけど、50周年とか、ずっと語り継がれていったら面白いですよね。残念ながら再発されることはないと思いますけど……。

青木 最初のデビューの頃から考えると、ここまで根強く愛される、聴き続けられるアルバムを作るとか、そういうグループになるとか、デビュー当時は当然誰も思ってなかったって考えると、すごいなって。

トオル 中沢さんとも話しましたけど、まさか30年後にこのアルバムについて話すとは思わなかったですよ。音はマンチェだし、歌詞は90年代の世紀末感、閉塞感をすでに表現してしまっていて。今思えばなんでそんな事歌ってたんだろう?、別に行き詰まってなかったのにとは思いますけどね。ただ、世紀末がもうすぐ来るという空気感を楽しんでいたのかも。ヘッド博士はそれを91年に先取りしちゃってたように感じるし、自分にとっては否が応でも91年を背負っているアルバムだったんですよ。だから、古臭くて聴けないだろうなって思ってたんですけど、ファンジンをつくるにあたって久しぶりに聴いたら意外に聴けたんですよね。そういう意味では普遍性があるのかもなって。

青木 90年代は、次はこういうリズムが流行るとか、こういう音が流行るとか、音楽のムーブメントが次々に起こるのが当たり前だったけど、段々とそういう事でもなくなるんだなって。今や色んな音楽が並列で聞けて、ムーブメントってなんですか?くらいの感じで、それはそれでいい時代ではありますけど。

大久保 なかなか新しいものは出にくくなりますよね。

トオル 言っていることは矛盾してるかもだけど、「ヘッド博士の世界塔保存会」って名乗ってるとおり、もともとは遺産の保存みたいなイメージがあったんですよ。朽ちて行くんですけど、なんとか遺して行きたいみたいな。自分の中では軍艦島が近いイメージで。

青木 軍艦島!?(笑)

トオル 軍艦島って1890年から石炭の島として栄えて当時としては最先端の高層鉄筋アパートが建設されるほど栄えたのが、1974年の閉山以降どんどん忘れられていって、一部のマニアだけが知る存在だったのが、世界遺産に登録されたらまた有名になって。でもいざ観光に行くと、今は島に上陸しても遠目に建物を見るぐらいしかできないんですよ。それが今のヘッド博士の存在と似てるなって。話題にはなるけど、再発できないからプレミアが付いてしまって、仕方なくYouTubeで聴くみたいな状況で。朽ちていくけど、どうにも手がつけられないものという意味で、ヘッド博士の世界塔という遺産を保存したいと思ったんですよね。

パッケージとして、91年の記憶の記録を遺しておくことで、誰かが10年後、20年後にこれを発掘してくれて、引き継いでくれたら……と思います。たぶんSNSも時間とともに変わっていくだろうから、紙で残しておきたかったのが今回ファンジンを作った理由ですね。

青木 トオルさんの熱い思いは伝わって来ますけど、紙面としてはウェットにならないものにまとめられているところが、改めて良いなって思いましたね。

トオル 大久保さんがnoteで書いてましたけど、10年後とか20年後とかに、誰かが本棚を整理しようとした時に、このファンジンが出てきたら面白いですよね。

大久保 うんうん、そうですよねー。

トオル FAKEだって30年前ですからね。でも、ファンジンを読んだ人からFAKE持ってます、という反応があって嬉しかったですね。

青木 僕の知り合いでも持ってる人いましたよ。

トオル ヤフオクとかメルカリで売買されているのを見て、こんなワープロで作って切り貼りしたようなものを今でも読みたいと思ってくれる人がいるんだ、中沢さんとも「複雑ではあるけど、それはそれで嬉しいね」と話しました。ただ、「8,000円も払うものじゃないよ」って(笑) 

「FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER」はそうならないよう絶版にせず、在庫を持ち続けるつもりです。家がゴミ屋敷にならない程度に(笑)

~座談会(終わり)~

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